第56話
逆巻く水龍が、天空を駆ける。
黒雲を、そして覆いかぶさる灰色の蓋をも吹き飛ばす。
蜘蛛の子のように雲の子たちが散っていくと、太陽の我が物顔が現れる。
隔てるものの無くなったいま、無遠慮に光の脚を伸ばし、眼下の緑に光沢を走らせていた。
葉っぱがツヤツヤと、雨露の雫はキラキラと光を放つ。
宝石箱の蓋をゆっくりと開けたように、森じゅうが輝きで満たされていく。
誰もが、見とれていたに違いない。
この奇跡のような瞬間を……龍神が疾る、この光景を……!
魔送モニターは放送事故のような無音が続いていたが、辛うじて絞り出したような、かすれた囁きが漏れはじめる。
『な……なっ……な……ななな……な、なにが……起こっている……ん……でしょう……? あ、嵐が……形を変えて……え、えーっと……そ、空を……飛んで……いま……す……?』
それは実況というより、ただの独り言だった。
聖堂院を映し出しているモニターには、釘付けになっている嫁たち。
初めて白黒テレビを見た昭和の子供たちのように、頬を寄せ合って画面に肉迫し、目も口も開きっぱなし。
水を張ったように潤みきった瞳たちには、中継映像が写り込んでいる。
それはさながら、家電量販店の壁一面に並んでいる、同じチャンネルを映しているテレビのように見えた。
誰もが我を忘れ、心を奪われていた。
本当は忘れちゃいけないヤツらも、例外ではなかった。
ひとつ森を挟んだ向こう側にいる、廃校をかけて戦っていた女子高生たち。
さっきまでは鬼気迫る状況だったというのに、今は陽の光を浴びて石化した吸血鬼のように動かない。
倒れていたラビアとシターは身体を起こし、サイラはヒザをついたまま、グラッドディエイターは剣を振り上げたまま、ぽかあんと見上げている。
『き、キレイ……!』なんて言葉が聴こえてくるかのようだった。
俺は、心の中で謝る。
……スマン、みんな……! ちょっと手荒だが、許してくれ……!
お前らが助けてくれってあんまり叫ぶもんだから、こうやって助けてやろうとしてんだ……!
助ける方法までは指定されなかったから……別にいいよな?
女子高生たちはしばらく呆けていたが、いちはやく立ち直ったのはシターだった。
どうやらヤツだけは、俺のしようとしていることに気づいたようだ。
『……こちらに近づいてきている』
その一言に、全員がハッとなる。
『あ……ああっ!? ほ、ホントだ!? あの嵐みたいなの、こっちに向かってきてるっ!?』
『や……やべえっ!? に……逃げ……!』
敵も味方もなく一目散に走り出した彼女たちの背中に、巨大な水柱が突き刺さった。
……ズッ……!!! ドォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!!!
天から落ちてきた龍が、その巨体を大地に横たえる。
鉄砲水がおこり、波紋のように広がった。
波紋といっても、鯨波の規模……!
いくら20メートル近くあるメルカヴァでも、ひとたまりもない……!
空撮映像は遠距離からのものだったので、その様はじょうろの水に押し流されるアリンコさながらだった。
『きゃあああああーーーっ!? 流されちゃうーーーっ!?』
『おい、サイラ、シター! こっちだ! 掴まれ!』
『無駄。もうじきその樹木も流される』
『って、マジかよっ!? ……マジだったぁーーーーーっ!?!?』
ビリヤードのブレイクショットを受けた玉のように、散り散りになっていくメルカヴァたち。
俺は祈るような気持ちで、ある一機の行く末を見守っていた。
それは、チャリオンに乗ったままのグラッドディエイター……!
ボートで昼寝して、沖まで流されてしまったウッカリ者みたいにアタフタしている。
……よし、そのまま行けっ!
俺の狙いどおりなら、そのまま……!
次の瞬間、ポケットに沈むナインボールのように、
……ガッ……コォーン……!
なんて音が聞こえてきそうなくらい、見事なまでに泥水の中に没していった。
「……よしっ!」
思わずガッツポーズが飛び出す。
……俺は、まず『ハリケーンアーム』で湖の水を全部吹き飛ばし、お嬢様を助けた。
その後、嵐となった水を『テンペストアーム』で操り、部員たちを襲うグラッドディエイターにぶつけた……!
