003 動き出した世界

「どうした、和也?」

「うわっ⁉️」


 立ち尽くしていると、早苗が僕の顔を覗きこんできた。驚いて、思わず後ずさる。


「驚かれるのは心外だ」

「いきなり現れるから……って、なにを持ってるんだ?」


 早苗の手にはキュウリとナスが入ったビニール袋が握られていた。


「そういえば、もうすぐ霊盆祭か」

「……そうそう。馬とか作らないとならねえ。他にもお供えもの買ってこないといけないし」

「絶対に集まらないといけないのか?」

「勿論だ。島民は全員参加だ。わかったか? 島の外に遊びにいったりしたら駄目なんだからな。面倒臭い気持ちはわかるが……」

「昔の自分に言ってあげたら?」

「あ、あれは……若さゆえのあやまちだ! それより、さっさと帰るぞ!」

「はいはい」


 不良だった頃、早苗と愉快な仲間たちが、霊盆祭をぶち壊そうと、暴れまわったのだ。辺りは阿鼻叫喚あびきょうかんに陥り、地獄絵図と化していた。火が近くの木に燃え移ったり、誰かが転んで骨折したり……とにかく散々だった。

 この島には交番が一つしかないため、到着した数人の警官も全く機能せず、むしろ不良たちを刺激し、被害者が増えただけだった。

 結果だけを話すと、不良たちは大人たちによって取り押さえられた。燃えた木は住民のバケツリレーによって無事鎮火した。

 不良たちはそれはそれは厳しい罰をうけたようだが、


「あのときのことは思い出したくない……」


 本人はそう言って、罰の内容までは教えてくれなかった。

 これがきっかけで早苗は曲がった道を、真っ直ぐに軌道修正した。しかし、黒歴史は死ぬまでずっと本人の心に刻まれ、ふとした瞬間に想起されて、行き場のない忸怩じくじを消すために頭を壁に何度も打ちつけることなる。例え忘却が叶ったとしても、自分以外の誰かが覚えている。何年か経って、笑い話として話されたとき、きっと、死にたくなるような気分を味わうことになるだろう。

 救いは島民に嫌われなかったことか。どんな魔法を使ったかは知らないが、早苗と老人たちとの関係は修復されている。


 逃げるように大股で歩く早苗。僕も帰ろうと、足を前に出そうとする。


 ――――。


「ああ?」


 声が聞こえたような気がして、僕は振り返った。そして、


「――え?」


 そこにいるはずのない人間の姿を見た。


「……優香里?」


 僕は小さくなっていく後ろ姿を眺めながら、いるはずのない人物の名前を呟いた。白いワンピースに大きな麦わら帽子、そして高校生とは思えない小さな体。さっき会った夏見とかいう少女の可能性だってあった。でも、何故か僕はその後ろ姿が優香里だと断定した。勘、というやつだ。

ずっと、一緒にいたんだ。

絶対に、見間違えるはずがない。


「っ⁉️」

「おい! 和也⁉️」


 気がつけば走り出していた。相手は短足鈍足野郎だ。追いつけないはずがない。

 足がちぎれるんじゃないかというくらいに走った。走って、やっと後ろ姿を捉える。肺が破裂しそうなくらいに痛い。しかし、別に辛くはなく、捕まえてなにを言ってやろうかを考えられる余力があった。


 ――たっく、帰ってきたなら一言言っておけよ。僕の電話番号知ってるんだからな。なに? 連絡したけど繋がらなかった? そういえば、スマホの電源が切れてたな。すまん。いや、でも、固定電話があるだろうが。そこにかけれるだろ。

