4-25. 復活
半ば引きちぎれていた布を、骨のような手がゆっくりと、引き裂き始めた……内側から。
シャオとアルメリカが声をあげすて黒布を賢明に引き剥がす様は、まったく場違いながら胞衣の中から子牛を救い出すのに良く似ていた。
漆黒の屍衣の中に横たわっていた人間……男の顔には一切の血の気がない。
アルメリカが背中を支えて上体を起こしてやる。
足を片方、不自由そうに動かす。髪の毛は耐え難い辛苦によって生気を吸い取られたかのように半白だ。
硬く閉じられていた目が、ゆっくりと開いた。いかなる想像よりも鮮やかに燃える緑の眼光がミケランがずっと秘めてきた記憶を照射し、痺れさせた。
「おじ……! グレン、グレン! ……グレン!」
誰よりも先に、シャオが歓喜のままに男の首に抱きついた。
そのこともまたミケランから思考能力を奪い去るに十分な事態であった。
(なぜ御前が、誰よりも真っ先に、熱く感激している?!)
意識だか魂だかを取り戻したグレン・フレイアスの強面は、自らを抱擁する青年の正体を認識すると驚愕と唖然の間を激しく揺らめき、やがて怒気一色に染まった。
それでもいつまでも離れようとしないその肩を突き飛ばすのだけは我慢していた……あるいは単にまだそこまで四肢に力が入らないだけだったのかもしれない。
一方、違った意味で今にも昇天しそうに取り乱している者もいる。
「ダメっ……それだけはやめて、シャオ様! お願い、殺される前に戻ってきてっ!」
アルメリカの悲痛な叫びを聞きつけたグレンが頬をひきつらせた。
なにか、口にすら出せないほどの、養女に対する懸念があるようだ。そして、自分にまだ抱きついているシャオ王子に向かって「お前は……!」…と怒鳴ろうとする。
が。グレンのしわがれ声はそこで止まり、明らかに言い直した。
「……“貴方”が、厚顔無恥にもしつこく“そのつもり”なら、それでもいいでしょう。しかし……何が一体どうなっているのだ。どうやってのこのこ、私の目の前に現れおおせた?! 今度は脱獄囚の“モノマネ”、ですか」
生き返ったばかりのグレンの言い草はとても命の恩人にして最も勇敢なる貴公子に投げるに相応しいとは思われない。
気にしていないのは例によってシャオだけだ。青年はようやく身を離すと、無礼千万さすら愛しむように優しく微笑む。
「いいえ……ウィンドルン総督が貴重な磁器の返礼にと出してくれたそうです。よく覚えてはいないのですが」
グレンがマーカリア語の罵りを二、三発し、殺意に満ち満ちた眼差しになる。ウィンドルン総督とやらは今この現場に居なかったことを感謝すべきであろう。
峻厳な眼がぐるりと辺りを見回し、ミケランを通り過ぎたあと戻ってきて、じっと据えられた。
忘れていなかった。彼は、この自分を忘れていなかった。
「ミケラン王子……お久しぶりです。このような形で御国をお騒がせして申し訳ありません。何はともあれ、いますぐ、ジャルバット王に謁見する必要があるかと存じます」
ミケランが、何事かを答えようとしたその時……
「その必要はない……この島の王朝は今日、この日を持って終わるのだ。新しき王朝は、貴様らの墓穴を踏み台に、この私がひらく……!」
硬く冷やかなその声は、頭上から降ってきた。
揺れ続ける階段の向こうにたいまつを高く掲げた、真紅の僧衣の人影が現れる。
ランダが、階段の最上段に立ってこちらを覗き込んでいる。
背後にはずらりと、たいまつを掲げた僧兵たちがいる。力づくで埋もれていた通路を突破してきたらしい。
「ランダ……!」
グレンが、嫌悪感に満ちた声で敵の名を唱和する。
ランダは、崩落した壁の向こうから姿を現した地女神の巨大な姿を見てかすかに息を呑んだあと、グレンだけを睨み下ろした。
「グレン・フレイアス……よくぞ地獄から舞い戻ったものだ。だが緑神の加護はもう貴様から消え失せたようだな。もっとも私はお前が本当に緑神に祝福されたなどとは信じていない……マンドラの神が、長年修行を積んだ僧侶たちをも差し置いてなぜ改宗して三日の外来人などに姿を現す道理が在ろう? お前が出会ったものは神ではない! さもなくば……緑神そのものが、邪に堕ちていたか、だ。たとえそれが神の貌をしていようと、私が殺す。正しき者が報われるまで、何度でもな!」
自分のほうに正義があると信じ込んでいる人間の声が、闇の空間を震撼させる。
「……正しき者?」
ずっと塞いだ顔色をしていたグレンの頬に、冷笑的な表情が戻ってくる。
「私はこの世界の半分を巡ったが、そのような者にはどこでも出会ったことはない……王に毒を盛り、虚言を吹き込んでは狂気の檻に閉じ込め、聖なるものを穢したお前ほどに罪深い者にも、な。だがもはや血は多く流され過ぎた……新王の御世をこれ以上、昏くしたくなはい」
「黙れ、悪叉崇拝の偽善者、西方の金の亡者どもめが! 貴様には出会った時から腸が煮えくりかえる思いだった……この聖なるマンドラ島に疫病を持ち込むがごとき外来人めに、あの女悪叉(セリカ)が微笑みかけていた貌……あれがマンドラにも、そして我が心にも焼印刻印のように呪いをかけた! あの女こそ神々を堕落させ、西方諸国にこの国を売り渡そうとしたのだ。このランダ、たとえどれほどの劫火に焼かれようとも貴様とあの女の所業を許さぬ……許さぬぞ!」
あまりの憎悪に皆が絶句した。が、その時。
「……ランダさん、言いたいことは色々あるけれど、とりあえず貴方は俗世からやりなおしたほうがいいと思うわ。優しい娼婦たちが相談ぐらいなら聞いてくれるかも」
アルメリカが、冷やかさにさらに侮蔑をふりまぜたような声で言い放つ。
グレンが立ち上がろうとする。ヴェガが無言で肩を貸す。
「貴様が畏れたのはばかげた陰謀などではない……彼女の美しさが、自分のためだけのものではないことを、だ」
「………!」
「私には、分かる。だが私は貴様とは違う。私は―――ずっと正気だったのだからな!」
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