閑話 ある奴隷少女の追憶 その七


 暴走する魔力を上手く放出するのは難しい。私は一度だけ奴隷商の所に居た頃それに近いことがあったけれど、あの時よりも遥かに難しい。


 それはあの時に比べて魔力量が上がっているからと、すでに爆発寸前にまで魔力が溜まっていたから。なので、


「…………うっ!?」


 一瞬自分の魔力が抑えきれず態勢を崩しかける。同時に激痛が絶え間なく身体中を駆け巡る。


「セプトっ!? 大丈夫かっ!?」

「大丈夫。まだ、できる」

「何か俺に手伝えることはないか? 何でも言ってくれ」


 トキヒサが私を心配そうに見つめてそう言う。それはそうだろう。私が失敗すれば確実にトキヒサが巻き添えを食う。だけどこれは私にしか出来ないこと。手伝ってもらえることなんか……あっ!


「……じゃあ、倒れないように支えてて」

「分かった。任せろっ!」


 トキヒサは私の後ろに立つ。これでさっきみたいに倒れそうになっても大丈夫。


「次、いく」


 私は再び両手を上に翳す。感覚では、この調子で行くとあと十分くらい。それまで身体が保てば良いけど。





 どれだけ時間が経っただろうか? 全力で魔力を放出していく中、もう十分経った気もするし、まだ一分しか経っていない気もする。


 だけど何度か私が崩れ落ちそうになったこと。そしてその度に後ろから支えられていることから着実に時間は経っている。トキヒサはよくやってくれていた。だというのに彼の顔色は優れなかった。


 何故貴方がそんな辛そうな顔をするの? 貴方のおかげで私はまだ立てているのに。私の身体の内側で、何かが音を立てて傷ついているみたいだけど、貴方には一切傷が付いていないはずなのに。


「もう少し。あと少しで、安定する」


 きっと不安なんだろう。私が成功するかどうかで運命が決まるのだから。だから彼を安心させるべく私はそう話しかけ、


「…………っ!? あぁっ!」



 



 それはとても唐突で、完全に身体に力が入らなくなり、そのまま崩れ落ちる所をトキヒサが受け止める。だけど、


「セプトっ!? お前身体がっ!」

「……もう限界、みたい。ごめん、なさい」


 私の身体から、制御しきれず勝手に噴き出す魔力の黒い靄が周囲に溜まっていく。


「溜まっていた、分が、まとめて、出てこようとしている。これは、抑えられない」


 あと少し。あと少しのはずなのに、もう視界も朦朧としてどこか目の前のトキヒサも遠く感じる。私達を包む幕が軋む音が不気味に響く。


「ごめん、なさい。もう、逃げるのも、無理みたい」


 もう幕を内部から無理やり突破するという方法も使えない。私の魔力が幕の内部に溜まっている以上、幕が破れれば一気に爆発してしまう。


 私は目の前の仮の主人の命を果たせないらしかった。クラウンに比べればいくらか良きヒトだったのに。申し訳ない気持ちになる。だけど、


「…………一つ教えてくれセプト。本来魔力暴走って言うのはどうやって止めるんだ?」


 目の前の仮の主人は、まだ諦めてはいなかった。





「溢れ出す魔力を、他の誰かが、受け皿になって抑える。その間に、使い手が魔力を、制御する」

「……何だ。意外に簡単じゃないか」


 貴方では無理だと言ってもトキヒサは聞き入れようとせず、私は仕方なくやり方を説明する。


 簡単なように思えるけど、使い手と同じ属性じゃないと身体が耐え切れずに爆発する。私は闇属性。トキヒサはどう見てもヒト種だからまず闇の適性はない。だと言うのに、


「…………よし。話は分かった。

「……ダメ。貴方、死んじゃう」


 適性が無ければほぼ確実に受け皿には耐えられない。だから止めに入るのに、トキヒサは首を横に振る。


「どのみちこのままじゃ皆そうなっちゃうからな。なら一か八か試してみるさ。それに身体の頑丈さには少しだけ自信が有るんだ。さっそくやり方を教えてくれ。腕にでも触れてれば良いのか?」


 トキヒサは私を支え直して片腕を取り……いや。力を入れずにそっと触れている。この状態でもこのヒトは私を気遣う。


 この状況を何とかするにはこれしかないのは分かっていても、仮とは言え主人を傷つけるようなことはしたくない。だけどいくら止めてもこのヒトは聞き入れようとせず、仕方なく少しだけ魔力を流す。


「ぐっ!? ぐわああっ!?」


 驚いた。少しとはいえ、耐性がないヒトが受ければまともに動けなくなることもあるのに、このヒトは歯を食いしばって耐えている。


 ほんの少しだけ余力が出来たこともあって、私は上に掲げて魔力放出を再開する。


「……ぐっ! こ、これくらい大丈夫だ。言っただろ。俺は頑丈さには自信があるって。だから、構うことはない。もっと、魔力をこっちにまわせ」

「でも、これ以上は、貴方が本当に死んじゃう」

「だがこのままじゃセプトの負担がまだ大きい。セプトが倒れたら結局爆発だ。だから、もっとこっちに送ってくれ。……それに」


 トキヒサはそこで私の顔をちらりと見た。


「……美少女が頑張っているのに、何もできないなんて悔しいだろ? ……安心しろよ。俺は死なない。だから、やってくれ」


 このまま片腕分だけでも時間をかければ安定させることは可能かもしれない。この身が内側から砕け散る可能性の方が高いけど、仮の主人にこれ以上怪我をさせることはない。ただ、


