006 追跡

 神社の前は人で賑わっていた。逢魔時にこんなにも人がいるなら、夜になれば道が塞がるんじゃなかろうか。その前にある人物を見つけないといけないと思い、神社の辺りを歩き回ろうとしたのだが、その人物は僕のことを待ちわびていたかのように、石階段の前に立っていた。彼女は僕のことを見つけると、こちらに大きく手を振ってきた。人混みを掻き分け、彼女の前に立つ。


「――早苗」


 お母さんから既に事情を聞いていたのだろう。

 早苗は僕が知っている早苗ではなかった。髪は金色でもパーマをかけているわけでもなく、黒色でストレートになっている。身だしなみもしっかりしており、社会人の風格を存分に見せていた。


「待ってたよ。和也」


 来た僕をどやすこともなく、柔らかな口調で迎える。昔なら「遅い!」と怒鳴りながら、僕の尻を蹴りあげていたことだろう。


「早苗……単刀直入に聞くが……」

「わかってるよ――どうして、記憶が一日しか持たなくなったのか、でしょ?」


 笑いながら僕が聞く前に言う早苗。その笑顔には、かつての面影が残っていた。けれど、口調はそのままで、早苗は告げる。


「――和也は交通事故に遭った。優香里に会いに行く途中に……人を助けようとして」


 やっぱり、優香里の病気のことを告げられた僕は、その日の内に本土の病院に向かおうとしたらしい。早苗も心配になって、僕と一緒に向かったみたいだ。


「船に乗って、本土に渡って、歩いて病院に向かった。そんなに遠くなかったからね。でも、それが間違いだったのかもしれない。バスに乗ってれば、事故は起きなかったかもしれないから」


 過去の選択を悔やんでも仕方ない。

 僕と早苗が歩いて病院に向かっている途中、一人の子供が自転車に乗って走っていたらしい。早苗曰く、乗り慣れているように見えた、と。猿も木から落ちると言うように、慣れていたとしても失敗することはある。その失敗が、たまたま僕たちの目の前で起きた、それだけのことだ。


「その子供がね、風に煽られたせいなのか、転んじゃったの。体が小さかったから、勢いよく投げ飛ばされちゃって、道路に転がっちゃった。車が子供のすぐ側まで来てた。もう、助からない……誰もがそう思ったと思う。でも、その瞬間――」

「……僕がその子供を庇ったのか?」

「そう」


 僕は飛び込んで、子供を抱き抱え、代わりに車に跳ねられた。そのときに、頭や体を強く打った。僕の体に多くの古傷が刻まれているのはその名残なのだろう。既に痛みはなくなったはずなのに、内側から破裂しそうな痛みが思い出したように、身体中を虐げてきた。


「頭を強く打って、体もボロボロになって、和也は病院に運ばれた。幸い、命に別状はなかった。でも……意識が戻らなかったの」

「え? ど、どれくらい意識が戻らなかったんだ?」


 早苗は僕から視線を外して言う。


「――半年間」


 その期間の意味を、僕はすぐに理解した。半年間……つまりは、今から約三年と半年前のこと。


「優香里はね、いつも和也に会いに来てたよ。いつも、何度も和也の名前を、和也の手を握りながら呼び掛けてた。寿命は元からそんなに長くなかったみたいなんだけど……結局、優香里はその半年後に死んじゃった」

「僕の意識が戻ったのは、それよりも前? 後?」

「……二週間くらい前」


 目覚めた僕は二〇二〇年の八月十三日――事故に遭った日からの記憶がなくなり、それ以降のことを記憶できなくなったことが知らされる。優香里も、同じくその事実を知ってしまったらしい。


「優香里が、毎日和也に教えてたよ。事故に遭ったこと、記憶が持たないこと……自分がもうすぐで死んじゃうってことも。和也は悲しんでたよ。優香里の手をずっと握って、ずっとお喋りをしてた。でも、次の日には記憶がなくなってて……」


 同じ説明を、優香里にさせたのか。だとしたら、僕はなんて残酷なことをしてしまったのだろう。自分が死ぬことを同じ人に、何度も告げるなんて、想像しただけで胸が痛くなる。残酷なことを平気でやったというのに、当の僕は全く思い出せなかった。


「笑顔でいたんだけど、やっぱりショックは大きかったみたいで……」


 優香里が死んだ後の僕はどうだったのだろうか? 病院のベッドで目が覚めて、自分が置かれている状況に気がつかず、優香里が死んでいるというのに、知らないまま自分のことだけを周囲に聞き回ったのだろう。

 周囲の目に、そんな僕はどう映ったのだろうか?

