あとがき

三月は、特別な季節です。

自分の誕生月というのもありますが。

巡りくる三月に、馳せる想い。


亡くなった祖父も、三月生まれでした。

こどもの頃、祖父は「戦争の時は、食べ物が無かった」とよく口にしていました。

祖父は出兵し、腹部を撃たれました。負傷したことで戦線離脱し、結果的に帰国することができた。命を繋いだのです、私たちに。

祖父のお腹には、その時の手術痕がありました。

食べ物のことばかり話していた祖父が、一度だけ、戦地の話をしたことがありました。

轟音がして鉄砲で撃たれた、という語りは途中で途切れ、よく聞き取れないままに、唐突に終わりました。

祖父は、本当に語りたいことは語れないままだったのではないかと思います。

遠い瞳をしていた。

祖父の一部はまだ、戦地を彷徨っているのではないか。

当時、私はそんなことを感じました。


与謝野晶子の「君死にたまふこと無かれ」は、今も私たちの胸を打ちますが。

愛する者を戦地に送り出す哀しみ。愛する者を残して旅立つ苦しみ。その想いを語ることさえ許されない、というのは、どんなに辛く、酷いことだったろうかと思います。


或る年の三月。

未曾有の災害が起きました。

私は地方自治体職員として、被災地の業務を手伝うため、派遣されました。

現地で見たのは、果てしなく続く瓦礫の山。

瓦礫といっても、近づいて見れば、一つ一つが日常を彩っていた品々なのです。

お会いした方々から、あの日の話、あれからの日々の話をお聞きしました。

胸が潰れるようでした。


一週間の派遣の間、私は渦高い思い出の品々の中を彷徨う夢を見ました。

派遣後も、その夢は続きました。

そこには何の感情も伴わず、ただ淡々と歩むだけの夢でした。


派遣された職員には産業医による面談が義務づけられていました。私は特に深い考えは無く、義務だからというので、面談を受けました。

そこで初めて、派遣された中で感じた私自身の想いと向き合いました。


その日の夜、私はまたあの夢を見ました。

夢の中では、津波が迫っていました。

私は心底、恐怖を感じました。

そこで目が覚めた。

それを最後に、私はその夢を見なくなりました。


想いが凍りつくことがあるのだと、思いました。その中を彷徨うことがあるのだと。

一週間派遣されただけの私でさえそうなら、あの方々は、どれだけの苦しみを抱えておられるだろうか、とも。


1月に偶然、私が派遣された地の復興を描いた映画があると知り、観ました。

夢で彷徨った場所は、長い時間をかけて整備され、人々の願いが込められた、美しい街並みが築かれていました。

そこに至るまでの日々を、想いました。


私たちは、想いを織り込みながら生きていく。

何があっても。

ありふれた日常に、想いを刻み。

命の炎を繋いでいく。


三月。私の中に渦巻く想い。

当事者でない私に、何が言えるだろうかと思います。そんなことが、許されるだろうかと。

それでも、私を通して現れた想いを書くことは許されるだろうかと、迷いながら書き始めたのでした。


物語は、私だけの想いではなく、これまで出会った想いと交じりあって、生まれてきます。

私は拙い書き手であり、片隅でひっそりと生きているだけです。これからも、陽が当たることは無いだろうなと思います。

それでも、私を媒介として物語が生まれるのは奇跡のような出来事であり、それが最後まで現れてくれたことに、感謝したい。そんな風に思うようになりました。

思うように書けない、何か違う、伝えられなくて苦しい。

それでも、物語を書き上げた時には、自分自身がまず、星を捧げるような気持ちで。

物語への感謝を込めて。

ここまでお付きあい頂いたあなたにも、心から。

どうもありがとうございました。



また、この季節が巡ってきました。


三月を、忘れない。



令和2年3月11日

プラナリア



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三月の雪女 プラナリア @planaria

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