 ……は? 驚かせたいから黙っていた? 相変わらずだなお前は――


 けれど、その会話が実現することはなかった。


「捕まえた!」


 閑散とした商店街の路地裏で、白く細い手首を掴んだ。勢いを殺すために、そのまま体を壁に押しつける。


「――いっ⁉️」


 喉奥から絞り出されたような、か細い声が漏れる。


「……あれ?」


 耳に馴染まない声だった。よく、顔を見てみると、


「――先輩。痛いですよ……離してください」


 捕まえた少女は、確かに白いワンピースに、麦わら帽子だった。雰囲気も似ている。けれど、優香里ではなかった。


「……誰だっけ?」

「もう忘れたんですか⁉️ 神原夏見ですよ! さっき駄菓子屋の前で話してたじゃないですか!」

「……ああ、君か」

「全く……忘れないって言ったのに……一日も経たずに忘れてしまいますか……」


 その表情には憤怒が見てとれた。だが、すぐにハッとした表情になり、


「ご、ごめんなさい! 失礼なことを言ってしまって!」

「いや、すぐに忘れた僕が悪い」

「でも、先輩の記憶力は皆無だなんて言ってしまって……」

「言ってなかっただろうが」

「ど、土下座するので、手を離してくださいませんか?」


 言われた通り手を離すと、本当に土下座をするために膝を折ろうとしたので、両脇腹に両手を差し込んで立たせなおした。夏見が謝罪をする必要はない。土下座を伴う謝罪は、追いかけ回した僕がするべきことなのだ。

 だから、僕は土下座の体制を作るために、膝頭を地面につけようとする。が、海は僕がやったのと同じように、両脇に手を挟んでくる。しかし、夏見みたいな小さな少女に、男を持ち上げる力はなく、そのまま止まった。


「……先輩、重たいですね」

「だろう? このまま持ち上げようとしても意味ないぞ。今すぐ僕に土下座をする権利をくれ」

「駄目ですよ! 先輩のそんな情けない姿、私は見たくありません!」

「大丈夫だ! 僕なら土下座だって、お洒落でイケメンでスタイリッシュな行為に昇華できる!」

「その自信は何処からわいてくるんですか! 先輩にそんなことができるほどのかっこよさはありませんよ!」


 ナチュラルに酷いことを言うやつだ。そんなことを言われれば、余計、土下座をしたくなる。僕は上半身に力をいれていく。


「お、重たいです!」


 重心が下がり重たくなった僕を、夏見は持ち上げられない。少しずつ、膝頭が地面との距離を縮めていく。夏見の額には冷や汗が浮かび、顔は熟れたように真っ赤だった。しかし、夏見も中々頑固で、一向に止めようとしない。


「――わかった……土下座は止めにする」


 五分後、僕は土下座を諦めた。ただでさえ全力疾走で息があがっていたというのに、不毛な争いで、一層息苦しくなった。

 それは夏見も同じだったようで、近くにあった喫茶店で一休みすることにした。本人の申し出で、奥の方の、レジからは見えない席に座った。


「見つかったらなにを言われるかわかりませんから」


 誰から逃げてるんだお前は。「奢ってやる」と先輩風を吹かせたら、夏見はヤケクソ気味に二千円のイチゴパフェを頼みやがった。

……悲しくなんかないよ? 喜ぶ後輩の顔が見れて嬉しいですよ?


「それで、一つ聞きたいんだが……」

「質問は一回までって言いましたよ」

「更新してくれよ。二回目なんだからさ」

「一日一回なんですよ……まあ、でも、今回は特別に許します」


 溶けた氷の水をストローで飲みながら、夏見は言う。かなり面倒臭そうだった。


「なんで走ってたんだ? 今言ったみたいに、誰かに見つからないようにするためか?」

「んー。まあ、そうですかね。見つかった⁉️ って思って逃げてたんですが、まさか先輩が追いかけてきてただなんて。なんですか? 私と一緒にいたかったんですか?」

「そういうわけじゃない」

「否定しないでくださいよ。傷つくじゃないですか」

「それでさ、女の子を見なかったか?」

「無視ですか……」


 しゅんとする夏見。しかし、パフェが届くと一気に笑顔になった。現金なやつだった。


「それで、女の子を見なかったか?」

「女の子って、どんな女の子ですか?」

「えーと……お前みたいな女」

「私みたいな? 私と勘違いしてるだけじゃないんですか?」

「いや、絶対に違う。服装は同じだし、身長も似たような感じで低い。でも、あれは確かにお前じゃなかった。僕にはわかる。えーと、名前は――」

「――優香里って人ですか?」 


 ……声が出なかった。どうして……夏見の口から、あいつの名前が出てきたのか。夏見は数ヵ月前にここにやって来たと言っていた。そして、優香里は二年前にこの島を出ている。二人が会う機会はなかったはずだ。

 それなのに何故、優香里の名前が?


「向こうも私のことは知ってると思いますよ」

「……何処でいつ会ったんだ?」


 練乳で汚れた口許を拭いながら、簡単に夏見は言う。


「この島で、私は何回も顔を会わせていますよ」

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