第2章/恋人時代はこんなんで
1.唐突ですみません、お母様!
生涯仕事一筋と腹を括っていたはずのあたしにまさかまさかの恋人が出来た。目まぐるしいあの展開から1年後。
「茅ヶ崎くんがこの度ご結婚されました」
朝の社内。上司の嬉しそうな一言のすぐ後にわぁっというどよめきが上がった。幾つもの拍手とおめでとうの声があたしに降り注ぐ。
職場では引き続き『茅ヶ崎』でやってくんだけどな、その方がみんなも把握しやすいと思うし。だけど戸籍上ではもう『葉山』になってる。あたしが嫁になるか蓮が婿に入るか話し合った結果こうなった。本当に葉っぱ2つになっちまったって訳だよ。
「旦那さん、年下クンなんですよね!?」
「姉さん女房って茅ヶ崎さんらしいかもな!」
それにしてもさっきからあたしに集中してるランランとした視線。なんつうか……想像してた以上に恥ずかしいな、コレ。
そんな中で1人、いがぐり坊主の横で手を振りながら、まぁまぁまぁ……なんて言ってる奴が。
「いや〜、俺は最初っからこうなると思ってたんですよね〜! ん、そうそう。俺がね、恋愛相談乗ってあげてたんすよ〜!」
おい。なんでおめぇがドヤ顔なんだ、坂口。あたしは今にも舌打ちしそうな口元を寸前のところで結び、冷ややかな視線を送ってやる。
まぁでもな……確かにこいつに後押ししてもらったことは事実だ。
――蓮くんにとっては“葉月ちゃん”なんだよ――
あの一言であたしは自分の気持ちを自覚することが出来た。お調子者で鼻につく奴だけど感謝はしてるよ、坂口。
朝礼を終え、みんながそれぞれの持ち場へ向かう途中、坂口がすーっとあたしの側へ寄ってきた。そうだな。照れくさいけれどこいつにも改めて礼を……
「ふふ、あんときの茅ヶ崎さんは完全に乙女の顔だったけど、今やすっかり女豹の顔ですね! どうっすか? 年下の草食系男子くんのお味は……」
「それ以上言ったらセクハラですよ」
前言撤回。やっぱりこいつは調子に乗らせちゃいけねぇ。うわぁ、勘弁して下さいよ〜! なんて言ってるけど、だったらまずその無駄なお喋りをなんとかしろ。
「しかし早かったですね〜。出逢ってから付き合うまで1ヶ月でしょ、結婚まで1年。なかなかのスピード婚だと思うよ。運命的だなぁ」
あたしの白い目などお構いなしといった具合に、坂口は窓の外を見つめて目を糸みてぇに細めてる。運命とか恥ずかしいこと抜かすな、この野郎。
「順調で何よりですよ、茅ヶ崎さん」
そしてまただ。いつもそうやってればいいのにと思うあの優しい声色があたしの心を揺さぶる。
「順調、ねぇ」
あたしはゆっくり、坂口と同じ方向へ。蓮と出逢った頃とよく似た初夏の色を感じながら何回か耳朶を触った。
(ここまでが大変だったんだよ)
内心でぽつりと独り言を零す。あたしのため息は甘い苦笑へと変わっていく。
遡ること約1年前。
結婚を決めたっつってもそれはあくまでも2人の間でのことだった。覚悟はしていたものの、掘り返せば掘り返すほど山のように積み上がっていく問題の多さにさすがのあたしも呆気にとられた。
まず想定の範囲内だったのは蓮の家族への説得。
あたしの方? そっちはさほど心配してなかったよ。なんたって放任主義のゆる〜い家庭だからな。あたしのヤンキー時代でさえ、警察の世話にならない程度になんて言ってたくらいだ。
結婚の件も母さんに話してみたら案の定……
――へぇ、アンタ結婚する気あったの? 年下ねぇ。養うの大変だろうけど程々に頑張りなさいよ――
こんな調子だ。“養う”って言葉にあたしはつい反論したんだけどな。あくまでも一緒に生きていくんだって、その為にこういう形をとるだけだって、言ったんだけど……
――でもその子、満足に働けないのは事実なんでしょ?――
母さんの受け止め方は結局変わらなかった。煮え切らないところはあるけど、例えそれが親だって自分の考えに同調させるのは無理があるんだよなって諦めたよ。反対されなかっただけまだマシだと思うことにした。
蓮の親への交渉に踏み切ったのはその後。6月下旬のことだった。
あたしがイキナリ電話するのはさすがに……と考えた。水槽に囲まれたいつもの部屋、ベッドの隅っこで膝を抱えている蓮に、出来るかと訊いてみた。
蓮は小さく頷いた。スマホを手にしてから随分時間はかかっていたけれど、やがて意を決したのか細い喉をごく、と鳴らしてコールする。
あたしもちょっとぐらい電話代わることになるかも知れないからな。しっかり喉を潤しとこう。いつもみたいにベッドを背もたれにして、ペットボトルの蓋を開けた。中身のレモンティーを口に含んだ直後。
「……お母さん。僕、結婚します」
「げっほッ!!」
(そこから言うんかい!!)
開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。実際は咳き込みまくって開いてるんだかなんだかわからないんだけど。まずはワンクッションと思ったのが早くも台無し。これだけはわかる。
それにしても蓮の奴、母親に対しては案外はっきりと喋るんだな。あたしは目を見張っていたんだけど、やがてそれどころじゃないと我に返った。きっと今頃、スマホの向こうの母親だってあたしとおんなじように呆気に取られているだろうと。
“結婚します”以降の会話が全く聞こえないことに焦ってすぐさまスマホをパスしてもらった。
「あ、あの……っ、急な連絡で申し訳ございません! わ、わわ
『…………貴女は?』
「……茅ヶ崎葉月と申します」
ひとまず名乗っておくことにしたんだけど、しばらくの間を挟んでからはっと短く息を飲む音が確かに聞こえた。ほんの1ヶ月前に現金書留に記した名前だなんて、却って衝撃的だったかも知れないな。
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