4-9.航海者たち
ウダトラ漁港、世間的にはただの漁村にミケラン王子の御輿の一行が到着したのは驚愕の知らせを受けた二日後であった。
それくらい島の南西部は僻地であり、ろくな路も整備されておらず情報収集にも手間取った。
ランダとアルメリカを見張らせるため、ルシンタは王宮に留め置いてきた。
日よけ傘を差しかけてくる不慣れな近習を鬱陶しく追い払い、ミケランは漁民たちがひれ伏している砂浜の先で立ち止まる。
青い空に、どこまでも白く続く砂浜。
波は最後の季節風に煽られて、高い。遠浅の砂浜は元より大型帆船が乗りつけられる場所ではない。
その沖合いに――――まるで幻影のように、くたびれた真っ黒な帆船が投錨している。
大風でもあったのなら風が運んできた幽霊船かとも思えただろう。不気味というより、いったい誰があんなところに許可なく船を置いたのだと言いたくなるほど場違いだ。
青い旗と緑の旗が帆柱の先端に素知らぬ風情でひらめいている。黒い船体は東方風なのに帆柱はよくよく見ればマーカリア船に近く、妖しげでありながら頑強そうだ。
あれこそが、先ごろ世界をにぎわせていたサンガラ王国の最後の王子セイミ・シャオが率いる“聖なる囚人(ヴァダーラ)号”らしい。
(だが西方大陸に到ったという東方船が、なぜ我が島の南からやってくる?)
分からない、まったく、上下左右も分からぬ阿呆になったような心地になる。
地元の漁民の話によると乗組員数人が最低限の補給を済ませたあとは、ずっと船の上に陣取っているという。王国の出方を見ているか……何かを待っているのだろう。
「い、いかがなさいますか、殿下……こちらから仕掛けますか?」
肝を冷やしながらも同行してきたサトゥラが逃げ腰のまま汗をぬぐう。
ミケランは、黙って頷いた。こちらの素性を大音声で言わせてみた。
すぐに、黒い船が生きていた証拠のように動き始める。
帆を装備した小型艇が数人の漕ぎ手を乗せてついに海岸に向かってやってくる。
やがて砂浜に先端を乗り上げるか否かという瞬間、待ちかねるかのように一人のすらりとした姿態の青年が立ち上がり、軽々と波打ち際に降り立った。裸足だ。
海風が、完璧なまでの均整美を持つ長身に羽織った金糸と蒼の美しい上着(シュバ)を翻す。
“海龍文”……あれは東方の高貴なる血筋だけに許された文様だ。
自信に満ちた足取り。少し乱れたようにのびた黒髪をそよがせ、水夫が大体そうであるように胸の前は少しはだけた彼の姿を強い日差しが照らし出す。
精緻に整った顔立ちは端麗そのもの、風雨にさらされてもなおきめの細かい肌はうっすら日焼けし、荒っぽい身なりもまた野趣を添えている。
ミケランの前で一礼し、澄んだ青玉色の双眸を上げ、形のよい口角をほころばせた。
無性に、眩しい……全てが。
「お初にお目にかかります、御国をお騒がせしてしまい、申し訳ありません。何分、満身創痍の身でしたのでポルテ=サスラまでも持たないと難航しておりました。入来山の頂きが水平線上に見えたときの喜びは例えようもありません。ああ、まだ浜辺だというのに……ほんとうに、ここの空気は温室と同じ香りがするのですね……!」
まるで夢見る美姫のように透き通る笑顔を浮かべた青年の唇が、信じられないほど流麗なマンドラ語で話しかけてくる。
夢なのか現実なのか、ミケランはとりあえず生唾を呑みつつ、答えるしかなかった。
「お、温室……とは……?」
「暖かな空気に閉じ込められた庭のことです。貴方様は、本物の庭にお住まいですね」
すべてがこの美々しい青年の背景に過ぎなくなったような視界の中、同船してきた船員たちがぞろぞろ上陸してくるのが見え、ミケランは我に返る。
全員が、船長よりもはるかに抜け目がなさそうに辺りに気を配っている。武器は携行していない。
青年が腰に巻いた黒い帯に腕の半分ほどの刃渡りの刀を差しているぐらいだ。
「……ところで、そなたは?」
ミケランの再度の問いに青年は礼儀正しく、しかも親しみを籠めて答えた。
