4-22.勇気のありか


 地下へ降りる階段の前にはすでにシャオと船員たちも駆けつけていた。皆、血まみれ、ぼろぼろではあるが、どうやら切り伏せた敵から浴びせられたもののほうが多いようだ。

 一方、ランダ一派はシャオとミケラン王子たちがまさか呪われし地下空間への階段に殺到するとは思っていなかった様子だ。

 ジャルバット王の間に殴り込むものだと考えていたのだろう。

「……奴らを止めろ!」

 すでに暗闇の階段を駆け下りはじめていた一行の背後からランダの声が響く。

 地下の輝石が、煌々と脈打つように輝いている。

 まるで、進み続けるシャオとアルメリカの足取りに息を合わせるかのように。

 この二人が真にどういう関係なのか推測すればきりがないが、確かに、今までとは違う何かがこの王宮に起こる予感が満ちている。


 と、その時、またしても足元が突き上げた。

 立っていることが出来ない……揺れへのあまりの恐怖で。

 頭上でめきめきと聞きたくない類の音がし始め、砂埃がぱらぱらと落ちてきた。

「危ない!」

 シャオが叫び、ミケランを引っ張った。

 崩れ落ちた石の天上と壁が階段口を埋め尽くす。

 ルシンタが居ない。ウィルや船員たちもだ。こちらに来る前に、向こうに取り残された様子だ。


「い、生き埋めだ……おしまいだ……!」

 これまでもこの恐ろしい空間には何度も来ていたが、これほど狂おしい気分になったことはなかった。

「……先に進みましょう」

 たいまつを掲げるシャオに反論する気にもならず、ミケランはただ血の気だけを失っていった。

「わたしだっていくわ、シャオ様、もちろんよ!」

 レンヤと手をつないだアルメリカの横で、謎の死体を担ぎあげたヴェガもうなずく。


(冗談だろう、冗談だと言ってくれ。ここは我が父王とその邪悪な家臣……それに間接的にとはいえ、私だって……何人もの罪なき娘たちを放り込んできた、マンドラで最も恐ろしい悪所なのに!)

(行きたくない、行きたくない……!)

(皆が皆、お前たちのように前向きで、勇気に満ちた人間だと思うな)

(何の取り柄もない自分の前で完璧な人間であることを見せつけるな!)

(私は……本当の私は、ここに立っていることも出来ないぐらい、弱虫なんだ……!)


 張りつめすぎてきた心が切れて、わめきだしそうになる。

 こんなことに加わるのではなかった。王の裏をかこうなどと思うのではなかった。

 何かを成そうなんて考えるのでは、なかった。


 が、その時。

 世界が羨望する美青年の蒼い瞳が、呼ばれでもしたようにミケランに据えられた。

「行きましょう、ミケラン様も。闇が恐ろしいのは当たり前です」

「ははっ……闇? ……見え透いた情けは無用だ。私のことなどもう、放っておいてくれ! あざけってくれても構わない、私は……!」

 そこで、かっと目の前が赤くなった。

「こんな島……こんな島も大終焉で大陸と共に沈んでいればよかったのだ! それならば魔香が世界を惑わすこともなかった、東方大王が不老不死になることもなかった。貴方のサンガラ王国が、滅亡することだって。貴方は、私を……この島にいる無力な王子をあざ笑いにきたのだ、そうであろうが!」


 叫んでいるのに、沈黙が痛い。

 唯一の救い……それすらも自己保身だと感じる……それは、この子供じみた世迷言をルシンタには聞かれずに済んだ、ということのみ。

 お兄様……と、アルメリカが億劫そうに口を切った。

「疲れているのね。すごくわかるわ、自分のバカさ加減に嫌気がさして全世界を呪いたくなる気持ち………だからって、シャオ様に言いがかりをつけるのは許さないけど?」

「あ……アルメリカ、そなたこそ、この者のことを本当に好いて、いいのか? この者は女郎宿に居座っては堂々と女たちを誘惑し、そこな侍女殿と出会いがしらに口づけをかわし、興奮冷めやらぬうちに今度はそなたのような年下の姫と抱き合ってはいちゃつき始め……お、お主らはそんなことで、それで本当に、いいと思っているのか!」

 アルメリカが驚愕してレンヤを見上げたが、レンヤは素知らぬ顔でシャオにいまだ未練がましそうな流し目をくれる。


「こっちの王子様はかくも正しく欲求不満でいらっしゃるのに。本当嫌になっちゃう」

「……っていうよりお兄様、なんだかもう舅(しゅうと)みたい」

「アルメリカさんをそんなにも思ってくださっているのですね、兄上様!」


 やはり、シャオは只者ではない。ただ一人、ミケランの言葉を好意的に受け止めた。

 というより、今の話の主旨を理解していないようだ。反論しようとしたが、

「ではなおのこと、どうかわたしたちにお力をお貸しください!」

「ち……力? 私に、いったい何の力があるというのだ!」

「だってここは貴方の家でしょう? ならば貴方が見回り、見守らなければ。わたしたちがここに来たのも何かの巡りあわせ……貴方と貴方の御国を、アルメリカ姫の故郷をお助けしたいという誓いに偽りはありません」

