第35話 三つ目の願い

 あれは中学の頃だった。


 クラスでいじめがあった。

 どこの学校にもある事だ、別に珍しくもない。


 いじめられていたのは、俺が小学校時代によく一緒に遊んでたやつだった。

 でも、今は遊んでない。

 教室で顔を合わせても、とくに話もしない。

 そういう関係のやつだ。


 クラスで無視されたり、上履きを隠されたり。

 ヤンキー気取りのやつらにパシらされたり。

 あいつは毎日いじめっ子たちにいじめられながら、へらへらと笑っていた。


 ある日俺は、いじめがある事を先生にチクった。

 すると先生は、生徒たちにアンケートをった。


『このクラスにいじめはありますか?』


 アンケート結果は、一対二十四。

 クラスの二十五人中、俺を除く全員がいじめはないと回答した。

 いじめられてる本人も。


 翌日、俺はクラスのヤンキーに呼び出しを食らった。


「おい、チクったのおまえか?」


 俺は答えた。


「そんなわけないじゃん。なんで俺が、あいつのためにそんな事するんだよ~」

「だよなぁ。おまえにそんな事する勇気ねーよな」


 いじめっ子とへらへら笑い合う俺を、あいつは軽蔑するような目で見ていた。


 すごくムカついた。

 じゃあなんでおまえは、アンケートで「いじめがある」って答えなかったんだよ!


 その後、俺は無難に中学を過ごし、高校へ行った。



 ……つもりだった。



 他人を信じられなくなってたんだろうと思う。


 いじめっ子たち。

 強い側について保身をはかる者たち。

 傍観者たち。

 先生も他の大人たちも、実はまったく頼りにならないって分かった。


 そしてなにより、自分自身が信じられなくなっていた。


 自分で正しいと思って始めた行動を、自分で裏切り、否定してしまったから。

 友達が上手く作れなくなり、気がつくと部屋に引きこもっていた。



 そんなある日、俺は黒服と出会った。


「シノノメ・タケル様。ここは異世界転生案内所です。あなたは選ばれました。ビッグチャンスです。今までの失敗続きだった人生をなかった事にして、新たにやり直してみたいと思いませんか?」


 生きながらに死んでいるような生活を送っていた俺は、その甘い言葉に乗った。


「……異世界へ行ったら何がしたいですか。三つまでご記入いただけます……。これ、何書いてもいいんですか?」

「ええ、構いません。あくまで希望ですから」


 まず一つ目は、なんと言っても『チート能力がほしい』。

 異世界転生の定番だ。


 二つ目は、『勇者の肩書き』。

 肩書きは大事だよ。ただの塩か、○○海の天然塩かで、味が違うように感じるもん。


 で、三つ目は……。


「……ハーレム展開とか、勢い余って脱童貞とかそういう……ね」

「お安いご用ですよ。あっちの世界では、強い者が正義。強さイコール魅力であり、ただそれだけで若い女たちが寄ってきます。まして勇者ともなると、結婚したい職業ナンバー1ですからね。わざわざ希望を出さなくとも、ハーレムくらいは余裕です」

「マジか……」


 ペンを持つ手を震わせながら、俺は、三つ目の願いを書き込んだ。



『もう二度と、自分を裏切らない人間になりたい』



 英雄ヒーローになりたかったわけじゃない。

 ただ、自分を裏切らずに生きたかった。


 今にして思う。

 必要だったのは、チート能力じゃない。

 勇者の肩書きでもない。

 自分に正直に生きられる、ほんのささやかな勇気だったんだと。


「こっち来てから、楽しかったなぁ~」


 短い間だったけど、ルルイェと過ごした日々は、楽しかった。

 あんな風に誰かと接したのは、中学以来だったと思う。

 いや、もっと以前から、俺は自分を騙してきた。

 人間ってのはそんなもんだし、社会で生活する以上、仕方の無い事だ。

 それが嫌なら、引きこもるしかないってわけだ。



 ところで、ずっと疑問だった事がある。

 どうしてルルイェは、奴隷を買おうとしたんだろう?


 その答えは、俺の手の中にある気がする。

 左手のひらに刻まれたカウント。


『反逆カウンター』


 魂の奴隷契約を結んだ奴隷が、主人に逆らったらカウントされる数字だ。

 ゼロになると、“魂が地獄の炎で焼かれ、この世で最も恐るべき苦しみを味わって死ぬ”らしい。


 ニンジンを残そうとするルルイェと、言い合いになったのを思い出す。


「でてけ!」

「やだね!」


 そんなやりとりを、俺たちは何度もした。


「よく考えたら、俺もう死んでるはずだよな」


 俺は何度も、ルルイェの言葉に逆らったから。

 あのぼくっ子魔女に、契約解除できると言われた時、気がついた。


 左手の数字は『7』。


 減っていない。

 その意味を、考えた。


 今なら分かるが、コミュ症伝説レベルのルルイェが、わざわざ奴隷を買いに行った。

 人が大勢いる場所へ。

 あいつは魔法でなんだってできる。奴隷なんていらないのに。


「やっぱ寂しいよな、あんな場所にずっと一人でいちゃ」


 たぶん、話し相手でもほしかったんだろう。

 若い、女の子の。

 なのに、まごまごしてるうちに奴隷はみんな売れてしまい、俺みたいなのが売れ残った。

 で、コンビニの缶コーヒーよろしく、仕方なく買って帰ったと。



 魂の奴隷契約書。



 それは詐欺だったし、奴隷契約なんて物騒すぎる。

 契約を破ると、普通に死ぬより恐ろしい事になるし。


 でも、友達を見捨て、自分を裏切り、誰とも上手く関係を築けなくなった俺にとって、その契約はルルイェとの絆。

 一緒にいられる、“都合のいい言い訳”だった。

 それが、あの時サインしなかった本当の理由。


「ありがとな、ルルたん。俺なんかを必要だと思ってくれて」


 おかげで、今度こそ気分よく死ねそうだ。

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