第139話 ああ。ラーメンは偉大だな

「…………おまちどう」

「ありがとうございます」


 俺は店主からラーメンを受け取り、そっとテーブルの上に置く。


 そのどんぶりからは出来たてであることを示すように真っ白な湯気が立ち上り、中で具材と麺が存在を主張している。まるで早く食べろ早く食べろとせっつくかのように。


「いただきます」


 ぐぅ~と小さく腹の虫がなり、俺は挨拶もそこそこに箸を構えて猛然と目の前のラーメンに挑みかかった。


 最初に食べるのはやはり麺だろう。俺は麺のみをまず摘まみ上げ、そのまま勢いよくすすり込む。


 熱いっ! だが美味い。麺はやや固ゆでと言う所だが、その分しっかりとした歯ごたえがあり食事をしているという気分を強く意識させる。


 他の具材は薄切り肉、輪切りの煮卵、そして軽くネギのような野菜を刻んでまぶしただけのシンプルな物。だが逆にそのシンプルさこそが、このラーメンに対する店主の強い自信と意気込みを表しているような気がしてならない。


 肉は麺とは打って変わってとても柔らかく、箸でも簡単に割くことが出来る程。だが決して食べ応えが無い訳ではなく、噛む毎にじわっと染み込んだスープが肉の旨味と共に舌に響いていく。この味は……豚肉に似ているがかなり上質な物だな。


 ネギのような野菜は味こそやや薄いが、他とは少し違ったシャキシャキという食感で結構楽しい。


 そして卵だが、良く煮込まれた卵は中の黄身も合わせてとてもまろやかだ。あえて純白の卵ではなく良く煮込まれて茶色がかった煮卵にすることで、より強くスープの味を際立たせる。


 そう。スープだ。これらの麺と具材をまとめ上げて一段階上の味に引き上げている立役者は間違いなくスープなのだ。レンゲ代わりの木製のスプーンを使い、スープのみを掬い取ってじっと見る。


 スープはキラキラと黄金色に輝き、それでいて澄んでいるのだから驚きだ。どれだけ丹念に灰汁取りをすればここまでになるのというのだろうか? 俺はそっとスープを口に含み…………知らず知らずの内に涙を流していた。


 これまで三週間ほど食べていなかったという事もあったのだろう。食べることで郷愁の念を思い出させたという事もある。元の世界に居た頃はよく母さんの手製のラーメンを食べていたものな。


 決してロクなモノを食べていなかったというわけではない。特にここ最近は都市長さんの屋敷で結構豪華な食事をしているもんな。あの食事に不満があるわけでもないのだ。


 だが、だがそれとは別に敢えて言わせてもらいたい。


「俺は今……美味しいものラーメンを食べている」

「………………あの、何を言ってるんだか分からないんですが」


 おっと。某グルメ番組よろしく心の中で喋りまくっている内に、外で待たせていたジューネがしびれを切らして入ってきたみたいだ。まあ仕方ないか。いつの間にかそれなりに時間が経っていたみたいだしな。それじゃあ簡単に説明するとするか。





「デート用の店を見繕ってたっ?」

「そ、そういうことだ」


 唖然とするジューネに、ヒースは少し苦々しげにそう言った。まあジューネが唖然とするのも分かる。噂とは全然違うもんな。……まあ講義をさぼっていたのは悪いことだけど。


 折角食べ物屋に入ったってことで、俺はジューネが来る前に全員分のラーメンを先に注文しておいた。今は皆で席に着き、目の前に置かれたラーメンをがっつきながら事の流れを話し合っていた。


「ラニーがいつダンジョンから戻っても良いように、僕は常日頃からこういう隠れた名店を探しているんだ。候補は多少余裕を持って見繕っていた方が良いからな」

「なんだ。そうだったんですか」

「それで見つけたのがこの店で、ここのラーメンが個人的にも気に入ったらしくて時々来ているんだと。そうでしたよね店主」

「……へい。数日おきにいらしては、ラーメンを食って夕方ぐらいに出られます」


 歴戦の料理人という感じの店主が、見かけと同じ渋い声でそう答える。まあヒースの気持ちは分かる。このラーメンはかなりレベルが高いからな。リピーターになったんだろう。


 俺はまた一口ズズッと啜る。うん。やはり美味い。涙が出そうに美味い。


「そんなに美味しいんですか? どうも初めて見る品で心の準備が」

「まあ一口食ってみろよ。セプトなんかすぐに食べ始めたぞ」

「美味しい。美味しい」


 俺の横の席に座って、セプトもモグモグと口を動かしている。やっぱり箸は使いづらいのか、小さなフォークで麺をパスタのように巻きながら口に運ぶ。口にネギっぽいものが付いてるぞ。後でちゃんと拭こうな。


