閑話 ある『勇者』の王都暮らし その二


 ◇◆◇◆◇◆


 ここで話は冒頭に戻る。


 日課となっている朝のマリーちゃんによる髪の手入れ(発案はイザスタさん)の途中、ふとマリーちゃんが先輩メイドさんから聞いた話を教えてくれたのだ。


 その中には、『剣聖』と呼ばれる人物がもうすぐこの王都にやってくるというものがあった。


「なんでも、これまでは北にある……えっと、交易都市群? いくつもの町が集まった国に行ってたんだって。そこで悪い魔族と仲良くして悪いことをしようとするヒトが居ないかどうか調べてたんだけど、急に戻ってくることになったらしいよ」


 交易都市群。以前この世界のことに関する授業でも話題に上がったことがある。マリーちゃんの言う通り、いくつもの都市が集まることで国に近い規模まで膨れ上がったというものらしい。


 そのスタンスがまた独特で、『ヒト種、魔族、獣人等問わず、どんな種族であっても拒まない』というらしい。いわゆる中立国だ。勿論都市によって程度はあるし、種族は問わなくても犯罪者などは拒む場合もあるらしいけど。


 位置的にヒュムス国と魔族の国デムニス国との中間にあり、そのためヒト種だけでなく、獣人や魔族とも地理的に近い都市では堂々と交易を行っているという。中の悪いデムニス国と直接の戦争になっていないのはこの国が在るからだとも言われている。


 それには少し納得だ。いくら何でも国一つを突っ切っていくわけにもいかないし、迂回するにしても時間がかかる。それに他の国とも交易しているのなら、下手なことをすればそっちも黙ってはいないだろう。


 建前上はヒュムス国に従っているし、それぞれの都市の都市長の何人かはヒュムス国で選ばれた人が就いてはいるけれど、必ずしも言う事を聞く訳でもない。敵対はしていないけれど油断できる物でもなく、交易自体はこちらにもかなりの利があるので止める訳にもいかない。痛し痒しの相手だというのが授業での評価だった。


「う~ん。つまり査察ってこと? 聞く限りでは『剣聖』というと凄く強い人みたいだけど、なんだかイメージと違うね」


 そんなに強い人なら、ファンタジー的に言えばドラゴンとかそういう人の手に余る相手と戦うものではないだろうか? それこそ『勇者』なんて皆にも言われた私に言えることじゃないかもしれないけど。


「これまでも時折行ってたらしいよ。今回は……この前のことがあって急に戻ってくることになったんだって」


 話している途中、一瞬だけマリーちゃんの言葉が詰まり、そしてまたすぐ普通に話を続ける。……まずかった。あの時の襲撃のことを思い出させてしまったかもしれない。


「……大丈夫だよユイお姉ちゃん。最近ではお父さんの怪我もだいぶ良くなってきたし、お金も少しずつ貯まってきているってお母さんも喜んでくれたの。だから気にしないで」


 逆に気遣われてしまった。こんな良い子に気を遣わせるなんてっ! ちょっと自己嫌悪だ。だけど落ち込んでいるとまた気を遣わせてしまいそうなので、無理やりにでも気持ちを奮い立たせる。


 そのまましばらく部屋には髪を梳く音のみが響き渡る。ちなみに今現在この部屋には私とマリーちゃんしかいない。本来なら部屋付きのメイドさんが常に一人か二人別に待機しているのだけれど、朝のこの時間だけは無理言って二人にしてもらっている。


「……よいしょっと。よし。出来たよユイお姉ちゃん!」

「いつもありがとうね。……辛くない? もし嫌だったらいつでもやめて良いからね」

「ちっとも辛くないよ。これもメイドのお仕事の内だし、マリーいつもお母さんに髪を梳いてもらってたから誰かの髪を梳くのって憧れてたの!」


 そこにトントンと扉をノックする音が響き渡る。タイミングピッタリ。私が扉を開けようとすると、マリーちゃんがいち早く反応して扉に小走りで駆け寄る。何でも自分でやりたがるお年頃なのだろうか?


「はぁい! おはよう! 今日も良い天気よん」

「あっ! イザスタお姉さん。おはよう!」

「おはようございますイザスタさん。今日もタイミングピッタリですね」


 イザスタさんはここ最近決まってマリーちゃんが髪を手入れし終わる頃にやってくる。一度どうして分かるのかと訊ねたけれど、「フフッ。ナ~イショ!」とはぐらかされてしまった。毎日の習慣を完全に読まれている感じだ。


「フフッ。今日は珍しく『勇者』全員が朝食に揃っているみたいよ」

「本当ですか? それは確かに珍しいですね」


 朝食は『勇者』用に用意された貴賓室に集まって摂るのだけど、朝食の時に全員揃うのは意外に少ない。私と黒山さんはよく朝食の時に顔を合わせるのだけど、明は少し早めに摂ることが多いので度々入れ違いになる。


 逆に高城さんは少し遅い。朝食にしてはやや遅い時間にやってくる。噂によると、よく自分の部屋から気怠そうな感じで女性と一緒に出てくるらしい。これは……つまりはそういうことなのだろうか?


