4-21. 知恵ある獣

 宮殿内部……客を迎える時は開けられるはずの窓も塞がれたままだった。

  何より、柱から下がっている人骨が片付けられていない。


 突如、闇に沈んだ宮中に燃え上がる炎の群れが前方、後方……四方に出現する。


 真紅の狩り装束に、獣の骨を装飾した鋼の胸当て、抜き身の鉄剣を下げた宮兵たち、たいまつと鉄の錫杖を構えた僧兵たちが揺らめき出る。

 呪術師たちが振り回す開閉式の香炉の中で、空気に炙られた香が黒煙の中の落日のように紅く燃え上がった。


「炎神(イード)よ……その息吹でもって悪叉のごとき反逆者らを焼き尽くしたまえ!」 


 号令とともに次々に投擲される“魔香玉”に向かって、タルタデスの五人の戦士たちが一糸乱れぬ方陣形で大盾を構えて迎えうつ。が……

 盾に当たった魔香玉がはじけ、白色に燃える水となって盾を一挙に燃え上がらせた。あまりの炎熱に溶解する大盾をタルタデス人が投げ捨てた。 

 味方が怯みかけたその時、 

 不意に、ブウウン………という、腹の底から響くような重低音が、辺りの闇の中に響き渡った。敵の呪術師たちも顔を見合わせた。尋常ではない気配は次第に明確な羽ばたきの音となって、肌に触れそうなほど迫ってくる。

「な……なんだ、これは」

 呪術師が、顔に飛び掛かってきたものを血相を変えて叩き落した。

 床に落ちたのは、蝙蝠だ。王宮の中にまでなだれこんで来たのは蝙蝠の群れ。

 異常に猛り狂り、急降下してはジンハの僧兵たちを翻弄する。だが彼らは皆、それ以上の手出しが出来ずにうずくまり、ひたすら腕を振り回すだけだ。

 これは本来、山の洞窟に住み、夕暮れに出てきて虫を食べる種類のはずだ。このような昼間にこんな所まで出て来る種類では決してない。であれば……


(知恵ある蝙蝠たち、か……!)


 今でもこの島の動物や植物たちは太古のシュリガの意識を宿していると言われ、森にあだなす者たちを見張っている。

 ここの動物たちをみだりに殺し続けていては、さらなる“神罰”がやってくるとマンドラ人は信じている。

 振り向くと、闇の暗がりでカーラが一心不乱に何かを念じていた。

 この“怪異”の隙に体勢を立て直したシャオの船員たちが曲刀(カトラス)や手斧を抜き放った。


「野郎ども、ちょいと船より揺れが足りねえが気張れ。船長の道を開くんだ!」


 航海士たちの号令を合図に、うなりをあげて両者は薄闇の中で激突した。

 長柄のついた巨大な鉄斧の下をすり抜けたシャオが敵の武器に軽く手をかけて勢いを保持したまま回し蹴りを放った。脛を砕かれ、悲鳴をあげて倒れ込む大男から軽く身をひねり、次の瞬間には立ち姿勢に戻っている。

 そして、ついにシャオはサンガラ王家の魂の遺宝ともいうべき宮護刀を抜き放った。 


 うねる紅蓮の炎を、波濤を掠める鳥のように舞い上がる白刃のきらめき――――


「行くよ――――ハル!」


 昨夜煮え湯を飲まされた“陸鮫”どもがずらりと右手に嵌めこんだ鉄爪で迎え撃つ。

 左手につけた手甲を交差させる突撃体勢で、青年に一挙、肉薄した。

 宮護刀に押し返された鋼の爪が文字通り断ち切られ、黒色の床の上に音を立てて落下した。返す刃とシャオの眼光が奔ったと見えた瞬間、敵の左肘から先が宙に飛んだ。

 やけに遅れて鮮血が噴き出したが、それがシャオの身体を濡らすことはない―――すでに次の“陸鮫”に向かって跳躍している。


「わたしはツバメです。そなたらは……陸のアザラシ、か?」


 おのれ! と戦士たちがいきりたつ。自らをツバメと称したシャオのつま先が柱を蹴り、軽々とその頭上を飛び越えて背後を突き―――! 

