第143話 代々木訓練施設・テラスの攻防・3

 テラスの北側は確かランニングコースとベンチがあるだけの平たいスペースだ。

 開けた場所のはずだけど、赤い靄で奥が見えない。

 時々靄の向こうから現れるアリを鎮定で切り裂く。こいつらは大したことないな。

 

「助けて!」


 靄をかき分けるように大学生くらいの二人組の男の人が走ってきた。


「階段まで急いで。この辺の敵は大体倒しておきました」


「向こうでまだ戦ってる人が居た……助けてあげて」

「了解です。はやく逃げて!」

「ありがとう!」


 二人が慌てて走っていく。階段まではそう距離はないから大丈夫だろう。


「誰かいますか!」


 柚野さんが大きな声を上げる。耳を澄ませていたら小さな泣き声が聞こえた。 

 柚野さんに合図を送って鎮定を構えたままそっちに向かう。


「パパ……パパ」


 靄の向こうから声が聞こえてくる。小さめの人影と背の高い影が見えた。


「ねえ、起きて……ママ」


 靄が薄れる。

 ジャージ姿の5歳くらいの女の子が倒れた男の人と女の人をゆさぶっていた。

 地面には半分崩れかけた槍と血が池のように広がっている。

 その横には上半身が甲羅をまとった四本腕の人間、下半身がアリのような魔獣が立っていた。



 直立したアリって感じの魔獣がこっちを一瞥した。

 仕草で分かった。普通のアリじゃない、例の后種とやらか。 

 そのアリがこっちを見た後にその子の方を見て腕を振り上げた。


「何するの!」


 柚野さんがレイピアを構えて踏み込んだ。レイピアの切っ先が腕の先の爪を弾く。

 同時にその後ろの地面が盛り上がって、穴から這い出すようにアリの頭が現れた。


「させるか!」

    

 踏み込んで下段を薙ぎ払う。鎮定がアリの頭を奇麗に両断した。

 デカい包丁の様な牙を持った頭が地面に落ちて消える。


 息をつく間もなく後ろに気配を感じた。

 振り向きざまに鎮定を横凪にする。硬い物と鎮定が交錯して鋭い金属音がした。


 何かと思ったけど……長く伸びたアリの腕だ。

 長く伸びた腕が普通の長さに戻る。腕の先にはノコギリのような爪がついていた。危ない所だったな。


「先輩……ありがとうございました」

「どういたしまして」


 柚野さんがちょっと青ざめて言う。今のは意図的に背中を狙ってきたんだろうか。    女の子は無事だ。

 

『二人とも殺すつもりだったが、そこのものよりは手強いようだな』


 そのアリがしゃべった。

 前に戦ったやつほどのサイズは無いけど、やっぱりこいつも知性を持つタイプか


「なんだと?」 

『この世界の人間は愚かだ。実に簡単に意識がそれる。そこを付けばお前らを倒すことなど容易い。愚かなものは狩りやすい』


 アリが言う。

 芝生に倒れている女の人は背中に傷があった。

 逃げようとしたからじゃない……この子をかばおうとして背中から斬られたのか。


『ここは実に好都合だ。餌が多いだけではない。お前たちを狩るのにちょうどいい場所だ』


 守る相手を作ることによって隙を狙ってくるってことか。

 誰かをかばいながら戦うのはかなり神経を使う。銀座でよくわかった。

 やっぱりさっきの後ろからの攻撃は偶然じゃなくタイミングを合わせたらしいな。


『武器を捨てよ』

 