といってもダイレクトにぶつけたら粉々にしちまうから、近くに着弾させて水圧で押し流し、あらかじめ掘っておいた落とし穴に水没させるというのを狙ったんだ。
なかなかの芸当だったが、初めてやったわけじゃない。
ゲームではこの現象を利用して、岩を使ったゴルフゲームとかやってたからな。
暇つぶしに始めたことだったが、まさか実戦で役に立つ時が来るとは思わなかったぜ。
……なんにしてもこれが、俺の出した答え……!
どちらかひとつしか選べねぇ、イジワルな運命の天秤に乗せられたヤツらを、どっちもモノにする……!
これが、嫁たちが教えてくれた、俺の生き方なんだ……!
改めてルルニーとララニーのいる方に目をやると、目が洪水になっていた。
画面ごしにテンペストアームを受けたみたいに、どばどば涙を流してやがる。
『ぼ、ボーンデッド様が……ボーンデッド様が、また、奇跡を起こしてくださいました……! し、しかも……天候を操るだなんて……!』
『そりゃあボーンデッド様だったら天気を操るくらい、あたしたちがてるてる坊主を作るのと同じくらい簡単にやっちゃいますって! なんたって神様なんですから!』
ルルニーとララニーのやりとりを受け、騒然となる子供たち。
みんな涙で頬がテカテカになっている。
『ええっ!? ボーンデッドさまって、てんきをかえられるの!?』
『すごーい! ボーンデッドさま!』
『そうだよ! あたりまえだよ! ボーンデッドさまはかみさまなんだもん!』
『じゃあ、てるてるぼうずをつくったあとに、はれになるのって……』
『そうだよ! あたりまえだよ! ボーンデッドさまがはれにしてくれるんだから!』
『うわぁーっ! ボーンデッドさま、ありがとーっ!』
そして口々に、ありがとうコールを叫びだす嫁たち。
コクピットの中は、感謝の気持ちでいっぱいになった。
……なんか、随分尾ひれが付いちまってるような気がするが……まぁいいか。
なんて思っていると、遅まきながらも救援隊が到着した。
まだ湖の底にいるお嬢様は、グラッドディエイターのキャノピーを開け、チャリオンの馬……なんてったっけ? そうだ、パンチョパンチョに頬ずりしていた。
どうやら、ゴーレムの馬のほうも無事だったようだ。
俺は救援隊に「こっちは大丈夫だから、森の向こうで溺れているヤツを助けてやってくれ」と、8文字のテキストチャットでなんとか伝えた。
……さてと、これで俺のやるべきことは全部終わりだ。
『オーバーリミットフォース』の効果はすでに切れていて、コクピットの中はいつもの薄暗さと、静けさを取り戻していた。
祭りのあとのような、やりきった充実感と、なんともいえない寂しさが俺の身体を満たす。
ステータスモニターには、真っ赤っかになったボーンデッドの全体図が映し出されている。
損傷率、98%……あと2%のダメージで、ボーンデッドの機体を構成するモリオンが崩壊し、グシャグシャになっちまう。
変質したモリオンは液状になって、パイロットを髪の毛一本残さず溶かす。
そのあと気化して天にのぼり、『
モリオンはママの手によって再利用され、新たなるボーンデッドとして生まれ変わる。
見た目は
名前も与えられずに生まれ、誰からも知られずに生き、そして生きてきた証を残すことも許されずに死んでいった、大勢のヤツらの命がな……。
俺は、こうやってボーンデッドに乗る前は名前もあり、そして誰にでも知ってもらえるチャンスのある人生を送っていたのに……生きた証なんてひとつも残せなかった。
……誰からも知られない今のほうが有名になってるだなんて、皮肉なもんだな。
『救助隊の手によって、いま、聖ローのグラッドディエイターが救出されました! パイロットは無事のようです! しかしキャプテン機も含め、2機とも水没してしまったため戦闘不能となってしまいました! これにより、母なる大地学園と聖ローリング学園の試合は、母なる大地学園の勝利となりました! 母なる大地学園、Aブロック決勝進出ですっ!!』
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