005 破壊

「……疲れた……」


 島の外周は、残念ながら実を結ばなかった。というか、人の姿が少なかった。見たのは五人ほどで、その内二人はデートをするカップルで、残りは今年は準備を早くしたのか、盆で燃やすための木々を持ち運ぶ老人だった。いつもなら、前日にやっているのに。

 到着地点である駄菓子屋についた僕は、ベンチでゲル状になっていた。暑すぎる。夕方はなんとも言えない暑さがやってくる。


「はあ……かき氷でも食べるか」 


 僕は駄菓子屋の中に入る。

 店主のお婆ちゃんも、井戸端会議をする老女たちもいない。僕はかき氷を作るための準備をした。早く体を冷やしたい。


 ……だが、


「回らねえ――え!」 


 車輪は回る気配がない。油差しとけよ! 前使った奴等!


「かき氷は諦めよう!」


 近くにあった棒状のゼリーを何本か拝借する。冷たいものを食べようとしていたのに、これでは本末転倒だ。しかし、来たからにはなにかを買わないと、気がおさまらなかった。それに、使うのは早苗のお金だし。

 全部で五十円だった。僕は募金箱の中に小銭を入れようとする。と、財布を落としてしまい、中の小銭やカードが散らばってしまう。


「いけね」


 僕はしゃがんで広い集める。小銭を全て集めきり、一枚のカードを手に取る。けれど……そこに記載されている早苗の情報に、反射的に離してしまった。


 ――だった。


 大人になれば誰もが持つものだ。そこには早苗の顔写真と、誕生日や期限が書いてあった。だけど、


「……はあ?」


 その証明書は、明らかにおかしかったのだ。ここに存在するはずのない……未来に存在すべきもの。だって――

 頭に強い頭痛が走る。立ち眩みがして、僕は地面にへたりこんだ。視界が歪み、脳味噌が捻れてしまったように感じる。それくらい衝撃が強かったのだ。


「……待て……まだ、決まったわけじゃない……」


 暑さで頭がおかしくなっただけかもしれない。困惑してるだけだ。

 だが、不安は膨らみ続け、僕の心を恐怖という形で蝕み始める。

 ゆっくりと立ち上がり、覚束ない足取りで帰路についた。冷や汗と脂汗が混ざり、道に滴り落ちていく。このまま不安も外に出ていけばいいのに。


 *・*・*


「…………」

「お帰りー、和ちゃん。って、ただいまはー!」

「……ただいま」


 蚊が鳴くような小さな声で、母に挨拶を返す。すぐに自分の部屋に戻ると、スマホを手に取る。その手は目に見えるほど震えていた。


 充電は満タンだった。


 数十秒かけて覚悟を決める。


 電源を入れるだけの簡単なことなのに、その行為は重たすぎる意味を持っていた。

 唾を飲み下し、僕は電源を入れる。パスワードの解除画面に移行するまでの数秒が、永遠のように感じられた。解除画面になり、四桁の暗証番号を打ち込む。


 そして、


「――ははっ……」


 乾いた笑いが出た。一度壊れてしまえば、後は簡単だった。適当にスライドさせて、カレンダーアプリを開く。そこに表示されていた数字は、驚愕の事実を静かに告げていた。


 


 ……なんてことだ。

 何故だ? 今日はじゃなかったか? それなのに、どうして四年と三日も経っている? 問題や疑問が止めどなく溢れ出してくる。


 僕はもう一度早苗の免許証を見る。取得日を調べてみると、今から一年後……つまり、二〇二一年であり、僕の知らない現在から三年前に取得していたことがわかった。


「……未来にタイムトラベルでもしたのか?」


 気づかなかったのも無理はないと思う。昼はテレビがついていなかったし、スマホは使えなかったし、カレンダーは駄菓子屋や喫茶店にあったと思うが、気にもとめなかった。

 この島は死んでいる。成長はもう望めない。きっと、四年経っても島は様相を変えなかったのだ。


「……いやいや。非現実的過ぎる」


 それに未来に行く理由がわからない。

 でも……確かに僕は未来に来ている。想像していなかったSF展開だった。

 もう一度、早苗の長財布を開き、免許証を見る。

 早苗は大学二年生――つまり、二十歳だ。でも、今は二十四歳で社会人だ。夏休みでこの島に帰ってきてるのか……それとも、この島で仕事をして暮らすことにしたのか。

 海はどうだ? 今も神社で巫女をしているのか? 二十二歳……結婚しているかもしれない。


 たった四年しか経っていない世界なのに、全く知らない世界だった。この世界はいつか僕が体験する未来だ。未来を過去の人物が知ってしまって……いいのだろうか?