 が、その時、突如首根っこを掴まれたミケランは抗議の声をあげた。

「無礼者何をする、今、際どい所なのだぞ!」

「勝手に見惚れないでよ、引きつけて下さってる間にとっとと行くわよ、お兄様!」

 レンヤと手を繋ぎ、憔悴してもなお目敏いアルメリカが半眼で言い放つ。首飾りにかけた手は離してくれない。

「さあ、こちらへ!」

 ルシンタが誘導する。地獄から逃れるためにさらなる地獄の下層へと下るのだ。


 芙蓉宮の構造は広大で、複雑だ。なにせ、本来は総本山にも匹敵するほどの大寺院だったのである。

 四方にそびえる八角の大塔、無数の柱で支えられた大回廊は宇宙の四方を表し、方形の中庭には神々を祀った御影石の拝殿が、主神・緑神を囲むように立ち並ぶ。謁見の間や王族の住まいはこの神域の奥の岩山の中に建て増しされた部分だ。ただし、地女神(エリシタ)神殿だけはまるで明るい地上を避けるかのように神域からも王宮からも隔たった地下にある。

 旧き地女神の神殿跡に急ぐ一行の前に、全身を骨鎧で固めた僧兵が立ちはだかった。

 鎖のついた棘まみれの鉄球を振り回しながら。 

 威嚇と同時に柱にぶち当てられた鉄球が轟音をたててめりこんだ。ぱらぱらと、つる草模様の装飾が崩れ落ちる。思わず我を忘れて逆上した。


「愚か者が、うちの王宮を壊す気か!」

「殿下、いいから自分の頭を下げて大事にしなさいな!」


 レンヤがミケランを叱咤しながら身をかがめた。

 伸びた鎖を再び手繰り寄せた僧兵は、飛び出した雄々しい影……左右の手に斧を下げたヴェガに向けて鉄球を狙い定め、振り下ろした。体躯の大きさからは想像出来ないほど鉄球は変幻自在だったが、それをほんのわずかなひねりでかわし続けるヴェガは確実に間合いを詰めて行った。

 劣勢を見て取った兵が横合いから切りかかる。ヴェガの戦斧がたちまち喉を切り裂き、闇の中に絶命の血臭が舞い散った。

 が、僧兵はその味方の死をも利用しようとしていた。鉄球がヴェガの頭上に落雷めいた轟音を立てて振り回された。

 ミケランばかりかルシンタまで次に起こる惨事に悲鳴をあげた。骨が……いや、硬質なものが砕け散る異様な音がした。


 四つん這いになって跳躍したヴェガの背中の棺桶の側面が大破する。


 そうだ、彼は今まで、あの想像しがたいほどの重量を背負いながら戦っていたのだ。今や身体に巻きつけていた革帯を解き放ち、棺は黒床に投げ落された。

 壊れた面からどさり、と何かが飛び出した。黒い布で厳重にくるまれた、その長いモノは……


(しっ……死体?!)


 いや棺から死体が出てきて仰天することもあるまい、とミケランの醒めた意識の方が言う。

 生者が出て来るほうが余程おかしい。

 確実なのはここで突っ立っていてはヴェガがこれから成すであろう“本番”の邪魔になるということである。


 解き放たれた野獣のようにヴェガの肉体は跳躍し、二本の斧が閃いたと見えた瞬間、驚愕に目を見開いた僧兵の頭がそのままの表情で毬のように宙を舞い、重い鉄球は飼い主を催促する犬のようにぐらりと“胴体”を引っ張りこんだ。

 どう、と倒れる僧兵の死体。噴き出す溶岩の如き血だまりの中に悠然と舞い降りたタルタデス人の鬼気迫る姿に、兵たちが潰走し始める。


 当面の敵をすべて一人で追い払ったヴェガからは生暖かい血の匂いがした。大股で戻ってくるとアルメリカが可憐な衣装をひらめかせて無言でその彼の腰に抱きついた。

 少女に応えて屈みこんだ戦士が抱擁し返す。乙女と軍神が織りなす神話の一場面でも見ているかのような清らかさに、満ちて。


 二人はそっと中身を検め、ウェガがそれを予備のロープと共に慎重に肩に担ぎ上げた。

 くたりとまがった所をみるとミイラと言うわけでもなさそうだ。もしかしたら蛮族たちが崇める御神体人形か何かである可能性もある……


 ミケランは、口出しを控えざるを得なかった。

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