 きっと、目を背けたくなるほど愚かだったに違いない。

 自分が抱えている罪に気がつかず、罰を受けなかったのだから。


「……ごめんな」

「なにが?」

「迷惑をかけてただろ、僕は。僕は許されたらいけない。それなのに、勝手に忘れて、罪から逃れて……」

「和也は悪くない。悪いのは……私の方」


 何故か、早苗は僕に向かって腰を折って謝罪をした。僕にはその意味がわからなかった。


「私が、和也を止められなかったから。和也が走り出すのを、呆然と見ているだけしかできなかった……ごめん。わかってるよ。私は最悪だ。あの自転車を漕いでた子が悪いんだって言ってるんだ。でも……そう思わないと、押し潰れそうで……」


 早苗の頬を涙が伝っていく。僕は改めて自分の罪の大きさを認識した。僕のせいで、感じる必要のない罪を背負わせてしまっていたのだ。

 早苗はこの島に残った。本土で働くという夢を捨てて。僕のために、この島を変えないようにしてくれた。そうやって、早苗は自分を罰していたのだ。でも、どれだけ償っても、罪が消えることはない。苦しむ必要なんて、なかったのに。


「それから和也は退院して、この島に戻ってきた。優香里の代わりに、私たちが真実を伝えてた。その度に、和也は傷ついて、悲しんでた。ずっと、こんな日々が続く……そう、思ってた。でも、その半年後――二〇二一年の八月十三日に、不思議なことが起きた――」

「優香里が帰ってきたの」


 早苗の言葉を遮ったのは――石階段をおりてきた海だった。


「う、海ちゃん? これから霊盆祭が……というか、なんで……」

「まだ時間があるからいいですよ。なんか、お婆ちゃんたちが、下で和也と早苗さんが話してるって言ってたので、そのときなのかなって思って、来ちゃいました」


 巫女服を身に纏った海。

 僕は海の言葉の意味を考える。優香里が帰ってきた。死んだはずの人間が現れるなんて、幽霊にでもなっていなければ、あり得ないはずだ。


「――お盆か?」


 盆の期間中、この世界に死者が戻ってくる。


「うん、優香里が死んでから半年経った三年前の八月十三日、優香里が戻ってきた。私たちは驚いたよ。まさか、本当に死んだ人が戻ってくるなんて」


 霊盆祭に詳しい海が驚く……それもそうだろう。自分が巫女だからって、あんな話を信じられるはずがない。けれど、目の前に優香里が現れた。有り得ないことが現実になれば、それは有り得ることになるのだ。


「優香里は私たちには姿を見せた。優香里は自分が死んでるってことはわかってたみたい。四日間、優香里は和也とずっと一緒にいた。いつも、悲しい顔をしてた和也が、楽しそうに夏休みを過ごしてた……」


 いくら記憶を掘り返しても、風化して消えてしまったかのように、優香里との楽しい思い出は出てこなかった。


「でも、お盆が終われば優香里はいなくなってしまう。また、同じような日々が戻ってきちゃう。だから、」

「真実を告げないまま、八月十三日を生きるようにしたのか?」

「……うん」


 海の声が弱くなる。僕に責められるとでも思ったのだろうか? 