 ちなみにボジョもこっそり触手を伸ばして麺や具材を取り込んでいる。食う度にプルプルと震えているのでどうやらお気に召したみたいだ。


「箸が苦手ならセプトみたいにフォークで行くか? 店主に言えば出してくれるぞ」

「…………では私もフォークでお願いします。どうにも箸はアシュやトキヒサさんのようにはうまく使えなくて」


 店主がすぐにフォークを用意してくれて、ジューネもおそるおそる麺を少し巻き付けると口に運ぶ。すると驚いたように目を見開き、そのまま次の一口、そしてまた一口とフォークが止まらない。


 ふっふっふ。堕ちたな。流石ラーメン。異世界でも人の心と胃袋をガッチリと掴んで離さない。


 そのまま全員でラーメンを平らげると、水を貰って腹を休めながら話の続きをする。


「え~っと。つまり、ここしばらくヒースが講師にいちゃもんつけて講義を抜け出していたのは、この店みたいなデートスポットを探していたから……ってことで良いのか?」

「…………ああ。それにしても、お前達はどうしてここに? まさかつけてきたのか?」

「ごめん。買い物中に偶然ヒースの姿を見つけてな。今の時間は講義中のはずなのに何処へ行くのかって気になってさ」


 一瞬ヒースの言葉が詰まったような気がしたが気のせいだろうか? 呼び捨てにも反応しなかったし。だがひとまずそれは置いておこう。


 ヒースの追及だけどここで嘘を言っても仕方がないので正直に話す。まあ都市長さんの頼みもあったし、ジューネの聞いた噂が無かったら店に突入まではしなかったと思うけどな。


「ふんっ。油断してたな。と言うよりお前達がこそこそ隠れながら追ってくるのが上手かったと言うべきか。父上も妙な奴らを差し向けたものだ」

「元はと言えば、ヒース様がこんな時間に出歩いているのも悪いのですよ。それも都市長様が気に掛けるくらいに何度も。デート場所を探すくらいなら普通に言えばいいんですよ」


 ジューネがヒースの言い分に反論する。怒ってというより諭すようにといった感じだ。あれくらいのことじゃやっぱり怒らないか。


 ……ちなみに俺も怒ってない。実際にこそこそ隠れながら追っていたんだから間違ってないもんな。あとラーメンを食って心に余裕が有るっていうのも大きいな。


「父上に話したら確実に護衛が付くだろう。それにここら辺のやや治安が悪くなり始める場所ならなおのことだ。こういう所にこそ名店が多いというのに」

「だからって講義をさぼってまで行くのはどうなんだ? 勉強は一応大事だろ?」


 俺も好きではないけどやっておいた方が良いっていうのは分かる。実際今もジューネに勉強会をしてもらっているものな。読み書きくらいは出来るようになっとかないと。


「それに関しては前にも父上に言ったが、あの程度の奴らに教わることは特にないな。僕が数日教わっただけで大体先の流れを予想出来てしまうのではマズいだろう。続けても復習程度にしかならないし、それくらいならこうして外に出て、自由に時間を使った方がまだマシというものだ」


 自信満々に言っているが、もし本当だとしたら凄いな。一を聞いて十を知るという言葉があるがまさにそれだ。


 都市長さんが以前ヒースのことを、剣術も学問も出来るため大抵の相手を自身より下に見る悪癖があると言っていた。それはこういう事かね。


「ではアシュのこともそんな風に思っているのですか?」

「アシュ先生は数少ない例外だ。確かに倒れるほど厳しい鍛錬だから得意ではないがな。まだまだ勝てるイメージが湧かないし、実際戦いでためになる動きや言葉は数多い。僕が教わるに十分値するヒトだ」


 言葉自体は偉そうではあるが、そう言うヒースの表情はアシュさんへの敬意を思わせるものだった。


「もう良いだろう。父上に報告するのなら好きにしろ。どのみちもうすぐ……いや。何でもない。僕はもう少しここで食休みしたら屋敷に戻る。満腹の状態で先生のしごきを受けたら気持ちが悪くなりそうだからな」

「分かりました。この件は都市長様に報告させていただきます。先に戻っていますから、あとから来てくださいね。……それと、なるべくはやはり講義はさぼらない方が良いと思いますよ」

「そこは俺も同感だな。一応向こうも教える専門家なんだろう? ならじっくり話を聞いてみたら教わることもまだあるんじゃないか?」


 ヒースは一言「これからは少し控える」と言ってそのまま目を閉じ、俺達はヒースを残して先に帰ることにした。


 もたもたしているとエプリが心配して迎えに来るかもしれないしな。それに、おそらくあの感じならヒースもこのままさぼったりはしないだろう。お勘定を払い、皆で店を出る。


 ちなみにラーメンは一杯百五十デン。ラーメンのみではやや高めな気もするが、あの感動を味わえたのだからこれぐらい安いもんだとも。また個人的に来よう。

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