4-16. 美女と美男と
イルライ山の周囲には、かつて芙蓉宮を囲んでいるのと同じく周壁が巡らされていた。
だがここ数百年ですっかり森に呑みこまれ、境目が分からない。
その名残りが唯一見て取れるのが、入山道の周囲に盛り上がる古い遺構だ。
背中にしょいこんでいた大盾をかざしたタルタデス人たちが隊列を組むようにして前に進み出た。叫び声からすると前方にまた何かがいるらしい。
が、ヴェガが小さく何かを号令すると即座に戦闘隊形を解いて引き下がった。
「……まったく、味方が一番物騒なのって、あたしの定めか何かなのかしらね……」
古びた石垣の陰に潜んでいたたおやかな影が、手に構えていた筒のようなものを白い太ももにつけたベルトに隠し込むのが見えた。
切れ込みの入った絹のドレスからちらりとのぞく素足がいっそう艶めかしい。
「レンヤ?!」
そう、姿を現したのはアルメリカの侍女だった。
主人たる娘は見当たらない。レンヤの目が呼びかけたミケランを素通りし、まじまじと、シャオを見つめ続けた。
あまりの美貌に目が離せないという風ではなく、真贋でも確かめるかの如く。
「ちょっと……シャオ……ン? 嘘でしょう?! なんで、なんでこんなところに突然現れるのよ?! 何がどうなってるの? 話が全然違うじゃない!」
「レンヤ、さん……?」
「あたしを担いだのね?! あの性悪娘と一緒になって!」
ただならぬ身のこなしでいきなり胸倉をつかみあげられたシャオは、驚いて制止しようとする船員たちを「大丈夫」と冷静に押しとどめ、
「その性悪娘、さんは、どこにおられますか?」
「この先の岩場で休んでいるわ。彼女、神魔の森の方に近づくと具合がますます悪くなってしまって……それなのに絶対に行くってきかないし。ねえ、何とか言いなさいよ――――!」
「申し訳ありません。わたしと、我々に起こった数々の出来事、それにかかわる方々に対し、どう言葉を尽くせばよいのかすら分からないほど……わたしも心苦しいのです。出来ることならこの胸を切り裂いて、すべてをさらけ出してしまいたいぐらいに。でもわたしには、役目がある。わたしが負うときめた役目……自らのすべてを知らなければならないという使命が」
おののきながらも、真に迫ったシャオの眼差しにレンヤも気圧された様子だ。
「貴女の名前も、思い出すらも分からないわたしというものをどうか受け入れて下さいませんか。わたしは多分、貴女の知っていたわたしとは……違っているのです」
ふとレンヤは辺りを見回し、少し難解そうに眉をひそめつつも剣幕を収めた。
「……とにかくそういう設定なのね? とりあえず、分かったことにするわ」
シャオの顔からようやく視線を離したレンヤが短く息をのんだ。
青年が腰に帯びている刀を凝視したまま、震えている。
「それは……貴方……まさか」
ミケランは、これほど美しい女にこんなに潤んだ目で見つめられる気分というものを想像しようとして、無理だとさとった。
彼女は肩で息を一つして、目を閉じ、豊満な胸の谷間に収めていた首飾りを引っ張り出してみせた。
渦巻き型の貝、《大終焉》前に生きていたという貝のペンダントだ。それを見ながら……
決して他の男たちのように胸の起伏そのものに意識を奪われたりはしていないシャオが囁く。
「もしや貴女はわたしに、何か他にも答えをお求めではないでしょうか? 貴女には出来る限り、答えて差し上げたい。どんなことでも」
いいえ、とレンヤはたっぷりと時間をかけたあとに一層低い声で告げる。
「……答えはもう出ていますわ。彼は――――やっと帰ったのね……」
シャオが刀を鞘ごとゆっくり抜き取り、立ち尽くしているレンヤの手に握らせた。
「この刀を持っていた人の魂は、我が命と同じ重みを持っています。生涯忘れることはありません……彼が示してくれた生き方にかなうようわたしなりに努力し続けると、あの海で、あの風の中で、誓いました。そしてその人はわたしに、世界のどこかでこの刀を見て呼び止める方には、”よしなに”……と」
その瞬間、レンヤはぎゅっと閉じた目から大粒の涙をこぼし、異国の言葉をいくつか口にした。シャオはそっと女を引き寄せ、異性にというより同志にするように抱擁した。
「……あたしに、それを持つ資格があるわけじゃないわ。貴方が、いい、と思うまでは持っていて。さあ、アルメリカならこっちに居るわ。それにしても、貴方……ねえ?」
レンヤは彼女以上に放心の体(てい)で佇むシャオに再び向き合うと、腕をのばして首に絡めた。
出会いがしらの敵意が嘘のように、彼女が彼を見つめる目は不安げに揺れ、じきにそれは彼女自身の内面の揺れとなり、燃えあがり始めた。
ため息が出るような曲線を持つ肢体が密着し、ついばむように唇が重ねられ、やがてしっかりと合わさった。
驚き、すこしぎこちないながらもレンヤの肩をふわりと抱き返し、シャオも返す……どこまでも広がる晴れた海のごとき優しさと、いたわりを込めて。
完膚なきまでの敗北感のどん底から見つめるばかりのミケランをルシンタが肘でどついた。
我に返り、半開きにしていた口を慌てて閉じる。
しばらくして、絵物語のように美しい男女のうち、女の方が、そっと唇を離していく。
なぜか、泣き出しそうな顔……いや、それを認めまいと気丈に振舞っている顔だ。
彼女はシャオから、彼女が望んでいた反応を引き出せなかったようだ。
「……すみません。わたしは貴女をとても好ましく思っているのです、でも」
「そういうのは沢山、あたしの事はどうぞそのまま都合よく忘れて頂戴。挨拶してみただけだから。でも……一生忘れられそうにない、口づけだったわ」
そう言って、片目をつぶってみせたレンヤ。
行為の後になって急にはにかんだように顔を赤らめるシャオに、何とも言えない羨望の眼差しを送る男たち。
(本当に? 本当にこうも素っ気なくこのような女を振るというのか?! ただでさえ歩く女たらしの面構えのくせに純情であるなど、卑怯に過ぎるのではないか?!)
もはや愕然をはるかに通りこし憤激すら覚えているミケランはぐらぐらする頭のまま、ともかく気が急いたように先頭を行くレンヤとシャオを追いかけた。
やがて。斜面が始まる手前、開けた岩場の上に。
王宮から持ち出してきたらしい、見覚えのある白い日傘を夜にもかかわらず開いて、その下に丸まって横たわっている小さな影が見えてきた。
白く波打つ長い髪が揺れて、傘の下からゆっくりと顔を出す。
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