第187話 間に合った者と間に合わなかったモノ


「ぐっ……うぅっ!?」


 自分の胸に土の槍が突き刺さっているのを自覚すると、一気に胸の辺りから痛みを感じた。急に顔から血の気が引いていく感じがして、足に力が入らなくなりその場に崩れ落ちる。


 くそっ! さっきからの眩暈と相まって意識がっ!? 急に視界が暗くなってきた。胸の土の槍はボロボロと急速に風化して崩れていくが、むしろなくなったことで出血が酷くなりそうだ。


 マズい……さっき少しだけ聞こえた声は、おそらくあの仮面の男のもの。鬼凶魔達を無力化した一瞬の隙を突いてきたんだ。この近くに居るのは間違いない。


 ダメだ! 俺がヤバいのは当然として、今の状態のセプトじゃ逃げることも出来ない。何とか起きないと……。だけどいくら力を入れても視界はどんどん暗くなり、


「トキヒサっ!? ねぇっ! しっか……あぐぅっ!? あああアアァっ!?」


 ピシっ! パキーン!


 俺の意識が飛ぶ直前に見たのは、胸と取り付けられた器具のから強烈な暗い光を放ってうずくまるセプトの姿だった。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆


『ようやく片付いたな。実に手こずらせてくれたものだ』


 その言葉と共に、自身の予定を台無しにした者への報復を済ませたと見たのか、建物の陰から仮面の男は姿を現す。辺りにはまだ紫の毒霧が漂っているが、体質なのか仮面のおかげなのか苦しむ様子はない。


「グルアアアッ!」


 そこに、今まで影の膜に覆い被さられていた鬼凶魔二体が、何とか影を振り払ってやってきた。鬼凶魔達は新たに見つけた獲物仮面の男に対して本能的に腕を振り上げる。


 だが、鬼凶魔達はその直前、急に何かに気づいたように仮面の男から距離をとった。その顔は何かに怯えるような、それでいて手を出そうにも出せない歯がゆさというか、そういう複雑さが見て取れた。


『……ふむ。この状態でも凶魔避けの道具は有効と。やはり本能のみで動く凶魔は扱いやすい。狙う矛先を変えることが出来れば…………戦力として運用も可能か』


 男はそうポツリと漏らし、何か思いついたようにセプトの方に向き直る。見ればセプトは凶魔化の直前といった様子だったが、その姿は仮面の男がこれまで何度もで見てきたものとはやや異なっていた。


「あああアアァっ!? トキヒ……サ……アアアァ」


 セプトの身体は幾重にも自身の影のような黒い何かに覆われていた。それはまるで自らの身を守るために影を纏ったような、あるいは虫が成長して羽化するためののような。そんな何かだった。


 その様子をもし時久が見ていたら、以前あったセプトの魔力暴走のことを思い出していたかもしれない。規模や周囲への影響の違いはあれど、今の状態はそれに酷似していた。


『ほう!? これは興味深いな。凶魔化の進行がやけに遅いのも妙だったが、その過程と結果にも差異があるとは。胸に付けていた何かの器具の影響か、それとも素体そのものが特異なのか?』


 本来ならヒトの凶魔化は、埋め込まれた魔石によって肉体そのものを強化、膨張から変質させるのが基本だ。それは時久がこれまで見た凶魔化した者達が、どれも筋肉が膨張して鎧のようになったことから明らかだろう。


 だが今のセプトはどうしたことか、それとはまた少し違う変質を成そうとしていた。


『ふむ。動きを止めたか。始末する予定だったが……このまましばらく動きがないのであれば持ち帰るということも視野に入れるべきか?』


 先ほど即時撤退ではなく、目撃者の始末に敢えて残ったことで思わぬ素体が手に入ったかもしれない。仮面の男がそう思案していると、先ほどの鬼凶魔二体が時久の方に向けて歩いていくのが見えた。


 時久は倒れてこそいるが、まだその身体は僅かに動いている。息がある証拠だ。


 このままなら自分が手を下すまでもなく、凶魔達がそのままとどめを刺すだろう。もうと判断したのか、鬼凶魔達はセプトの方には軽く視線を向けただけ。これならわざわざセプトに攻撃せぬよう処置をする必要もない。仮面の男はそう考えた。


 遂に鬼凶魔達は、セプトの横をすり抜けて時久の所に辿り着く。あとは倒れてまともに身動きできない目の前の獲物に自身の剛腕を振り下ろすだけ。


 示し合わせたわけでもなく、二体はほぼ同じように腕を振り上げ……そのまま時久に振り下ろす。その時、



「……“風壁ウィンドウォール”。“強風ハイウィンド”」



 一陣の風が吹いた。



 時久が叩き潰される直前、鬼凶魔達の腕が急に何かに上から強く押されたかのように角度を変えて目標の手前に振り下ろされ、それと同時に猛烈な勢いで吹き荒れる風に押されて時久がゴロゴロと転がる。


