4-17.邂逅
「アルメリカ……アルメリカ、さん!」
「……うそ。アルメリカ……いえシャオ様なの? うそでしょう!」
「嘘ではありません、わたしです、わたし、なんです、アルメリカさん!」
叫ぶシャオが岩を鳥のように飛び越えた。
アルメリカも傘を放り出し、うそ、うそ! と悲鳴に近い声をあげながら肩のヴェールが後方に吹き飛ぶのも構わずに駈け出した。
伸ばした指先がからみあう。
皆が唖然と見守る中、もつれ合うように二人は抱き合い、そのまま草地に座り込んだ。
「ああ、信じられない、信じられない! 本当に“君”なの? 幽霊じゃないの? ああ、幽霊じゃないのなら、もっときつく抱きしめて……!」
溢れる感情のままに青年の首に抱きつく少女。
青年もほとんど必死になって抱き締め返す。想い人同士というより生き別れの兄妹同士のように……
彼らの表情(かお)は、ミケランに見せてきたものともはまるで違っていた。
それは絵に描いた花と、本物の花くらいの違いに思われ、ミケランの心は重くなった。
「何よ……あの二人、やっぱり“出来て”たんじゃない」
レンヤが心底失望したように呟いたが、ミケランとしては"このような事態"を看過することは出来ない。
なにせアルメリカは、自分の嫁になる可能性のある娘である。
しかしあまりにも完璧に出来上がっている"二人の世界"には、自分如きが付け入る隙もまた、まったく無いのであった。
「すみませんでした、すみませんでした……アルメリカさん、何もかもわたしが未熟だった、せいで……!」
「いいえ、わたしに謝ったりしてはだめ、シャオ様! 元はといえばわたしが色々やりすぎたせいなんだから」
「アルメリカさん、見間違えました……まるで妖精のようです」
「貴方こそ、なんてたくましく……でも少し、お痩せになった?」
「貴女はとても、とっても綺麗になられた。でもお体は大丈夫ですか」
「もちろん……なんて素敵な日。貴方を見ただけで、こうして触れあっているだけで、生きる気力が戻ってくる……たくさん、たくさん話がしたいわ……!」
このまままた接吻まで始めたらさすがに止めようと思ったが、幸いこの二人はそこまでは至らなかった。
ともかく互いの存在……というより感触を確かめ合い、むさぼるように見つめ合うだけで必死であるようだ。
「ああ……本当に、一刻も早く二人きりになりたいわね、シャオ様」
シャオにひしと抱きついたまま、少し冷静になり自分の置かれている状況を考え始めたらしいアルメリカが”想い人“の肩越しにミケランをキッとにらんできた。
(私が、そんなにお邪魔虫なのか……確かにそうであろうが……いや、違う! 王宮から脱走したお前達が悪いのであって、私は、何も悪くない!)
もう勝手にしてくれという気分になりかかりながらも歯ぎしりしそうになる。
アルメリカはともかく、シャオはもう少し後ろめたそうにしてもいいのではないのか。まだ先ほどのレンヤとの熱い口づけの感触すら残っているだろうに。
大体この短時間の間に年上から年下まで入れ食いとは、あまりにも節操が無さすぎる。
(くそっ、ただ立っているだけで女たちの方からむらがってくる男とは、こういうものなのか? どちらが花でどちらが虫なのか、分からぬわ!)
というよりなぜ先ほどから自分は何もかもそっちのけで女の事ばかり考えているのか。
「……ところでアルメリカさん、あの、ヴェガが背負っているのは……?」
「死体じゃないの、ちょっとした重病人が入ってるだけ。アザだらけになって後で訴えられたりしないように布でくるんだし意識は無いまま、大丈夫なはずよ……多分ね」
その時である。
「何者じゃ……そちは!」
じっと、陰から窺っていた影が姿を現し、シャオを激しく誰何した。
杖をつき、襤褸が生きていると見紛うようなその正体は……
「……大神女(カーラ)?! お前こそいったいこんな所で何をしている?!」
ミケランが叫ぶと、
「あ、ごめんなさいね殿下、この御婆さん、実はあたしの知り合いだったのよ。連絡が行き違っちゃって、ちょっと危ないところだったのだけれどね」
レンヤが緊張感の欠片も無い声でミケランを牽制する。
「大神女、さま?」
シャオが聞きとがめたように問いかけた瞬間。
ぎらぎらと燃え盛っていたカーラの目が改めて美青年を睨みつけたままかっと見開かれた。
「ひいいっ……?! な、なに……そこな若人……主は、主は……まさか?!」
まさか、こんな老婆までもが一目でシャオの魅力のとりこに?