 トキヒサが私を見つめるように、私もトキヒサを見つめる。そしてそこに浮かんだのはどこか強がっているような、それでいてどこか覚悟を決めた顔。


 もし目の前に居るのがクラウンならば、決して自分で痛みを引き受けようとはしないだろう。でも、今目の前に居るのはクラウンじゃない。


「…………うん」


 なら私はこのヒトの覚悟に応えよう。奴隷は主人のためにあるのだから。


 私は下ろしていたもう片方の腕を上げる。トキヒサへと流れ込む魔力が一気に増大し、その分制御する分が容易くなる。そして、


「…………っ!? ぐあああああああぁぁっ!?」


 トキヒサは先ほどとは段違いの魔力に叫び声を上げた。トキヒサの身体からも、流れ込む魔力が黒い靄となって僅かに放出される。だけど、そうして周囲に溜まるよりも、私が空に向けて放出させる分の方が多い。


「もう少し。もう少しだから」

「ぐああああああぁっ!」


 トキヒサはよく耐えていた。今彼に流れている量は、、耐性の無いヒトであればまず確実に意識を失い場合によっては死んでいる量。


 とても痛くて苦しいはずなのに、彼は私の腕を外そうとはしなかった。それも力の限り握りしめるのではなく、どこまでも優しく私に痛みが無いように。


 私は奴隷だというのに。ヒトではなくモノだというのに。どこまでも優しく扱っていた。





 そして、ついに終わりが訪れる。もう無理に魔力を放出しなくても良いほどに暴走は安定し、私は両腕を下ろして座り込む。その拍子にトキヒサの腕が外れたのが……何故だろう? 少しだけ寂しい。


「もう、大丈夫。まだ少し残っているけど、時間が経てば消えると思う」

「そっか。良かった」


 トキヒサは私の言葉に軽く微笑み、その場に腰を下ろそうとしてそのままバランスを崩した。咄嗟にボジョが彼をその柔らかい身体で支える。


「ありがとな。ボジョ。……それとセプトも」

「礼を言うのはこっち。助けてもらった。……そんなになってまで」

「いや、まあ、名誉の負傷ってやつだ。気にするなよ」


 トキヒサはそう言ってまた笑おうとするけど笑い話じゃない。トキヒサの身体は傷ついていない所の方が少ないくらいに傷ついていた。


 魔力が流れ込んで内側から暴れまわった結果、身体のあちこちは裂け全身細かい傷だらけ。本人は気づいていないようだけど、目や鼻の血管も切れたのか血が流れている。


 今もなお流れ出ている血が服を真っ赤に染め、足元に小さな血だまりを作っていた。




 私のせいだ。私が判断を誤ったから。仮の主人をこんなにも傷つけた。




 何がこのヒトの覚悟に応えるだ。私は奴隷でありながら、主人の意思だと理由を付けて無意識のうちにこの痛みを避けた。自身がこの痛みと傷を背負うことから逃げたんだ。


 こんなことなら、最初の通りに私が全て引き受ければよかった。奴隷の命で主人が傷つかないのならそれが一番だったというのに。


「それを言うならセプトもだぞ。そのローブの下はもう傷だらけだろ? 俺がこんなになっているってことは、セプトも似たようなダメージを受けているってことだからな。ちゃんと治療しろよ」


 全然似たようなじゃない。自分の魔力なのだから当然適性がある。だからこのローブの下の身体も多少裂けているだけの事。貴方の方がよほどヒドイ。


「さて…………うっ!?」

「大丈夫っ!? ……えっと」


 急にトキヒサが眩暈を起こしたように頭を軽く振る。血が足りていないんだ。このままじゃ。


 私はとっさに呼び掛けて、この時点ではまだ名前を聞いていなかったことに気が付いた。


「そう言えば言ってなかったな。トキヒサだ。トキヒサ・サクライ。流石にちょっと疲れたから、俺はここで少し休むよ。……セプトはどうする? 今なら逃げることも出来ると思うぜ」


 逃げる? どこへ? もう私は奴隷ではない。誰の奴隷でもなく、強いて言うなら貴方が仮の主人なのに。それにさっき私の事を話すと約束もしたのに。


「ううん。ここにいる」

「そっか。……じゃあ俺も、少しだけ……眠るよ。起きてから……話を聞かせて……もらうから」


 トキヒサはボジョに支えられて横になったままゆっくりと瞼を閉じる。まるでもう何も危険がないとでも言うかのように穏やかな顔をして。


「アシュさん達には……よろしく……言っておいて。ボジョがいれば……大丈……夫……だから」

「うん。待ってる」


 そうしてトキヒサは意識を失った。もう私の声が聞こえたかどうかも分からない。それでも私はと口にする。


 ジロウ。私は以前貴方の言っていたという言葉を信じる。時として逆に死の原因に成りうるとも言っていたけれど、それと同じくらいに約束はヒトの生きる理由になるのだという言葉を。

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