 そして転がった先に立っていたのは、一人のフードを目深に被った少女。


「……まったく。私が居ない間無茶をしないようにと言っておいたのにこの始末。念のため先に一人でこちらに来て正解だったようね」

『何者だね?』


 仮面の男は油断することなく後ろ手に土属性の準備をする。


 こんな所に通りすがりがこの時間に来るという可能性は非常に少ない。なら目の前の相手は邪魔者だと判断し、溜めの時間を稼ぐために話しかける。なので相手がどう答えようとも関係はない。


 鬼凶魔達も、新たに現れ自分達の獲物をかっさらっていった別の獲物にグルルと唸り声を上げる。


「……別にアナタに名乗る必要はないわ。ただの傭兵よ。……だけど」


 少女は一度チラリと倒れたままの時久の傷口を見て、何か分かったように安堵の笑みを浮かべると、次の瞬間その表情に明らかな怒りを浮かべて目の前の敵を睨みつける。


 少女の静かな怒りに呼応するように、その周囲に風が吹き荒れ紫の毒霧を吹き飛ばす。


 霧が晴れると時を同じくし、丁度空を覆っていた雲が流れて三つ並んだ月が顔を出した。そして月明かりがサッと少女を照らし出す。


「私の雇い主に手を出したこと……たっぷりと後悔してもらいましょうか」


 少女……エプリもまた静かに溜め込んでいた魔力を解き放とうとし、


「…………っ!? 強風っ!」


 咄嗟に何かに気づいて身を翻すと同時に、倒れていた時久を強風で浮かせて自分の後ろへと飛ばす。


 次の瞬間、さっきまでエプリと時久が居た所を猛烈な勢いで火炎と氷雪が蹂躙した。


「ガアアっ! オレハ、コレデ、エイユウニ」

「何が英雄だっ! 良いからさっさとその剣を手放せっ!」


 続いてその場に現れたのは、既に赤い魔剣だけでなく青い魔剣にも侵蝕を受け、顔の一部を残してほぼ全身が赤黒い外殻に覆われつつあるネーダと、それを追って服の一部が焦げながらも駆けるヒース。さらに、


「おいボウズこの野郎っ! まだ死んでねぇだろうなっ!」

「ちょっち待ってよボンボーンさんっ! まだ解毒と腕の応急処置しか……ってトッキー大丈夫っ!? 生きてるっ?」


 申し訳程度の応急処置を終えてまだ傷口が完全に塞がり切っていないボンボーンと、時久を見て顔を青くするシーメ。


「……ふっ。騒がしくなったものね」


 エプリはこの様子を見て、まだ警戒は解かないまでも風向きが良くなったことを感じていた。


 今増えた凶魔らしき者を足して向こうは合わせて四体。こちらも初見の者も居るけど、戦えない時久と何故か妙な膜に覆われているセプトを除いて四人。これだけ居れば戦うにしても撤退にしても大分やりやすい。


 それは仮面の男も分かっていたのだろう。表情こそ仮面で見えないものの、僅かに焦った様子で一歩退く。


 そしてほんの少しの硬直状態の後、最初に飛び出したのは二体の鬼凶魔だった。知性の大半を喪失し、ほとんど本能のみで動く凶魔として、二体は最も近くに居た獲物であるボンボーンに襲い掛かる。


 ボンボーンはそのまま拳を握って迎え撃とうとし、


「へっ! しゃらくせ……何っ!?」


 突然ハッとした様子で慌てて大きく後ろへ飛びずさる。そしてそのまま追撃しようとした鬼凶魔達は………………


 鬼凶魔達の両手両足を貫き、まるで磔のように空中に縫い留めていた物。それはだった。


 その影は先ほどのネーダの攻撃の残り火で伸び、未だ影の膜で覆われているセプトまで届いていた。……いや、セプト繋がっていた。


 そして影の膜はハラリハラリと一枚ずつ解かれていき、遂に中に居るセプトの姿を露わにする。だが、


「…………セプト? アナタ……本当にセプトなの?」


 そこから出てきたのは異形のモノ。濃い青色だった髪は長く伸びて漆黒に染まり、やや細身ではあるがその背丈は明らかに普段より一回りか二回りは大きい。身体の線も女性らしくやや凹凸が見られる。


 その姿はまるで影のドレスを身に着けた様。僅かにだが確実に常時ブレており、見るとそのドレスの裾に当たる所が地面に不自然に繋がっている。


 見た目だけで言えばこれまでの凶魔に比べて明らかにヒトらしい。だが、その表情はベールのような薄い影に覆われて定かではない。


 そしてその何かはエプリの呼びかけに対し、





「アアアアAaaaar」


 もはや意味のあるかどうかも分からない。それでも、どこか悲し気なただの咆哮で応えた。

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