003 衝動

 早歩きでプールへ向かっていると、夏見が僕の前を走り出した。


「ど、どうしてプールに行くんですか⁉️ 涼しい部屋で遊びましょうよ⁉️」


 僕を止めようと進行方向に立ちはだかる夏見。僕は構わずに前へ進んでいく。


「先輩、プールで遊ぶなんてらしくないですよ? そういうことは――きゃっ⁉️」


 夏見はこちらを向きながら、器用に後退していた。そのせいで、横を歩いていた老婆に気づかず、肩が当たってしまった。


「あ、ごめんなさい!」


 夏見は何度も頭を下げる。ぶつかった相手――良輔さんは笑っている。


「大丈夫だよ、夏見なつみちゃん」

「…………」


 どうしてだろう。良輔さんが夏見の名前を呼んだだけで、どうしてこんなにも違和感があるのだろうか。僕はこの違和感の正体を知りたくて、気がつけば考えてもいない質問を吐き出していた。


「良輔さん、夏見さんとはどういう関係なのでしょうか?」

「ああ、夏見ちゃんは、島にしてきたでなあ、港で知り合ったんだ」

「ちょ、ちょっと良輔さん⁉ それは昔……」

「……あ」


 動きを止める二人を見て、僕は辻褄があわないことに気づく。夏見は自己紹介のとき、僕と同じ学校に所属していると言ったはずである。それなのに、どうしてなのだろう。彼女が言うには、もう少し前からこの島にいるはずなのに。


 立ち止まる僕らの様子を伺いながらも、大勢の人間が通り過ぎていく。向かう先はどこだろう。しかし、今はそれは後回しだ。


「っ」

「ちょ、ちょっと先輩!」


 僕は走り出した。目的地は設定していない。だけど、足は僕の意思とは関係なしに、何処か行くべき場所へと向かっていた。

 すぐにそこへとたどり着く。


「……プールだ」

「あ……」


 追いかけてきた夏見はしまったという顔をしている。だけど、開き直ったのか、


「ああっ! 先輩、プールで遊びましょう!」


 そう言って、校門の方へと走っていく。追いかけると、夏見は閉まっている門をよじ登り始めていた。


「よいしょっと……」


 夏見のワンピースがはだけ、犬の模様のパンツが覗いていた。これは不可抗力なのだ。無防備な夏見と、潮風が悪いのだ。僕に罪はない。だから、パンツを見つめる行為は、この場合においては法的な処置を受けることもなく、合法であるからして――


 そのとき、


「っ⁉️」


 ある映像が頭に流れ込んできた。


 映像の場所は……この学校の門の前だった。

 たった数秒の映像は、数々の共通点を抱えていた。

 門が閉まっていることも、僕が夏見を支えていることも、グラウンドには人がいないことも、パンツが白色なことも、その映像の殆どが同じだった。だから、数少ない相違点が目立つ。夏見のパンツの模様だ。


 犬ではなく、純白だった。模様がなかった。


 デジャ・ビュという奴だろうか。

 僕は……この次の言葉を予測できてしまった。


「……変態ですね」

「す、すまん」


 映像の中の夏見と、眼前の夏見との表情が重なる。胸の奥と、額の裏に、ズドンと重く鈍い痛みが走る。


 戸惑う自分を抑え込み、夏見を支えて向こう側に渡す。同じように、僕も向こう側に渡る。プールへ向かうと、夏見は服を脱ぎ始めた。服の下に水着を着ていたらしい。

 プールの門も校門と同じように閉まっていた。僕はもう一度夏見の補助をして、彼女は向こう側へと渡った。


「先輩も早く着替えてくださーい!」


 そう言われるが、流石に女子の目の前で着替えるわけにはいかない。着衣所はプールとは隣接しておらず、少し離れた場所にある。


「すまん、ちょっと着替えてくる」

「わかりました!」


 熱せられたアスファルトが、ビーチサンダルの底を突き抜けて、足裏に熱を与え続けてくる。

 歩いていくと――小学校の人だろうか。今にも倒れてしまいそうなシワだらけの老爺が、こちらにゆっくりと歩いてきていた。

 別段、変わったことはないはずだ。それなのに、僕は動けなかった。

 なにか学校の業務があったのかと思ったが、そうではないことに気づいたのは、それからすぐのことだった。

 ――その手には灯籠が握られていた。

 盆の最後に海に流される灯籠。今日は八月十三日。まだ、最終日まで今日を含めれば三日もあるはずじゃないか。いくら早く作ったからと言って、急ぐ必要はないだろう。そうだ、この人がボケているだけなのだ。


 ――二〇二四年八月十五日。


「…………」


 頭の中に数字が浮かんだ。まるで、昨日、直接この目で見たかのように、鮮明に思い出せた。僕はどんな場面でその数字を見たのか、それも思い出せる。僕はスマホのカレンダーで確認したのだ。そして、僕は驚愕したのだ。どうして、四年と三日が経っているのかって。

 僕は逃げたんだ。でも、すぐに早苗に捕まったんだ。


 ――大丈夫……時間が痛みを忘れさせてくれるから。


 そう言ってくれた気がする。覚えのない強い痛みと目眩が、思い出したかのように頭を襲ってきた。


 時間が忘れさせてくれたのか?


 ――心配ないよ。もう、忘れられるから。


 キッパリとした口調の早苗の声が再生される。

 わからない。だけど、確かめたいといけないことがあることはわかった。

 立ち尽くしていた僕の横を過ぎ去ろうとした老爺の肩を強く掴んで止めた。


「おい! 今日は何年何月の何日だ!」


 遠くなっているだろう耳に聞こえるように、大きな声で質問をした。老爺は驚くという感情でさえも過去に忘れてきたかのように、キョトンとした顔で、僕の心中を察することもなく、平然とこたえた。


「――二〇二四年の八月十六日だ」


 驚きはなかった。ああ、やっぱりか、そうとしか思えなかった。

 僕は天を仰いだ。二〇二四年八月十六日。僕は四年と四日後に飛ばされたのか?


 いや、違う。


 飛ばされたわけではないのだ。

 僕は昨日の二〇二四年の八月十五日の記憶を僅かながら持っているのだ。ちゃんと、経験しているのだ。


 なら、どうして僕には四年と四日分もの記憶がないのだろうか?


 ――約束だからね! 明日……いつでもいいから来てね!


「っ!」


 今、頭に響いた声は誰のものだろうか。

 そして、引き出しにあった日記帳はいつ書かれたのだろうか。

 最後のページに書かれていた文は誰が書いたものだろうか。


「海か」


 海は僕に神社の歴史や、幽霊について教えてくれたのだ。


「くそっ!」


 僕は駆け出した。家に戻らないといけない。プールの真横を横切る際、


「先輩! プールはそっちじゃないですよ!」

「すまん! 帰るわ!」

「ええ⁉」


 手を振って外に出る。


「私! 一人じゃ外に出られないんですけど――――――――!」


 背後から追いかけてくる叫び声を振り切って、一直線に走る。海の向こう側から船がこちらに向かってくる。船舶には思い出を語らう若者が大勢いた。きっと、全員後ろ髪を引かれる思いのはずだ。どうして、あんな行事のために島に帰らなければならないのか、と。


 僕は船のスピードに負けないくらいのスピードで走った。すれ違う人たちが、向かう場所はただ一点――


 守島神社だった。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます