002 違和感


 部屋を出ると、拳一個分の距離に麦わら帽子が現れた。つばが目に入りそうな気がして、思わず仰け反ってしまう。


「……ずっと待ってたのか?」

「いえ、偶然ですよ! 先輩がパジャマを脱いで着替える時間を計算して、もうそろそろかなあ、って思っただけですから」

「必然じゃねえか。なんで、僕の着替えの時間を計算できるんだよ。……まさか、お前ストーカーか? 警察呼ぶぞ」

「まさか~そんなわけないですよ。まあ、しようと思えば簡単にできますけどね。この島の警察なんて機能してないようなもんですから」

「確かにな」


 部屋の前で会話を始めてしまう。


「――あ、おはよう、和ちゃん」 


 リビングから顔を覗かせていたお母さんが、舌足らずな声で僕に挨拶をしてきた。


「おはよう、お母さん」

「おはようございます」

「夏見ちゃん、ありがとうね」

「いえいえ、大丈夫ですよ。紬さんは、今日もお綺麗ですね」

「ありがとね。夏見ちゃんはお世辞がうまいね」

「お世辞じゃないですよ。本当にそう思います」


 笑いあう二人。これには面食らった。二人は普通に会話をしていたのだ。いつの間に夏見と仲がよくなったのだろう。


「お母さん、ご飯は?」

「ああ、リビングに置いてあるから食べて。あ、夏見ちゃんの分もあるから」

「ありがとうございます」


 リビングに向かうと、机の上に塩焼きそばが置いてあった。席に座り、辺りを見回してみるが、時計もテレビもなく、今が何時かを確認することができなかった。


「なあ、君」 

「ふぁい?」

「今、何時だ?」


 僕の前の席に座った夏見は、口一杯に塩焼きそばを頬張っている。スマホや腕時計を見るかと思いきや、夏見は漠然とした時間を告げた。


「正午ぐらいだと思いますよ。太陽の位置的に」


 寝過ごしたらしい。夏休みだからって、ずっとだらけた生活をしていたせいか、真昼に起きてしまう習慣が脊髄に染みついてしまった。しっかりとなおさないといけない。目覚まし時計を用意しておかないと。

 僕は塩焼きそばを口に運ぶ。いつもよりも美味しくなっているように感じた。毎日、同じ麺系の料理を作っているのだから、上手にならないとおかしいが、かなり飛躍的にうまくなったように感じる。だからか、あっという間に平らげてしまった。


「先輩、今日はなにをするつもりですか?」


 同じく、飯を平らげた夏見が、そう聞いてくる。


「うーん、特にしたいこともないな」

「暇ってことですか?」

「ああ、そうだ」

「じゃあ――人生ゲームをしませんか?」

「おお、いいな」


 わざわざこんな暑い中を遊ぶ必要はない。涼しい室内で遊ぶのも、それはそれで乙だろう。


「じゃあ、決まりですね」


 僕は夏見に手を握られて、自分の部屋に戻った。


 *・*・*


 じゃんけんで僕は後攻になった。

 夏見が持ってきた人生ゲームはオーソドックスなものだった。出た目の数だけ進んで、止まったマスに書かれたことに従う。シンプルでありながらも、病みつきになる楽しさがある。


「ああ⁉️ 水切りで向こう側にいた人に石をぶつけてしまった⁉️ 五マス戻る⁉️」


 前半、夏見は快活に進み、僕から距離を離していったが、中盤になって急に歩みが遅くなって、僕とほぼ変わらない位置になっている。しかし、水切りで人にぶつけてしまうとは……優香里がやりそうだな。


「……お、虫取でヘラクレスを捕まえた。高く売れたので二万手に入る、と」


 日本にヘラクレスなんていたか? まあ、遊びだから深くは考えなくていいか。


 その後も勝負は均衡した。水遊びをして一回休みとか、猫を介抱して三マス進むとか、花火をして五マス進むとか、駄菓子屋で寝て三マス戻るとか、何処か懐かしい出来事ばかりが起きた。


 本当に……懐かしかった。


「――負けたあああっ‼️」


 結果は……僕の勝ちだった。

 僅差の勝利だった。歓喜に浸る暇もなく、夏見は二回目の人生ゲームを開始しようとするが、長い間尿意を我慢していたのか、「ちょっと失礼します」と言って、部屋を出ていった。

 部屋に静寂が戻るかと思いきや、そうはならなかった。


 今日は、外が騒がしい。

 人の声が幾重にも重なって聞こえてくる。なにか行事でもあっただろうか? 霊盆祭はもう少し先だし、なんだろうか。


「まあ、どうでもいいか」


 今は夏見と遊んでいたかった。あとどれくらい遊べるかと時間を確認するためにスマホを探すが、何処にも見当たらない。


「……何処にいった?」


 ベッドの下にも、箪笥タンスの中にも、部屋のあらゆるものをひっくり返してみたが、スマホは見つからない。昨日までは使っていたはずなのに。見逃しただけかもしれないと、もう一度探してみるが、やっぱり見つからない。まだ、探していない場所は、と見回してみると、机の引き出しが目に入った。棚の中に片付けた記憶はなかったが、探してみることにした。


 すると、


「なんだこれ?」 


 見覚えのないものが閉まってあった。これは――日記帳? 

 海に何回も進められ、その度日記帳を貰ったが、全て破棄したはずだ。大切に保管したことはない。目的はスマホの捜索であり、日記帳ではないが、そこにはなにか惹かれるものがあった。この日記帳が「私を見つけて」と、助けを求めているように感じたのだ。僕は手に取ると、一番最初の頁を捲った。


『二○二〇年 八月十三日




                               』

 

 日にちが書いてあるだけの、殆ど白に近い頁だった。唯一書かれた文字はとても汚い。それがなによりも僕の字だということを証明していた。けれど、僕は字の汚さよりも、僕はそこに記された日付に着目していた。


「……今日だと?」


 僕は一度閉じて、日記帳全体を見てみる。埃一つ被ってなく、数日前に手に入れたかのように真新しかった。これはなんだ?


 次の頁を捲ると、一頁とは打って変わり、字は汚いが、丁寧な文体で書かれていた。平仮名だけではなく、漢字も使われている。見たところ、神社の歴史についてまとめてあるみたいだ。流し目で見ていっても、初めて知る事実が書かれてある。びっしりと書かれた文字の群の中、一際目立つように、何重にも書かれた文が一文ある。

 最後にこう書かれてあった。


『よくできました』


 海の字だった。


「……なんなんだ?」


 この本がなにを示しているか、僕にはわからなかった。次の頁にもなにか書かれていたようだが、それを確認する前に、人生ゲームの『あがり』の前辺りにあるマスが目に入ってしまう。


『振り出しに戻る』


 その言葉がどうしてか僕の心に強く残った。


 それと、


「……カメラ?」


 僕の所有物でないものがもう一つあった。誰のものだろうか?


「先輩! もう一度やりましょう!」


 考えていると、夏見が部屋に戻ってきた。その笑顔を見て――脳内に、ある光景がフラッシュバックした。

 僕は夜の小学校のプールにいる。そして、下着姿の夏見と水を掛け合って遊んでいる。

 その記憶が虚偽のものだと断定するのは、容易いことだった。何故なら、夏見とは今日初めて出会ったのだから。だけど、どうしてか僕はこの光景を否定することはできなくて、


「……君」

「はい?」

「プールに行くぞ」

「え?」


 置いてあった水着が入ったバッグに日記帳とカメラを突っ込んで肩にかけて、僕は夏見を置いて外に出た。


 ――噛み合わなかった歯車が、回りだそうとする音が聞こえた気がした。


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