004 真実

「…………っは……はあ」


 息が切れて、一度、駄菓子屋の前で止まった。心臓を落ち着かせようと、酸素を大量に吸い込む。


「――どうにかならないんですか」


 早苗の声が聞こえてきた。他にも老婆たちの声が聞こえてくる。

 息を整えて、また、走り出そうとする。だが、次に聞こえてきた声で、転びそうになった。


「でも、店主がいるからね……あたしたちも本当は残したいんだけどね……」

「国広さんがね……もう、亡くなられてから二年くらい過ぎたかしら?」

「そうねえ。もう、この駄菓子屋も限界なのよ」

「確かにそうですけど……でも、それだと……」

「…………」


 お婆ちゃんが、死んだ? 駄菓子屋の店主の国広お婆ちゃんが?


「――っ」


 立ち止まっていた足を無理矢理走らせる。早く、家に帰って真相を確かめなければならない。


 それから何分か走って、家にたどりつく。息を整える間もなく、家の中に入り、自分の部屋に飛び込んだ。棚という棚を片っ端に開ける。すると、日記帳ではないものが出てきた。


 紙切れだった。


『和也。お前のせいでたくさんの人が傷つくんだよ』


 僕の筆跡で、そう書かれていた。その言葉は、僕に「死んでくれ」と言っているように思えた。過去の自分の、悲痛な叫びが聞こえたような気がする。まだ、この言葉の本当の意味はわからなかった。


 でも、今にわかる。


 僕は見つけた日記帳をパラパラと捲り始める。


『よく頑張りました』

 

 その頁をよく目を凝らして見てみた。すると、米粒くらいの小さな文字でなにかが書かれてあるのを見つける。真っ白に近い頁の一番右上に、海の筆跡でそれは書いてあった。


『八月十四日』


 その数字が示しているのはなんだろうか。僕は目を閉じる。


「思い出すんだ」


 消えてしまった記憶を。時間の砂に埋もれて、見えなくなった記憶を掘り返すんだ。僕が過去に置き忘れた記憶を、思い出すんだ。


 十六日は今日のことだ。


 十五日は僕がなにかを知ってしまって、早苗が慰めてくれた。


 十四日は海に神社の歴史を教えて貰った日付だろうか。


 では、十三日はどうだろうか。僕の周囲には他に誰がいるだろう。床に座って考えてみると、活発な少女の声が頭に響いた。同時に、唇に触れた温度も。


 ――そうですね。じゃあ、明日会いましょうか。でも、自転車の練習で疲れてるので……三日後、三日後ならいいですか?


「……夏見か」


 十三日の三日後は今日のことだ。今日は自転車の練習をするつもりだったのか。確かに、プールの近くに自転車が置いてあったし、人生ゲームを終えた夜辺りに、するつもりだったのかもしれない。


 じゃあ、僕が今日だと思っていた二〇二〇年八月十三日はなにをしていたのだろう。


 それがわからなければ、意味がない。どうして四年も時間が飛んだのか、その理由を知らなければ、きっと僕は後悔する。いや、後悔さえできないのかもしれない。

 徐々に事実の欠片が組み合わさり、鍵を形成していく。鍵があっても、鍵穴がなければ意味はない。思い出せ、思い出すんだ……念じれば念じるほど、これ以上は知ってはいけないと言いたげな頭痛が酷さを増していく。


 だけど、逃げちゃ駄目なんだ。


 空白の日々だけじゃなく、見落としている場所もないか、目を血走らせて探した。

 そして、あるものが脳裏に浮かびあがり、僕は目を見開いた。


「……スマホか」


 そこになにか隠されているような気がする。いや、大切なのはスマホじゃない。そのスマホが隠されていた場所だ。

 僕は部屋を出て、リビングに入る。お母さんや早苗の姿はなかった。きっと、二人とも守島神社に行っているのだろう。僕は居間にある棚を、ゆっくりと下から開けていく。目を惹くものはなかった。  

        

 しかし、上から二番目の引き出しに、それはあった。


「……メモ用紙?」


 溢れんばかりの紙があった。それぞれに細かい字でメモが書かれている。紙だけではなく、なにかの診断用紙や、太い本もあった。


 鍵が穴にさしこまれ、僕はその鍵を回した。

 カチッ――と、歯車が噛み合うような音がすると、自動的に箱が開かれる。


 だけど、中に入っていたのは到底、宝とは呼べる代物ではなかった。


「……はっ……」


 視界の全てが砂になって溶けてしまったように見えた。知っている全てがなくなってしまったように思えた。僕はなにも変わっていなかった。二〇二〇年の八月十三日から、なにも。変わったのは周囲だけだ。人間は変わらずに生きていくことはできない。きっと、僕の周囲のみんなは変わらないように気をかけてくれたのだ。時間が流れていることを悟られないように。


「……はあ」


 笑い飛ばすこともできなかった。きっと、僕には周囲の好意も不意にした日が何日もあったのだろう。


 ――和也。お前のせいでたくさんの人が傷つくんだ。


 そうなのかもしれない。真実に気付いた過去の僕が残した言葉は、未来の僕にそうすることを望んだのかもしれない。


「……和、ちゃん?」


 背後から声がする。振り向くと、お母さんの姿があった。


「ねえ、お母さん――」


 僕は掠れた声で聞いた。





「――?」

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