 そして背後で崩れた入口を見た貴公子は、口元にうっすら笑みすらも浮かべた。

「彼らがここを突破してくるまでに、行けるところまで行きましょう」

        ※

 王の祭祀用の灯明に火を灯す。ジャルバット王が動かなくなってからはミケランが代行し、年に二度、新年と春分の日にだけ使われてきた。

 ところどころに置かれた水晶鏡によってその明かりが増幅され、洞窟全体がおぼろげに浮かび上がり、それによってこの忌むべき地下空間の全貌が見えてくる。

 削り取られた壁面にうつろう自分たちの影が元は天然の大洞窟だった空間いっぱいに揺らめく。

 壁面は人の手ですべて整えられ竜神紋らしき石材で覆われていた。

 いつになく潮の香りが強まっていく。ただそれは今のマンドラの岸部を漂うのと同じ、日差しの下で腐ってしまった干潟の生き物のような、不快な悪臭混じりである。 

 前方にはイルライ山の入口にあったものに形のよく似た巨大な“扉”がそびえたっていた。

 海竜と海魔を象った恐ろしげな守護者の彫刻が左右に彫り込まれている。


「二百年前まで、あの扉の向こうには大祭壇があったそうだ……初代王シュリガルの墓所が。東玻帝国が、その聖なる遺骸を持ち去り、塗り込めてしまった……」

「……それが、東方大王が手に入れた不老不死の秘密、ですか?」

「シュリガルは世界樹の種を呑み、不死身になって悪の竜王を倒したのだ」

「ふうん。“不死身”っていうわりにはあっさりお亡くなりよね? シュリガルさん」

 黙していたレンヤがひやりとするほど真剣に尋ねてくる。ミケランはためらった。

 この先は、おいそれと口には出来ない禁伝だ。

 しかし、もはや自分たちを見捨てた王家や僧院に義理立てする意味も無かった。

 元より僧院は、ジンハ教総本山を有する東玻帝国寄りである。


「……シュリガルは殺されたのだ。実の妹にして妃、そして古代大陸の末裔の血を引く呪い女の――――セリカに」

 セリカ、の名の符号にさしものシャオとアルメリカの貌も強張った。

「シュリガルは始めこそ賢王だったというが、やがて横暴に振舞うようになり、島の知恵ある動物たちをしりぞけて人間こそが頂点にあると考えるようになった。見かねたセリカは、“不死殺し”というこの世で最も恐ろしい魔香を作り出した。シュリガ、とは“王殺し”を意味した古語なのだ。この伝承に於いて以後王統はシュリガの女を妃にすることは無く、不干渉を貫いた。しかし東玻帝国が攻め込み、島の力が大幅に衰えたことでシュリガの方が王家の庇護を求めるしかなくなった……手っ取り早い“服従”の証が美しい娘を妃として献上することだ。それでも歴代王はシュリガ族とは一線を画していた……我が父王が狂乱し始めるまでは、な」

「つまり、この島の王朝は、二百年前に実質終わっていたようなものなのね」

 残酷な言葉をさらりと口にしたのと同じ調子で、アルメリカがくすりと微笑む。

「でも、とりあえずまだどうにかなるわよ。新しく、それらしいきれいなミイラの一つでも買ってきて、絹や綾や宝石で飾り立てて、初代王としてうやうやしく飾っておくといいわ」

「な、なんということを考えるのだ、そなたは、本当に!」

「そんなものよ王子様、どこの宮廷も、聖域も。正真正銘、って本当に少ないもの」

「ここが空(から)の聖地だというのなら……我らが求めるものは下にあるのでしょう」

 胎動のように不気味に明滅しつづける屍穴を見下ろしたシャオが、たいまつを下ろしながら、厳かなほど静かに、断言した。

「……降りて、見なければ」

「あ、貴方は、貴方には勇気がいくつあるのだ、シャオ殿?!」

 ミケランは怒り出す気力すら失せてうめいた。

 ふふっ、と混沌の霧を払う海風のように微笑みで返される。

「大嵐に揉まれたマスト上に比べれば、どこも池の飛び石みたいに頑丈に思えます。大丈夫、この先は私一人で。ヴェガ、ロープを……」


 死体袋を下ろしたヴェガから受け取ったロープをシャオが船員と見紛う素早い手つきで結び始めたその時。

 突如、屍穴からしなる海藻とも触腕ともつかないものが飛び出し、振り向いたシャオの腰に絡みついた。

 辛くも飛び退いたのはさすがに彼だったが、その隙に別に伸びてきた触腕が上半身を跳ね飛ばし、シャオは柱の一つに叩きつけられた。


 シャオ様! とアルメリカが悲鳴をあげた。


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