悩み

「こんにちは、お兄ちゃん」


 七月も終わりにかかろうとしたある日の昼すぎ、高橋家に本堂エリーがやってきた。

 連日猛暑日が続いているためか、少し汗をかいているエリーをリビングまで案内する。

 すると有栖によって既に冷たいお茶が用意されており、エリーは「いただきます」と言ってお茶を飲む。

 冷たいお茶と冷房が効いているおかげで、身体の体温が下がっていく。


「有栖さんから聞きましたが、お二人は付き合い始めたそうですね。おめでとうございます」


 キスをするようになったのはエリーのおかげといっていいので、有栖が彼女に付き合ったことを言っていても不思議ではない。


「知っているなら気を使って遊びに来ないということはしないのか?」

「私はお二人のイチャイチャシーンを見に来たのですよ。触れ合ったりキスしたり……それ以上のことをしても構いません。さあ、どうぞ」

「よし、有栖よ、イチャイチャするぞ」

「な、何でですか? エリーがいる前でできるわけないじゃないですか」


 最もな意見なのだが、貴音とエリーは「えー」と不満そうに頬を膨らます。


「エリーは私たちがイチャついて何とも思わないのですか? リア充爆発しろ! とか」

「お二人がエッチしてるとこまで見たいと思っておりますよ」


 エリーの言葉に有栖は絶句してしまう。

 まさかそんなことを言うなんて思ってもいなかったのだろう。


「有栖の裸を見ていいのは俺だけだ」

「そうです。だからそういったことは……」

「だからエリーの前でするのはキスまでだ」

「何でですか? エリーの前でキスもしません」


 軽くくっつく程度なら大丈夫だろうが、キスを拒否をされ貴音は「なん……だと……」とうなだれてしまった。

 まるでこの世の終わりかのような顔になり、床に手までついている。


「何でそうなるのかが不思議でしょうがないです」

「だってイチャイチャできないと有栖成分がなくなる……イチャイチャしないと有栖欠乏症になって死んでしまう……」


 今までも充分にイチャイチャしていたが、付き合い始めてから余計にイチャイチャしたくてしょうがない。

 そのせいで有栖が目標にしていた七月中に宿題を終わらすという目標は達成できそうになく、もう少しかかってしまいそうだ。


「有栖と、イチャイチャ、したい……有栖成分を、補充……したい……」


 まるで壊れかけのロボットのような声を出し、愛しの彼女に有栖欠乏症なのをアピール。


「毎日毎日イチャイチャしてるじゃないですか。エリーがいるどきどきくらいは我慢してください」

「えぇー、何でイチャイチャしないんですか?」

「ここでエリーが反論するのはおかしいと思うんですが……」

「何もおかしいことはありません。せっかく兄妹物のラノベのように親友がお兄ちゃんと付き合ったのですから、イチャイチャしてるとこを見たいと思うのは普通のことです」


 絶対に普通のことではない。


「それで、お二人はもう初体験を済ませたのですか?」

「それは……」

「まだなのですね」


 有栖はコクンと頷く。

 先日のように良い感じになったことは何度かあるのだが、毎回貴音が有栖を抱きしめて横になるために寝てしまって、未だにできていない。

 一度寝てしまった貴音は絶対に数時間起きないので、それが今の有栖の悩みだ。

 せっかく念願だった恋人同士になれたのに、先に進むことができない。


「欲求不満なのですか?」

「そこまでではないですが、早く兄さんに初めてを捧げたいです」


 貴音にはあまり聞かれたくないことなのか、エリーの耳元で小声でそう言う有栖。

 付き合い出してからまだそんなに日にちはたっていないが、ずっと一緒にいる二人にとってそれは今更だ。


「欲求不満になって別れるとかはありませんよね?」

「それだけは絶対にありえません。ずっと、ずぅぅっと兄さんと一緒にいるんです」


 自分の人生を変えてくれた貴音と別れるなんてありえない。

 これから先ずっと抱いてくれないなんてないと思うが、できなくても有栖は貴音から離れるなんてことはないのだ。


「毎日抱きしめているのに寝ちゃうなんて、お兄ちゃんには性欲というのがないのでしょうか?」

「押し倒してくる時があるのでそれはないと思いますが、睡眠欲が勝つようです」

「お兄ちゃんは変わった方です。私がお兄ちゃんだったら獣のように有栖さんを毎日求めるというのに」

「それはそれで困りますが……」


 したいと言っても毎日獣みたいに求められても嫌。

 それでも全く抱いてくれないのも不満を覚えてしまうもので、週に二、三回ほどはしたい。

 抱きつかなければ寝ることはないから有栖が上になってリードすればいいのだが、初めての時は貴音にリードしてほしい。


「私でお兄ちゃんが発情するか試してみましょうか?」

「そんなのダメに決まっているじゃないですか。兄さんが発情していいのは私だけですし、私に発情していいのは兄さんだけです」


 本当に独占欲が強い。


「まあ、お二人はずっと一緒にいて良い所も悪い所もわかっているでしょうし、別れるなんてことはないはずです。だからゆっくりとお二人のペースで進んでいけばいいと思いますよ」

「そうですね」


 エリーの意見は最もだ。

 合コンで出会ったり学校の友達から発展して付き合ったわけでなく、二人は十年のも間、一緒に住んでいる。

 付き合ってからお互いの悪いとこを見つけて別れることなんて決してないだろう。


「でも、初体験の時は是非とも見学させてください」

「それだけは絶対にお断りです」


 先ほど裸を見ていいのは俺だけだと言われたから、有栖は貴音以外の人に見せたくはない。


「有栖欠乏症に、なる……」


 貴音は未だにそんなことを言っているのだった。

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