 ――お前が見てないなら帰ってきてないんじゃないか?


「……そうだ、優香里は?」


 四年後の僕は? 四年後の優香里は?

 このスマホはきっと契約が切れているんだ。だから、棚の奥底に眠っていたのだ。契約は切れていても……LINEや連絡先は残っているはずだ。

 僕は恐る恐るLINEを開いた。


『               』


 目を疑った。


『                         』


 淡々と表示された文面は、仄かな絶望を孕んでいた。


『           』


 ――それ以上は読む必要はなかった。


 もう、わかってしまったから。

 握力がなくなった手から、スマホが地面に落ちた。

 目の前の現実が僕を襲ってきた。なぶり殺すように、逃げ場をなくすように、僕を囲ってくる。目を背けても、眼前にあるのは酷すぎる現実だった。逃げたくても逃げられない。でも、ここにいたらおかしくなる――


「っ!」


 弾かれるように、部屋を出た。たとえ、逃げ場がないと知っていても、逃げたかった。逃げている間は、可能性を信じられるから。


「おい和也! お前、あたしの財布――っ⁉️」


 丁度、二階から早苗が降りてくる。だが、無視して、靴も履かずに家を出た。

 変わらない夜空が、頭上に広がっている。四年後も変わっていない。なのに、どうしてこんなにも景色が違って見えるのだろうか。いずれ、この未来を体験することになるなんて、想像しただけで吐き気を催しそうだった。

 転びそうになっても、必死に走った。

 もう、足が千切れたって、よかったのだ。

 すれ違う人々は、足早に何処かへ向かっている。その手には供物が入った袋が握られていた。今日は霊盆祭の前日。当日は人で溢れかえる。だから、前日に神社に供えに行く人が多い。

 それぞれの家には団欒だんらんの明かりが灯っている。窓から覗ける室内では、子供たちがなにかの作成にいそしんでいた。


 ――灯籠とうろうだった。


 霊盆祭の最後、海に灯籠を流すのだ。きっと、前日に最後の仕上げを行っているのだろう。本人たちは灯籠流しの意味を理解しているのかいないのか、楽しそうに作っている。

 今は……その笑顔が憎かった。

 世界から逃亡をはかった。でも、現実は背後から僕に襲いかかってくる。


「ああああああああああ‼️」


 胃袋も吐き出せるんじゃないかという強さで叫んだ。

 吐き出すために蓋を開けたせいで、他のものまで溢れてきてしまった。

 涙が、汗が、感情が、とどまることを知らずに溢れ出してくる。

 けれど、僕を救ってくれる人はいない。もう、いないんだ。

 まるで、浦島太郎にでもなった気分だった。いつの間にか、何十年も時間が流れていて、自分を知っている人はいなくなって……いや、僕には自分が知っている人がいる分、浦島太郎よりは幾分かましかもしれない。

 後悔が体にまとわりついてくる。どうして、僕は早苗の財布を盗んだ? 知らなければよかったのに、どうして今日が何日かを確認した? どうして、優香里からのLINEを見た? 今すぐにでも、過去に戻りたかった。

 僕は玉手箱を開けてしまったのだ。折角、知らずに生きていけたのに、酷すぎる現実が閉まわれた玉手箱を、自分の手で開けてしまったのだ。


『立ち入り禁止』と、書かれた看板が掲げてある場所を通り抜けると、岬の先端にたどり着いた。下を見れば、真っ黒な海が口を広げている。僕を食べようとしているように見えた。

 

 岬の先端に立つ。一歩踏み出せば、僕の体は虚空に放り出されるだろう。そして、広大な海に飲み込まれ、誰にも見つからないまま海を放浪する。

 そうだ、それだけのことで人は簡単に死ねる。

 だけど、僕の足は前に進めなかった。


「――っ」

「……あ」


 自殺できる努力がなかったのもあるし、無理矢理に背後から抱きしめられて動きを封じられたのもある。背中にあたる、柔らかな感触と温もりで、顔を見なくても誰なのかがわかった。


「早苗か?」


 自分でも情けないほど、その声は弱々しかった。


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