始まりの音(3)
花鈴ちゃんが泣いた日。必死に謝ったけれど、思いは届かなかったような気がしました。
僕が悪かったんだと思う。でも正直わからないこともありました。
――蓮が本当に欲しいものって、なんなの? 本気で人を好きになったことって無いの?――
僕のどんな態度が彼女にそう思わせてしまったんだろう。これだけは本当にわからないんです。
好意を持っている相手ならいます。魚だけじゃないです。お母さんも本当は好きだった。花鈴ちゃんも大切だった。側にいたいって思ってるつもりだった。
でも、今まで少しも伝わっていなかったのかなって思うと悲しくなりました。自信が無くなりました。もしかしたら僕の人に対する思いってみんなと比べると小さいのかなって。無関心だったのかなって。
いつだって僕は間違えてばかりだった。
だからきっと、花鈴ちゃんの言う通り……
そうやって悩んでいる間に時は過ぎて、12月。クリスマスを迎える前に花鈴ちゃんが実家に帰ることが決まりました。
「蓮は地元よりこっちの方が居やすいでしょ? これからは水槽だって好きなだけ置けるよ」
そう言って僕に物件を譲り渡す手続きを進めていきました。僕はどうしたらいいかわかりませんでした。何処か冷めてしまったような花鈴ちゃんの横顔をただ見ているしかありませんでした。
花鈴ちゃん、ごめんね。
いつも僕に優しくしてくれたのに。いつも助けてくれたのに。
ごめんね。ごめんね。
僕は何も返せない。
言いたいことは沢山あったはずなのに、どれもこれも今更無意味な気がして、僕の口数はどんどん減っていきました。
そして花鈴ちゃんが出て行く日。
「私ばっかり……だったね」
僕の私物だけになったがらんとした部屋の中、ぽつりと呟く声が聞こえました。もう夕方でした。
陰を帯びた花鈴ちゃんの目元にまた、ちらりと光るものがあって僕は息を飲みました。ごめんね。思い付くのはやっぱりこんな言葉だけ。口にしたところでなんの意味も為さない
「元気でね、蓮」
「花鈴、ちゃ……あの……!」
まるで僕が近付くのを食い止めるみたいに花鈴ちゃんは部屋を出ていきました。
玄関の内側に取り残された僕はいつまでもいつまでも考え続けました。キャリーバッグのキャスターの音が遠のいていく中で、ずっと。きっと、何十分もです。
花鈴ちゃんは女の子で僕は男の子。
思えば小さい頃は、そんな認識だけで済みました。大きくなったときその違いが何を意味するか、何に気を付けなければならないか、考えもしなかった。
花鈴ちゃんは綺麗な女の人になった。頼りない僕だって身体だけは大人になる。
やっぱり応えるべきじゃなかった。却って傷付けることになった。言い訳なんて出来ない。僕も彼女を望んだ。ただ寂しいというだけで。不安に押し潰されるのが怖くて。独りになるのが怖くて。その為に彼女の想いを犠牲にした。
もう、友達に、戻ることも……できない。もう、二度と。
「かり、ちゃ……」
もう名を呼ぶことさえ許されない。
「…………っ!」
――――ッ!!
――――ッッ!!
僕の悲鳴は声にもなりませんでした。立ち去ったばかりの花鈴ちゃんのことを思うと声が出せませんでした。
口調はキツくたって、時々怖くたって、本当は優しい僕の幼馴染。僕が泣いているとわかれば戻ってきてくれるかも知れません。だけどそしたらもっと苦しむことになります、僕のせいで。
だからどんなに寂しくても、待ってだなんて言えませんでした。彼女の背中へ伸ばせなかった両手は、ひたすら玄関のドアに押し付けました。頭を何度も打ち付けて。だけどガタガタ震える心は元の器に戻ってはくれなくて、暴走して、僕をどんどんみっともない姿にしていきます。痛みさえも無意味だという絶望。すぐにでも自分を消してしまいたかったです。
散々泣いて疲れ果てて部屋に戻ったとき、水槽の中の2色が僕の目に飛び込みました。仲良しなグッピーです。
向かい合う姿が寂しさをつのらせました。でも生きなきゃと思いました。
ルームシェアを解消したその月、年末頃にお母さんが僕の様子を見に来ました。あまり多くは訊いてきませんでした。その代わり、実家の水槽と魚たちを沢山、僕の部屋に送ってくれました。小さな亀はお父さんがプレゼントとしてくれました。
1人になっても独りじゃない。
僕の部屋はすっかり賑やかになりました。だからもっと頑張らなきゃと思ったんです。
――僕のせいとか言わないで。
大切な幼馴染の気持ちを踏みにじった僕は、弱音を吐くなんて許されないと思ったんです。体調が辛くても、就活が上手くいかなくても、お金が無くても……
――もういい!
誰とも付き合わないで生きなきゃと思ったんです。誰にも甘えず、誰にも頼らず……
在宅ワークの仕事は見つけました。だけど身体が弱ってしまってる僕はあまり数をこなせません。
寒い日にエアコンつけたくても、音が辛くて結局布団で丸くなってるだけの日々。
あったかくなってきたら、今度は登下校中の小学生たちの声が気になりました。自分が凄く心の狭い人間に思えて泣きたくなりました。
イヤーマフをつける時間が長くなりました。前よりも音の耐性が無くなったみたい。
夕焼けが怖い。
今日という日の死を実感させる。
今日も何も出来ずに終わってしまった。
誰にも会えずに。
夜が怖い。
全てが怖い。
でも誰にも言えない。
だって僕は“一生”弱音を吐いちゃいけないから。
“一生”ひとりでなくちゃいけないから。
“一生”
一生が……
終わってしまえば……?
「ごめ……ごめ、なさい……もう、楽に、なって……いいですか……?」
気が付けば初夏になっていました。
気が付けば僕は、夜の街を彷徨っていました。
そして何処へ向かう訳でもないのに改札を通り、駅の中へ。
ホームの上。こちらへ迫り来る2つの光がもっともっと大きくなるのを待ちました。イヤーマフをしてても電車の音は大きいはずなのに、とても静かに感じました。僕は黄色い線を超えて、自分から向かっていくように歩きました。
「ごめ……なさ……約束……守れな、かっ……」
そのとき。
「んなモン聴きながら歩いてんじゃねーよ! 死にてぇのかッ!!」
「!?」
突如イヤーマフを外されて僕はびっくりしました。何もかもが剥き出しな裸の世界に投げ出されて混乱したのも束の間。
ーーーーッッ!!
耳は塞いでいたけれど、意識は彼女に奪われていました。これが出会い。
僕たちの始まりは、とても激しい音でした。
(番外編/僕と音〜REN〜『始まりの音』おわり)
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