5章 真実、そして愛

001 ここから

 島を出るという夢がこんなに早く叶うなんて、思いもしなかった。


 同時に……こんな形で和也と別れることになるなんて、思いもしなかった。


 そもそも、自分がになること自体、信じられなかったのだ。

 楽しく島の中を走って駆け巡っていたのに。風邪なんてひいたこともなかったのに。大きな声だって出せた。だけど……今はもうできない。

 できていたことができなくなることが、こんなに辛いことだとは思わなかった。


 自身の破滅は、世界の終わりと同義だ。


 あたしが死んだ後も世界は続いていく……和也は今までのような普通の生活を、あたしがいなくなっても続けるだろうし、海は神社を継ぐのだろう。あたしのお母さんとお父さんも少々の傷を負いながらも、いつかその傷も薄れてあたしのいない日常に適応していくのだろう。あたしが死んだところで、世界は変わらない。 


 けれど、あたしはその世界を見ることはできない。

 あたしにとって、世界は終わったようなものなんだ。


 死ぬ間際になって思う……あたしはなんで今まで生きてきたんだろうって。

 残りの時間を使って考えてみようかとも思ったけど、人生の議題と言っても過言ではないこの問題の答えを見つけるには、あたしの時間では足りないみたいだ。 


 だから、ポジティブに、楽観的に考えることにした。

 死んだ後の世界があると考えてみた。死んでも、あたしは和也の側にいる。触れたり、話したりできなくとも、見守ることはできる。和也だけじゃない……海や早苗さん、他にも自分にとって大切な人を見守ることができる。


 それができたなら、幸せだ。


 死ぬことも怖くなくなる。その先が天国でなくとも、生まれ変わることができなくとも、それができれば他になにもいらない。死ぬ間際の人間がそんなことを言っても、説得力はないかもしれないけど。あたしが積み上げたものは、作り上げたものは、もうすぐで全て消えてしまうのだから。


 ……そういえば、お盆は先祖帰りできるんだよね。


 八月だけでもいいから、和也の傍にいたいな……


 *・*・*


 ミーンミーン――


 蝉の鳴き声が、遠くから暑さを集めてくる。

 寝汗が肌と寝巻きの接着剤の役割を果たしているせいで、気怠さと気持ち悪さが覚醒しきっていない僕の体にまとわりついている。


「……起きるか」


 背伸びをすると、脊髄に染み付いていた睡魔が霧散したような気がした。


 カーテンを開けると、朝の日光が射し込み、簡素な部屋の床に短な列を作り出していた。窓を開けると、涼しい場所を探し求めるように、新鮮な風が部屋の中に吹き込んできた。


 今は……何月何日だっけ?

 記憶を掘り返して、今日が二〇二〇年の八月十三日であり、そして、夏休み真っ只中だということを思い出した。

 どうりで暑いわけだ。さっさと秋になり涼しくなって欲しいと思うが、夏休みを楽しみたいという気持ちもある。


「……取りあえず、朝ごはんを食べるか」


 自分に言い聞かせるように、そう口にして立ち上がろうとすると、


「せんぱーい! 通い妻である私、夏見が起こしに来ましたよー! 中に入っていいですかー!」


 耳をつんざくような声が、扉の向こう側から届く。


「……適当に入ってきてくれ」

「はーい! 入りますよー!」


 扉を蹴破るような勢いで、声の主が部屋に入ってくる。

 漆を塗ったような真っ黒な髪、清楚な雰囲気を醸し出す白いワンピース、眇駆には似合わない大きな麦わら帽子。まさしく、夏を体現しているような少女が、太陽の代わりができそうなほど明るい笑顔で部屋の中に入ってきた。


「先輩! お体の具合はどうでしょうか?」

「…………」

「ん? どうかしたんですか? 具合が悪いんですか!」


 黙っていると、少女は自分の額に左手を、和也の額には右手を置き、簡易的な体温測定を行う。


「……熱いですよ! 風邪ひいたのかもしれません!」

「いや、寝起きだからだと思うぞ」


 僕の部屋にはエアコンがなく、冷房器具と呼べるのは物置部屋から引っぱってきた扇風機くらいだ。長年使い続けていたせいか、途中で動きを止めることがある。今も、ずっとつけっぱなしにしているはずが、羽は回っていなかった。


「たっく……本当にポンコツだなこいつは……あれ?」


『運転』と書かれたボタンを押してみると、扇風機は難なく起動した。まるで、若返ったように元気に羽を回している。


「……なんだかな……」

「気分がよかったみたいですね」

「夜行性ならいいのにな……」


 軽く扇風機を叩き、和也は少女に向き合う。


「それで先輩、調子はどうですか?」

「調子はいいよ。それで……なあ、いくつか質問していいか?」

「はい! いいですよ! ドンとこいです!」

「まず一つ……」


 脳内にこびりついていた疑問を恐る恐る口にする。


「――君は誰だ?」


 目の前の少女に見覚えが一切なかった。少女は悪戯がバレた子供のように、無邪気に笑って見せた。


「ですよね~。知らないのも無理もないですよ! これで会うのは二回目ですから」

「二回目? じゃあ、一度は会ってるのか?」

「はい、そうですね。でも、本当に数秒でしたし、先輩にとってはそれほど印象に残る出来事でもなかったみたいですし。仕方ないですよ!」

「うーん、そうなのかな……」

「はい、そうですよ! 別に大丈夫なんですよ。それに、今日から私のことを覚えていてくれればいいんですよ!」

「それもそうか」


 泥棒とかじゃなくてよかったと、ひとまずは胸を撫で下ろす。


「二つ目の質問なんだが……君の名前を教えてくれないか?」

「あ、そうでしたね。えーと、私の名前は神原夏見です。先輩の二つ下なので、高校一年生になります。あと、先輩と同じ高校ですよ!」

「そうか。僕の名前は……と、君は知ってるんだよね?」

「はい。秋山和也、ですよね」


 少女――夏見は満面の笑みを咲かせる。僕の名前を言葉にしただけでそこまでの反応をされると……嬉しいような、気持ち悪いような、複雑な気持ちになった。

 しかし、不思議だ。こんなに可愛くて、喜怒哀楽がはっきりとしている子は、上級生の中でも話題になりそうなものだが。僕にも同級生の男友達は二人か三人程度はおり、よこしまな話も耳にするが、神原夏見という名前は聞いた覚えがない。

 

「先輩。お腹空いてませんか?」

「ん……まあ、空いてるかな」

「じゃあ、ご飯を食べましょう! さあ、早く着替えて!」

「わかったけど……君は外に出ないの?」

「む。そ、そうですね。私、外で待ってまーす!」


 夏見は弾け飛ぶように部屋を出ていった。

 嵐みたいな子だった。話しただけでドッと疲れた。

 ぐぅ~と、お腹の虫が空腹を訴える。僕は立ち上がって、枕元に畳んであった私服を手に取る。


 ――おはよう。


「あ?」


 聞き慣れた声が外から聞こえた。窓を開けて外を見てみるが、その声の主はいなかった。見えたのは、頂上で輝く太陽と、大名行列のように、並んで歩く老人たちの姿があった。朝っぱら騒がしい……って、あれ?


「……今は何時だろうか?」


 取りあえず、リビングに行って確認してみるかと、僕は急いで私服に着替えた。

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