009 別離

 ――二人で様々な場所を巡った。


「せいやああああっ!」


 まず最初にため池で水切りをした。優香里の綺麗なフォームで投げ出された石は、池の中腹辺りで沈んでしまう。


「ん……久し振り過ぎて全然飛ばない」

「まだまだだな。僕の方が遠くへ飛ばせる」

「む、それなら勝負しよう」

「望むところだ」


 二人でどちらが遠くまで飛ばせるか、競争してみた。結果は……同点だった。

 勝負の後は日記帳に今日の出来事を記した。他にも、僕が忘却している様々な過去の出来事についても書いてみた。

 書き終わった後は石を投げる優香里の姿を写真におさめた。パンツが見えて、何回か撮りなおしをした。だが、本人は消去を求めなかったので、その写真はメモリーの中に残っている。ありがたく記憶しておくことにした。


 しかし、優香里は霊体のはずなのにまるで服を着ているように見えるのは何故なのだろうか。こたえは出なさそうなので、考えないことにした。


 次に向かったのは森だった。夏も終わりを迎えようとしているのか、蝉の声は少なくなっている。クワガタを掴まえようとしたが、見つからなかった。虫取アミを振り上げる優香里を撮った。日記帳にも記した。


 その次は、川に向かった。お互いに水を掛け合ってずぶ濡れになった。だけど、優香里の服は透けなかった! 何故だ!


 次は――島中を駆け回った。廃墟になったビル、浜辺、駄菓子屋――あちこちを巡り、その景色を背景に優香里を写真に閉じ込めた。気紛れで、二人一緒に映りこんだこともあった。

 写真を撮る前に、思い出を語ってくれることもあった、かき氷を奢ってくれたとか、プールで泳いだとか、他愛のない思い出を話しながら日記帳に丁寧に書いてくれた。体験したことのない記憶……けれど、まるで自分が本当にこの体で経験したような既知感を僕に与えてくれた。


 一生分の夏休みを、今日に凝縮したように思える。


 楽しい時間は流星のようだった。こんなに輝いているのに、とても短い。

 僕らの時間はあっという間に過ぎて、


「――楽しかった」


 また、僕らは岬の先端に立っていた。


「楽しかった……楽しかったよ!」

「そうか」


 優香里が、静かに語り出す。


「もう、全部やりとげた。

 和也が一生分の思い出をあたしにくれた。

 もう、手に入らないと思っていた幸せを与えてくれた。

 あたし、もう、後悔はないよ。

 他の霊さんたちに申し訳ないくらい」

「そうか」

「こんな未来があるんだったら、死にたくなかったな。

 病気を治して、生きて和也とこんな風に思い出を作りたかった。

 ちゃんと思いを伝えて、恋人になって、キスしたりHなことして、大人になって生活が安定するようになったら結婚して、小さくてもいいから家で二人暮らしして……ちょっとの間だけ二人の時間を味わって、子供を作りたかった。

 そして、子供が大きくなって、気がつけば孫ができて、幸せなまま――死にたかった。

 ちゃんと、和也に見送られてね。

 あ、笑顔で、だよ?」

「……うん……そうか」

「多少の困難はあると思うよ? でも、それも二人で乗り越えたい。

 少しの涙があっても、それを消せるほどの笑顔で満ちた人生にしたい。

 それは出会いのときも、別れのときも。

 だから――泣かないで、和也」


 優香里が僕の頬をなぞる。その指先は僅かに湿っていた。

 僕は泣いていた。優香里と離れたくないという思いが形となって外側に溢れ出したのだ。優香里が僕の傍にいれないことは、自分でも痛いくらいにわかっている。二人の間には決して乗り越えることのできない高い高い壁が立ちはだかっていることも理解しているつもりだ。だとしても、僕は彼女と一緒にいたかった。今夜のような時間を何回も重ねていたかったのだ。


「ふふっ……言ったでしょ? 出会いも、別れのときも、笑顔でって。だから、笑って。笑って、あたしと離れよう?」

「…………」


 僕が頷くと、優香里は名残惜しそうに笑った。

 それは数多の僕が数えきれないくらいに見つめた、大好きな人の笑顔だった。そして、それは数えきれないくらい僕の心を変えた、眩しすぎる笑顔で……僕は涙を流しながらも笑った。

      

 しばらくして、真っ暗な景色の端から、朧気な明かりが流れてくるのが見えた。波に揺らめく光は帰ってきた死者のための道標みちしるべ。生と死が交わる許されない時間の終わりを告げるための輝きだった。


 灯籠流しが始まった。


 もう、別れのときだった。

 

「和也――」


 優香里は僕の顔を自分の方へ向けさせると、


「――大好きだよ」


 僕の唇に、自分の唇を押しつけた。粘膜と粘膜との衝突。けれど、その行為は決して嫌なものではなかった。きっと、世界が目の前で終わろうとしていたとしても、親が笑いながら見ていたとしても、僕は躊躇なくこの行為に及ぶだろう。どんな風にして優香里が帰っていくかは知らない。ただ、本人が止めようとするまで、ずっと触れていよう。それが、このまま永遠に続くとしても。


 抱きしめる腕から徐々に感触が消えていくのがわかった。目を薄っすら開けると、優香里の体が光の粒となって少しずつ薄くなっていた。涙が出そうになるくらい綺麗だった。

 そして、優香里は僕の腕の中から消え去った。その瞬間を見計らったように、強い風が吹き荒れる。いくつもの小さな光の粒になった優香里は風に運ばれて海へと渡っていく。そう、流れていく灯籠を道標にして……


「……さようなら」


 聞こえているかはわからないが、最後にそう呟いた。

 僕の腕には日記帳が握られている。肩にはカメラがかかっている。明日が来るという恐怖は微塵もない。


 僕は夜空を見上げる。優香里は星になったわけじゃない。だから、いくら夜空を見つめても、彼女の笑顔が浮かんでくることなんてないのだ。彼女は見えなくなっただけで、きっと、今もこれからも、僕のことを優しい笑顔で見守っていてくれるはずだ。たとえ、優香里が無になって消えていたとしても、僕はそう信じていたい。だって、その方がロマンチックじゃないか。それに、傍にいてくれるという安心感だけで、僕は何処へでも行けそうな気がする――いや、行くんだ。挫けそうなときも、折れそうなときも、この写真と日記を見れば、この決意を思い出せるだろう。

 さよならに続ける言葉は、決まっている。


「また、帰ってこいよ。頑張って生きるからさ」


 この宣言は優香里に聞こえただろうか? 僕の耳には「頑張れ」という声が聞こえた気がしたし、親指を突き上げた優香里の後ろ姿が見えたような気もした。幻聴でも幻覚でもどちらでもいい。

 それで、僕は明日も頑張れるから。どんな幻だって、信じようじゃないか。

 

 僕は歩き出す。


『頑張れ』


 誰声が背中を押してくれたような気がした――

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