ミケランが冷や汗をかく中、カーラがよろよろとシャオに取りすがろうとする。
シャオは迷わず屈みこみ、ためらいもせず、老婆のわななく手を取り、引き寄せた。
「いかがなさったというのです、大神女様? わたしの身に、何か?」
「何たること! そうであったのか、ぬしら、"そう"であったのか……!」
カーラが、シャオと、近づいてきたアルメリカ、双方の身体に触れて嗚咽し始める。
老人というものはとかく涙もろいものだが、見ればアルメリカの声も震えている。
「そうなの、"そう"なのよ……! やっと分かってくれるのね?! お婆ちゃん!」
「ああ、分かった……分かった。何もいわんでよろしい、“娘御たち”……この婆、あやうく何もかも見過ごす所じゃった! これはマンドラの神々の悪戯じゃ、マイラの混濁した予兆を読み取れなかったこの婆を許してたもれ、許してたもれ……!」
「だったらお婆ちゃんから皆に説明してあげて! そうすれば、わたしたち、もう……」
何事か謎めいた懇願を始めるアルメリカにややあってカーラはかぶりを振った。
「いいえ……いいえ“姫様”。それは……出来ませぬ、いや、今はまだ、しないほうがよろしいかと」
「なぜです?」
ほとんどかすれ声のように、シャオも低く真摯に問いかける。
「……なぜなら、悪戯といえども神々の御意志は人知では計り知れぬからですじゃ! 誰のどの行いが正しくどれが間違っておるのか、誰にわかりましょう? ここまでお二人が命を賭けて“それ”を護り抜いてきたことにも必ず意味があるはずですじゃ、すべての道が交わったと分かるその瞬間(とき)まで、貫くべきですじゃ! ……そう、婆は思います。それでもなお、もはや心が耐えられぬというのであれば……お止めだてはしませぬが」
じっと、シャオとアルメリカが瞳を交わす。
決して責めあうようでもなければ、恋人同士のように情熱的でもない。
ここがたどり着いた世界の果てでもあるかのように、ただしばし互いの在るがままを貪るように見つめ合い――――やがて少女の方がシャオ様、と沈黙を破る。
「わたし、もうこの世界に神様が居ないのだとしても誓うわ、もうちょっと頑張るって。でもね……でもね、もしもこの先すべての終わりが来ても貴方はそのまま貴方として生きて頂戴。わたしのすべてを貴方にあげるって、いま、そう決めたの」
青年の頬を、愛撫するというより確かめるように触れ、澄んだ笑みを浮かべて見せる。
「生まれてきてよかった……本当に、心の底からそう思っているの。生まれて初めてやりがいのあることをやり遂げた、って。何もかも貴方と出会えたおかげよ。自分はずっと意気地なしで……その上ひどい嘘つきだったけれど、これだけは、信じてね」
その手を、シャオが黙って握り返す。
彼の笑みは冴え冴えと、娘に向けられていた。
しおれてもなお首をもたげようとする花のような娘のために、地上に降りてきた月の化身のように。
「アルメリカさん、わたしも、少し前に決めたのです。もう身代わりに誰かを失ったりはしない……絶対に。必ず“戻る”方法があるはずです。不可能ではありません、だってわたしがマンドラ島に来られた奇跡が起こったぐらいなのですから! 大神女様、わたしたちは心を決めました。どうか道を指示してください」
「うむ……是、じゃ。そなたらを正しき在り様に戻せるのは緑神様だけじゃ。山に登り、神々の声を聴きなされ!」
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