第48話 知識の泉は麗しく
二日後。
商人ギルドの搬入部屋の床に、紙パックに入った大量の牛乳がドサッと置かれた。
一リットルの紙パックにはピンク色のクモのロゴとともに『カレタ農場のクモ印ウシミルク』と文字が書いてある。俺とクモモが作った牛乳だ。
ギルド総長のイーノックは驚きの表情で牛乳パックの山を見上げた。
「こいつは……ワシらの想像を超えとるな」
会計のエミリアさんはちょっと引き気味で、
「目の前にあるというのに、信じられませんね……」
二人とも、天井まで積まれた牛乳の山に目を奪われている。さすがに牛乳10000リットルをいきなり納めたのはやりすぎたかな。
「差し当ってこれくらいの量を納めさせてもらいますね。市場に行き渡って値段が下がりだしたら出荷量を減らしますので」
「あ、ああ。ホンマ助かるわ。しかし、これでタルカスの奴も終わりやろな」
タルカス商会が独占していた農作物価格が適正水準まで下がり、大打撃を受けているという話は聞いている。この上牛乳価格まで下がると、タルカス商会は農作物市場での存在感を完全に失うだろう。
さらにタルカス商会は、農作物と抱き合わせで他の商品を高く売りつけるという抱き合わせ商法を行っていた。農作物価格の下落でがこれが出来なくなる。つまり、タルカス商会の扱っているあらゆる分野の商品が売れなくなるということだ。
俺が農産物を出荷しただけで、かなりの大事になってしまった。ちょっとかわいそうだが、裏で色々と悪いことをしていたようだから自業自得だ。俺とクモモも襲われたしな。
『レディの顔に傷をつけた報いよ』
と、クモモは頭をさすった。
俺は部屋をさらりと見まわした。メリルが見当たらないな。いつもならこの時間帯はこの搬入部屋で売り歩く商品を見繕っているはずなんだが。
「ところで、メリルが見当たりませんけど、どこかに営業しに行ってるんですか?」
俺の質問にエミリアさんが口を開く。
「メリルなら今日はお休みです。いつもの行動からすると、おそらく第七聖堂に行っているはずです」
シルバーフレイム第七聖堂か。ダイナナキッチンでルナの手伝いでもしてるのかな? ちょっと寄ってみるか。
「この牛乳、少しだけもらっていきますね。その分は支払いから引いといてください」
俺は牛乳の山の一部をクモモが作った唐草模様の風呂敷に包んでギルドを出た。
―――
「んー、開かないな」
俺はダイナナキッチンの扉をガチャガチャと押し引きしてみた。鍵がかかっているようで扉は開かない。
店の横に回り込んで大きなガラス窓から中を覗き込んでみた。
店内は暗くて、人一人いない。どうも今日は定休日らしいな。
『たぶん裏の孤児院にいるわ』
と、クモモが店の裏庭の方へカサカサと走り出す。俺もその後に続いた。
ダイナナキッチンの裏には多くの緑が広がっていた。こじんまりとしているが、切りそろえられた草木が美しい静謐な庭園だ。
その庭園の中にはエメラルドグリーンのワンピースを身にまとった銀髪の女性がいた。庭ばさみで生垣の手入れをしているようだ。教会のシスターのルナだ。
「ルナさん、こんにちは」
『ハロー、プリティーシスター』
「あら、カレタさんとクモモさん。ごきげんよう」
ルナはにっこりとほほ笑んだ。う~ん、神々しい。巷で評判のエンジェルスマイルだ。
「商品の余りを持ってきたんだ。孤児院の子供たちにもどうかなと思って」
『キッズの成長に役立つモノよ』
クモモは背負っている風呂敷をルナに見せた。
「こんなに沢山……、この間も沢山の農作物を頂きましたし……」
ルナは申し訳なさそうな表情を見せる。
「原価は安いんで気にしないでください。農作物は流通経費が大半ですから。ところでメリルがここに来ていると聞いたんですけど……」
「あっ。メリルさんなら、孤児院の中で授業をしてます」