 深く考えると顔が赤くなってくるので、軽く頭を振ってこれ以上考えないようにする。


「まあせっかくの機会だし、久しぶりに皆で集まるっていうのも良いんじゃな~い?」

「そう……ですね。じゃあ早速行くとしましょうか」

「マリーも!」

「いけません」


 マリーちゃんも同行しようとした時、部屋の外に控えていた少し年配のメイドさんにがっちりと腕を掴まれる。マリーちゃんの教育係であるローラさんだ。もう二十年もこの城で働いている古株のメイドさんで、これまで何人ものメイドさんを育ててきたという。


「マリー。研修の時間ですよ。あなたはまだ半人前なのですから、一刻も早く一人前になるためしっかりと勉強をしませんとね」

「え~っ!」

「え~っじゃありません! その言葉遣いもビシビシ直していきますからね。それでは『勇者』様。イザスタ様。マリーは研修がございますので一度退席させていただきます。代わりのメイドが同行いたしますのでお許しくださいませ。……行きますよマリー」

「分かったよ。それじゃあユイお姉ちゃん。イザスタお姉さん。またね!」


 ローラさんが優雅に一礼して歩き出し、一緒に半分ローラさんに引きずられるような感じだけど、マリーちゃんもこちらに手を振りながら去っていった。代わりにローラさんと同様に控えていたメイドさんが傍にやってくる。


「今日もマリーちゃん捕まっちゃったわね。お勉強頑張ってほしいわよねん。それじゃあユイちゃん。気を取り直してお食事に行くとしましょうか!」

「そ、そうですね」


 ほとんど毎朝繰り広げられるこの光景に少しほっこりしていたとはなるべく顔に出さず、私はイザスタさんやメイドさん達と一緒に朝食に向かうのだった。


 イザスタさんが口元に手を当てて笑っていたのでバレているかもしれないけどね。





「あっ! 優衣さんおはよう。お先に食べてるよ」

「おはよう明。今日はのんびりしてるのね。高城さんも黒山さんもおはようございます」


 部屋に入ると、イザスタさんが言った通り『勇者』全員が集まっていた。普段明の傍にサラさんが付いているように、それぞれ自身の付き人と一緒だ。イザスタさんは一応全員の護衛兼付き人扱いなので、少し私から離れて全員の動きに目を光らせている。……ちょっと寂しい。


「今日は起きてすぐにやることがあってね。それを終わらせてたら少し遅くなってしまったんだ。だけど久しぶりにみんな揃ったからたまには悪くないかな」


 明はそんなことを言ってニッコリと笑う。


「よお。おはようさん月村ちゃん。今日もイザスタの姉さんと一緒か? 仲が良いねぇこのこのっ!」

「おはよう月村。良い所に来たな。黒山がやたらに話しかけてくるので困っていた所だ」

「まあそう言うなって高城の旦那。旦那は普段朝食に顔を出すのが遅いだろ? こんな時じゃなきゃのんびり話も出来ないもんな。訓練中とかは話しづらいし」

「だからいつも気安く話しかけるなと言っているだろうに。あと旦那ではなく高城さんか様を付けろ」


 黒山さんは朗らかに、高城さんはどこか気難しげに挨拶を返してくれる。


 意外にこの二人は仲が良いのかもしれない。歳は離れているし性格もまるで違うのだけど、黒山さんの方がかなり社交的で高城さんに合わせている感じだ。なので高城さんもそこまで嫌っている訳ではなく、その結果上手い具合にまとまっているというか。


 実際この二人は最近連携も上手になってきている。黒山さんが持ち前の風属性で速攻を掛けて相手をひっかきまわし、その間に高城さんがゴーレムを何体も作って物量で押し切るというのが最近の鉄板戦法になっている。


 実際これで付き人さんとの模擬戦にもなんとか勝利を収められるようになった。手の内がバレているから絶対ではないけどね。


 私も空いている所に座ると、待ってましたというかのように控えていたメイドさんが私の前に朝食を並べてくれる。相変わらず手際が良い。これを見ていると、マリーちゃんもここまで出来るようになるのか考えてしまう。


「う~ん! 今日も美味しそうね。さあさあユイちゃん。アタシ達もいただきましょうか!」

「そうですね。では、いただきます」


 私は手を合わせてそうしっかりと口にする。こうして、私月村優衣の一日が始まるのだ。

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