閑話 ある奴隷少女の追憶 その一


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「ほらほらっ! こっちだこっち!」


 そう言ってトキヒサご主人様が凶魔達を引き付けて行ってから少し経った。


 情けない。ここで蹲ることしかできない自分が情けない。


 クラウンに以前胸に埋め込まれた魔石が黒く染まり、まるでもう一つの心臓みたいに脈打っている。だけど多分それ以上に、私自身の心臓もさっきから煩いほどに鳴っている。


 このままじゃトキヒサが危ない。そう考えるだけで胸が苦しくなる。私はトキヒサの奴隷だというのに、なぜトキヒサの傍に居られないのか?


「……はぁ……はぁ……ふぅ」


 呼吸を整え、少しでも痛みを和らげようとする。……ふと、こんなようなことが以前もあったのを思い出した。





 私が物心付いた時、私の世界は小さな檻の中だけだった。


 外に出ることはほとんどなく、出るとしても時折最低限の日の光を浴びる程度の時間だけ。


 他にも見える範囲で檻はいくつかあり、その中の住人もまた時折入れ替わった。老いも若いも男も女も、様々なヒトが入っては出ていく日々だった。





 私の母は奴隷だ。なぜそうなったのかは詳しくは分からない。生活苦で自分を売ったのか、何かの罪を犯したのか。何度聞いても教えてはくれなかった。


 ただ、奴隷になった少し後で私を身籠っていたことが分かり、そのまま大分経ってから牢屋の中で私を産み落としたというのは間違いない。


 父親が誰かも教えてはくれなかった。いや、母も分からなかったというのが正しいのかもしれない。心当たりが何人もいるらしく、その内の誰かだろうという。


 奴隷が子供を産んだ時、その奴隷に家族や親族などの引き取り手が居ない場合に限り、その子もまた奴隷として所有者の物とされる。付け加えると、そもそも奴隷商は国に出産の正式な届け出自体をしていなかった。


 





 私の最初の所有者は、母を所有していた奴隷商だった。


 今にして思うと、その男はどうやら非合法の奴隷商としてはそこそこ手広くやっていたように思う。それなりの数と種類の奴隷を抱え、それでいて餓死させない程度にはちゃんと商品の手入れもしていた。


 質の悪い非合法の奴隷商だと、劣悪な環境故に奴隷に餓死や病死が多いという話を他の奴隷から聞いたことがある。


 それを考えると、年に数名程度しか奴隷にそういった者を出さなかったのだから、やはりそこそこ良い奴隷商だったのだろう。


 ただ、流石に奴隷をいちいち鑑定できるほど余裕があるわけではなかったようだけど。





 私は他の奴隷と比べてほんの少しだけ待遇が良かった。それは、私が届け出のない生まれながらの奴隷だったからだ。


 合法の奴隷は、自分で金を稼いで自分を買い直すことができる。罪人の奴隷も同じだ。働けば働いた分だけ罪が減り、決められた分だけ働けば解放される。


 ただ、生まれながらの奴隷はそうじゃない。そもそも奴隷以外の何者でもなく、最初からどこにも居場所がない。


 そういった奴隷は、後ろ暗い稼業のヒトや特殊な嗜好を持ったヒトに重宝される。使い潰そうが何をしようが、届け出のない以上身元不明の奴隷としか分からないからだ。


 だからなのか、私は奴隷としての最低限の教育を受けただけで、それ以外を奴隷商から教わることはなかった。なまじ余計な知識を与えることを避けたのかもしれない。


 だけど、他の奴隷達と話をする内に、多少ではあるけど知識を得てはいた。それが余計な知識なのか必要な知識なのかは分からないけれど。





 母は奴隷としてよく働いていた。それが自分自身を買い直すためだったのか、罪人として罪を償うためだったのか。


 ……あるいは、


 ただ結論だけを言えば、母はそれが元で身体を壊して死んだ。


「良い? セプト。あなたは幸せになってね。……私よりも、誰よりも。良いご主人様に出会って、幸せになってね。……それだけが、私の願いよ」


 母の最期の言葉は、今でもよく覚えている。でも幸せになるというのがどういうことなのかは分からなかった。良いご主人様に出会うというのも。


 私は奴隷なのだから。どこまで行っても奴隷でしかないのだから、良いも悪いもなくただ主人に従い奉仕するためにある。


 でも母は死の間際まで、一言も私のことを邪魔だなどとは言わなかった。だから、母の最期の願いは叶えてあげたいとは思った。





 私の次の所有者は、背の高い黒いフードを被った男だった。


「これと……これ。あとこれも。……ほぅ! 未登録の奴隷とは。……丁度良い。素体として使えるかもしれませんね。これも買いましょう」


 その日店に現れた男はクラウンと名乗り、私を含めた数名の奴隷を購入した。奴隷商を除き、私の初めてのご主人様である。


 クラウンご主人様は私達を見知らぬ場所へと空属性の転移で連れ込み、その日の内に特別な加工を施した魔石を私達の身体に埋め込んだ。


 身体に異物を埋め込まれる痛みを強引に治療術師の魔法で癒し、完全に身体と一体化したのを確認すると、クラウンはそのまま道具を使って私達の身体を調べ始める。そんな中、


「……ふむ。どうやらあなたは他の奴隷に比べて魔力がかなり強いようですね。クフフ。これは思わぬ拾い物です。……少し鍛えれば、盾ぐらいにはなるかもしれませんね」


 そう言って、クラウンは他のヒトとは別に私だけ転移で別の場所に連れて行った。それはどこかの建物の中。そして、そこにはクラウンと同じように黒いフードを被った男が居た。


「セプト。私はこれからしばらくやることがあります。あなたに私自ら手ほどきをしている暇はないので、この者に数日ほど戦闘訓練を受けなさい。……次に迎えに来るまでに、少しでも私の役に立てるように精進するのです」

「おいちょっと待てっ! なんでそうなるっ!? 俺に子供のお守をさせる気かっ!?」


 それだけ言って、クラウンはもう一人の男の文句を無視しながら、来た時と同じように転移でどこかへ行ってしまう。


 残ったのは私と、もう一人の黒フードの男のみ。


「ちくしょうっ! なんてこったい! あの野郎次に会ったら見とけよっ! ……ったく。それで? お前の名前は?」


 自分の名を名乗ると、男はやれやれと首を振りながら部屋に備え付けられた椅子に座り込む。


「セプトか。まあ……なんだ。押し付けられたみたいになっちまったけど、こうなったらそれなりに使える奴になって見返してやろうや。と言ってもクラウンの野郎のことだから、ちょっと使える物ぐらいにしか思わんかもしれないけどな。……ああ。自己紹介がまだだったな」


 男はそう言ってフードを脱ぐ。そこから現れたのは、黒髪黒目の無精ひげを生やした男の顔。


「俺はジロウ。ジロウ・ヤスナカってんだ。元サラリーマンで、今はしがない悪の組織の幹部……みたいなものをしてる。まあ数日間だがよろしくな!」


 ジロウと名乗った男は、私を怖がらせないためかそう言ってにっこり笑いかけた。

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