「授業?」
「ええ。子供たちが大きくなった時に必要な算術なんかの知識をメリルさんに教えてもらってるんです。メリルさんは商人としての豊富な知識をお持ちですから」
俺たちはルナに促されて孤児院に近寄り、中をガラス越しに覗いた。
その部屋の中には多数の子供たちと、赤いポニーテールの少女、メリルがいた。メリルは黒板に何かの計算式を書きながら子供たちに説明しているようだった。子供たちは大人しく座ってメリルの話に聞き入っている。
メリルは先生のようなこともしているのか。なかなか感心する子だな。商人としての仕事も大変だろうに。
俺たちと一緒に部屋の中を覗き込んでいたルナがこちらに振り向いた。
「立ち話もなんですから、中に入りませんか?」
クモモは前脚を掲げ、
『レッツ ゲット インサイド!』
―――
孤児院は木造の質素な作りだった。だが古臭さは感じず、清潔感のある室内だ。おそらくルナや子供たちが隅々まで掃除しているのだろう。
俺たちはルナの後に続いて廊下を歩き、メリルがいる教室のドアをくぐった。
「メリルさん。カレタさんがお見えになりましたよ」
「カレタさん!? どうしてここに?」
「大した用事じゃないさ。先日受けた任務の完了報告だよ。クモモ、皆に見せて」
クモモは背中に背負っていた唐草模様の風呂敷を床にドサッと下した。そして風呂敷を開け、牛乳の山を皆に披露した。
『もってけドロボー!』
「こ、これは……」
牛乳の山に素早く反応したのは子供たちだった。
「あっ、牛乳だー」「久しぶりに見たー」「飲んでもいいのー?」
さっきまで大人しく座っていた子供たちが牛乳に群がってきた。かなり牛乳に飢えていたようだ。
「まさか、本当に牛乳まで用意するなんて……驚きを通り越してるわ……」
メリルはイーノックさん達たちと同じような反応を見せた。
―――
「牛乳美味しぃ~」「ひさびさ~」「ごくごく」
子供たちは机の前に座って牛乳を美味しく飲んでいる。自分が作ったものが美味しく消費されるところを見るのは気持ちがいいな。
「この牛乳もカレタさんが作ってらっしゃるんですか?」
と、隣にいたルナが問いかけた。
「ああ、そうだよ。運よく乳牛が手に入ってね」
『お乳を搾るのにはコツが必要なのよ!』
とクモモは前脚で牛の乳を搾るしぐさをしてみせた。
メリルはどうもこの話題に関心があるようで、
「ふ~ん、乳牛か~。搾乳するところってあまりよく見たことないかも」
と、小首をかしげた。
メリルは錬金術用の素材や、マジックアイテムを扱う商人だ。確かに乳牛と触れ合う機会はそうないだろうな。せっかくだから俺の新居に招待して、搾乳作業を見学してもらってもいいかもしれない。
「それなら、オレガノ城の庭に畜舎があるから来てみないか? 搾乳は毎日やってるよ」
だが、この話に乗ってきたのは孤児院の子供たちだった。
「牛さん、見たい!」「見たい見たい」「お乳搾りたい!」
子供たちは俺の周りに集まってはやし立てる。やはり小学生ぐらいの子は好奇心旺盛だな。全員が目を輝かせていて興味津々だ。
子供たちに囲まれた俺を見かねてか、メリルがパンっと手を打った。
「はいはい、みんな落ち着いて。カレタさんが困ってるでしょ」
「まぁまぁ、子供たちも全員連れてきて構わないよ。お城は広いから何人来ても困ることはないし」
「わーい」「乳しぼりー」「早く行きたいー」
はしゃぐ子供たちを見ていると、こちらまで楽しい気分になってくる。
よーし。子供たちのために最高の農業体験ツアーを企画するぞー。
日本が破綻したので異世界に移住します ~神の祝福でまったりファンタジー生活~ 直井ひさ @hisa_naoi
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