 アリがその女の子に爪を突きつける。その子が息を呑んで硬直した。


「この!卑怯者!」


 柚野さんが言うけど。


『やはりこの方法は有効のようだな』


 アリが平然と言い返してきた。

 シューフェンが言ってたな……そもそもこいつらには卑怯とかそういう概念がない。


『この領域の者は妙な力を持っているから個体としてはあの獣より手ごわいものも多い。しかしこうまでも愚かなら殺すのはたやすいな』


 アリが淡々と言う。

 横の柚野さんがこっちを見た……この膠着は相手のペースだ。戦いの場で相手にペースを握らせちゃいけない。


 あいつとの距離は5歩ほど。一足一刀の間合いだ。踏み込めばあの子が切られるより先に届く。

 後ろを取られても柚野さんが背中を守ってくれるはず。

 視線を交わすと柚野さんが頷く。鎮定を握りなおしてタイミングを計った。


『武器を捨てないならこの……』

「そうはいくかよ、アリンコ野郎!」


 アリの言葉を遮るように赤い煙が立ち上がってアリとその子の間に壁が出来た。



 アリが爪を振り下ろすけど、爪が煙にぶち当たった。

 煙がぐにゃりと歪んで爪を受け止める。


「おらあ!」


 気合の声と共にアリに向かって白い斬撃が飛んだ。斬撃が地面を抉りとってアリの手足を切り飛ばす。

 アリが残りの手を使って飛び跳ねるように起きた。


「子供に手を出すなんてよぉ……許せねぇよなぁ、親として」

「まったくだ」


 真坂門さんと薙刀を構えた五十嵐さんが赤い靄の向こうから姿を現した。

 真坂門さんが片手の巨大な球のような巨大な煙の塊を持っていて、その中には何人かの人が見えた。

 あんなことも出来るのか……便利だな。


「ありがとうございます」

「いいタイミングだったろ?」


『新手か?その餌を置いて行けば死なずに済む』

 

 アリの足の傷口から白い粘液が噴き出してきて、また足が元に戻った。

 相変わらず再生力は高い。


「そっちはどうですか?」

「何人かは救助したが……」


 真坂門さんが言葉を濁した。犠牲者が何人も出ていたってことだろう。

 煙で作った球の中に何人かの人影が見える。少しでも助けられただけマシなのか。


「真坂門さん。この子をお願いします」

「おうよ、任せておきな」


 煙がその子を大きな手のように動いてその子を包んで拾い上げた。


「もう安心だ。こっちにおいで、お嬢ちゃん」

「やだ!パパ!ママ!」


 泣き声を上げてその子が体をばたつかせる。

 真坂門さんが地面に倒れている二人を見て唇を噛む。煙が繭のようにその子を包み込んで声が小さくなった。


「悪いが俺はこいつらを守るので精いっぱいだ」


 真坂門さんの周りにはもう煙は無くなっていた。

 10人くらいを繭の中に抱え込んでいるからそりゃそうか。


「こいつらは人質を取ろうとしてくる。周りに注意して下さい」

「了解!」


 五十嵐さんが薙刀を一振りした。



 アリが僕らの後ろの真坂門さんと五十嵐さんを見た。

 

「これでもう卑怯な手は使えないわね!観念しなさい!卑怯者!」


 柚野さんがレイピアを構えて言う。

 アリの顎の間にある人の顔のようなものが歪んだ。笑ってるらしい。


『人間の二人位、どうということはない。私が獣共を何人食らってきたと思う?』


 そう言って、アリの4本の腕がまた鞭のように長く伸びる。

 そいつが威嚇するように爪を触れ合わせた。


『手足を落として生きたまま食らってやろう』

「やってみろよ」

 

 背後を襲われると厄介だ。半身のように立ち位置を変える。

 僕の意図を察してくれたのか柚野さんが背中を合わせるように立ってくれた。

 アリが体を振るように動かす。長く伸びた腕の二本がこっちに、二本が柚野さんの方に飛んだ。


 かなり速い。でも見切れないほどじゃない。迫ってくる腕を鎮定で斬り飛ばした。

 もう二本の爪を鮮やかなステップを踏んで柚野さんが躱す。鋭い突きが手に突き刺さった。


 白い体液が飛び散る。

 一太刀入れようと踏み込んだけど、アリが後ろに飛び退った。

 腕の千切れた部分から白い粘液が噴き出して、足が一瞬で再生する。柚野さんの刺した場所も塞がってしまった。


『なかなかの腕のようだな』

「甘く見ないでよね!」


『だが……この程度で私を倒すつもりか?』

 

 アリが大きく手をダメージが無い問わんばかりに振り回す。確かに浅い。

 やっぱり胴の部分というか急所を切らないとダメだな。でも、踏み込めないほど速くはない。


 どうするか考えたところで、柚野さんと視線があった。視線でちょっと待てという意思が伝わってくる。

 柚野さんがレイピアを一振りした。


「重くなれ!」


 柚野さんの声と同時に、レイピアが刺さった場所に光がともった。

 アリの足の先が重りを付けたかのように、長く伸びた足が地面にだらりと落ちる。

 体勢が崩れた。


『なんだ、これは?』

「今です!」

 

 柚野さんが言う。

 アリの腕が千切れて傷口から腕がまた生えてきた。

 切り離したのか。対応が早い。でもこの間があれば十分。


「一刀!断風!」


 踏み込んで袈裟懸けに鎮定を切り下ろす。

 受けようとする腕もろともに風を纏った刀身がアリの上半身を真っ二つに切り裂いた。


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