「失礼、申し遅れました、わたしは聖なる囚人号船長のシャオと申します、殿下。まさか、殿下御身自らがお出でになられるとは……」
(ふ……ふん、敢えてサンガラ王子とは名乗らず船長、とへりくだってみせるのか。善人面をして。アルメリカが自慢していた絵空事のような男そっくり、ではないか……)
漠然とした不安、いや焦り、もしくは嫌な予感が胸に去来し始める。
「……シャオ、殿、か。なぜ、お主らは……上陸しない?」
「しても、よろしいのですか!」
ぱっと、シャオが無邪気なまでの笑顔になり、気が変わらぬうちにとでもいうように後方に控える船員に大喜びで合図した。
彼らが直ちに、手信号を送る。
「なっ、なんだあれはっ」
驚愕すべき“御来航”を見に集結していた漁民や沿岸警備隊らから、歓声とも悲鳴ともつかないどよめきが上がった。
船から次々に海に飛び込み、自力で泳いでくる逞しい水夫たち。
主に中央大陸(ヴァルダリ)人や西方人で構成された船員たち混じり、黒に近い肌色、腰布に肩帯のみをまとった筋骨隆々たる男たちが五人も波を割ってやってくるではないか。
どうみても、西南陸塊のたくましい戦士たちである。
大量に”流れ着いた“外来人たちに、漁民の子供たちが大歓声をあげている。無邪気なものだ。
「なぜ……なぜ、タルタデス人が?!」
「途中で彼らの土地に流れ着き、大いに助けられました。そのうえ、さらにわたしたちを助けてくれると申し出てくれたのです」
世界中から選りすぐったかのような屈強な男たちを平然と従えている細身のシャオの目の前から、ミケランは逃げ去りたい心地を我慢して踏みとどまった。
「それにしてもなぜ、貴殿らは規定の航路を使わず……かようのような方角から参ったのか?」
するとミケランの前に一人のマーカリア人商人が挨拶を求めて進み出た。こちらは海に飛び込んだりはせず、別の小型艇で乗り付けている。
金髪碧眼で身なりもよく、感じのよい表情を湛えた中年のマーカリア人だ。
「手前はウィンドルンで磁器商人を営んでおりますウィレム商会のウィルと申します、殿下。我らが危険に満ちた航路のあれこれにつきましてはこの私めが、謹んで。あ、古今東西磁器のことは何なりとご用命を。陶器と硝子製品もお取り扱い致しますので!」
男は大南海の船乗りの共通語たるヴァルダリ語で話しかけてきた。深々と頭を下げてくるところは礼儀をわきまえていることを伺わせる。
だが一方で早くも商機を伺おうとしていて、まさにマーカリア商人らしい抜け目のなさだ。
「我々は、世界の西の果てを見たいと願うシャオ船長の随員を仰せつかり、”帰らずの岬”に出向いたものの嵐に巻き込まれてしまいました。そしてそのまま沖合に流さてしまったのです。されども、そこで大変なことが判明したのです。実は船長はある男にウィンドルン銀行の貸し金庫に関する署名捺印を頂くのをお忘れでございました。で、私は私で、同じ男に前借りしていた金を返さねばならなかった、と。これが共に期限が九の月末日。これはいかんと大慌て……で、何はなくとも、その男の旅程に合わせねばと四苦八苦するうちに運よく風と海流を掴まえまして。世界を半周した挙句、偶然にもこうして新航路が開拓されたのです。両国にとりましてまことに目出たきことかと存じます」
「……ハンコを、もらうために、急ぎ参った……だと……?」
笑顔で首肯するウィレム商会のウィル。
(そうは参らんぞ、外来人ども……人畜無害を装いおって。お前達はきっと、セイミ・シャオの名を騙る大がかりな詐欺集団か何かに違いない!)
華やかな存在感とは裏腹に終始控えめに話を聞いていたシャオがふと視線を向けた。
「殿下、一つお伺いしますが、我々の先に……決して、後だとは思えませんが、マーカリアから船が来ていないでしょうか……?」
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