 僕には海を責める権利も資格もなかった。だって、彼女の優しさは本物なのだから。僕が苦しまないようにするための、苦肉の策だったろうから。


「私たちは真実を和也に伝えるかどうかを、優香里が来た日の夜に、この神社の裏で話し合っていた。でも、それを和也と優香里に聞かれてたみたいだね。家に帰って来てからの和也の様子がおかしかったみたいだから。だから、それでやっと決心がついたの。和也には――隠しておこうって

 優香里もね、自分がここにいたらいけないって思ったのか、その年だけは四日間いたけど、次とその次の年のお盆には姿を現さなかった。でも、未練はあったみたいで、今年はこの島に戻ってきた。今度は私たちに姿を現そうとしなかった。まあ、あの子は隠れるのが下手糞だからよく見かけたんだけどね。それでね……和也」


 海が僕を真っ直ぐ見据えてくる。僕を試しているような瞳だった。


「優香里は……和也に会いたがってるみたいだったよ」


 僕はどうするべきだろうか。今日が八月十六日。優香里と会えるのは最後になるかもしれない。それに、また忘れてしまったら? 全てを忘れて、これまでのように八月十三日を繰り返し、大切な人を傷つけていることに気づかないまま生きるのか? 


 否、だ。


 記憶がなくなっても、この世界に形として残しておけば、僕はいつでも思い出せる。海から貰った日記帳で、学んだ歴史を思い出すことができたように。二度と忘れない。今日、起きたことをちゃんと日記帳に記しておけば、八月十三日を繰り返すことはなくなる。


 でも……それだけじゃあ駄目なんだ。


 朝起きて、自分が書いた日記帳を読んで真相を知った僕は、きっと、三年と半年前と同じような反応をしてしまうだろう。僕は弱い人間だ。

 優香里に会いたい。このまま会わずにいたら、僕は後悔することさえもできなくなる。彼女に会えば、大丈夫……根拠のない自信が、心の底に芽生えていた。

 僕は顔を上げる。


「……優香里は何処にいるんだ?」


 人生をかけた決意に、早苗と海は――歓迎するように笑った。海は言う。


「……夏見ちゃんに会ってみれば、わかると思うよ。夏見ちゃんは優香里に憧れてた子だったから」


 僕は小学校の方に視線を向けた。夜の闇が茜色を食べていく。急がなければ、今日が終わってしまう。


「わかった。ありがとう」


 二人に背を向けて僕は走り出す。本当の自分を探すために。


 *・*・*


「……本当によかったの?」

「なにがですか?」

「なにがって……和也に告白しなくて」

「…………」


 無言になる海。その表情は悲しいとも、辛いとも、どちらともとれない複雑な表情だった。


「……いいんですよ。和也は優香里のことが好きなんですから」

「でも、相手は幽霊だ」

「そうですね。でも、だからといって優香里に敵うなんて思えないんですよ。きっと、彼は優香里以外の人とは結ばれないでしょうから」

「夏見は何回か告白して成功してたけど?」

「和也はそういう人です。優しすぎるんですから。告白されれば、余程の嫌いな人でなければ断らないでしょう」

「それなら――」

「それじゃあ、駄目なんです。和くんは幸せになれない。彼が自分で選んだ人じゃないと」

「……そうかもしれないけどさ……納得してるの?」

「はい。納得、してます……」


 納得などしていなかった。そもそも、和也が海を選ぶことなどあり得なかった。どれだけ、彼を愛し、それを表現したとしても、彼の心に積み上げた思いは、一日で忘却の彼方に捨て去られてしまうのだから。

 和也の時間はあの日で止まってしまっている。

 和也は少しずつ過去になっていく。

 たった一日で彼と愛を語らう関係になったとしても、次の日には瓦解してしまっているのだ。彼女に、何度も恋をやり直す力はなかったのだ。自分の色で染め上げたとしても、和也の心の中にある優香里がその上を塗りつぶしてしまう。和也の感情を変えることなど不可能だったのだ。


「……好きなんですよ……諦めたく、なかった……っ!」


 悔しくて仕方なかった。止めどなく溢れ出す涙を拭ってくれる指先の持ち主は、和也ではない。その事実を受け入れるのに、彼女はどれ程の勇気と時間を浪費したのだろうか。


「……ごめんね。うちの馬鹿な弟が」


 早苗は海の頭を撫でる。和也と似た温もりに、海は人目を憚らずに涙を流し続けた。周囲の人間は二人を視界から外す。二人を見ていたのは、茂みから出てきた『なっちゃん』と名づけられた猫だけだった。

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