007 線香花火

 今日の目的を果たした頃には、夕方を通り過ぎて夜になった。体の節々が痛くて堪らなかった。今にも倒れそうな僕に対して海は、


「お疲れ様。ありがとうね。どうする? 夕食は食べて――」


 なにか言いかけて、いきなり言葉を忘れたみたいに言葉が切れた。その視線は、神社に登るための、長い石階段に固定されていた。まるで、信じられないものを見たように。


「どうしたんだ、海?」


 声をかけたが、本人の耳には届いていないみたいだった。


「……ちょっと、ここで待ってて」

「え?」

「すぐ戻ってくるから!」


 海は僕を置いて、階段をかけ下りていった。何一つ把握できなかった。確か、階段の下には古い倉庫があったような……でも、急ぐ意味はなんだ?


「……追いかけるか」


 僕は足音を消して、ゆっくりと階段をおりていった。暗いと危ないからと、この階段を挟むように光源が設置してある。島全体の半分の光源がここに集まってるんじゃないかというくらいの数だ。ここが優遇されているのも、島民の信頼の結晶だと思えた。

 二百にも及ぶ階段をおりると、古い倉庫に明かりが灯っていた。


「……………………」

「……………………」

「? 誰かと話してるのか?」


 二つの声が倉庫の中から聞こえた。一つは海の声。もう一つは……あれ、聞き覚えがあるような……しかし、脳裏に浮かぶのは黒いシルエットだけで、誰までかはわからなかった。扉に耳を押しつけてみたが、なにを話しているかまではわからない。


「…………」

「……?」

「…………………………」

「………………」


 海が誰かを説得しているように感じた。でも、誰を? 考えていると、二つの声がパタッと止んだ。声が小さくなったわけではなく、本当になにも聞こえてこない。


 ……嫌な予感がした。まさか、襲われたんじゃないだろうか?

 

 口を無理矢理閉じさせられ、助けも呼べない状態。肩を地面に押さえつけられ、身動きもとれない。相手は海の衣服に手を置き、強張る海の表情に沸き上がる欲を自覚し、淫らにも服を脱がせていき――


 その先を、意思の力で捻じ切った。

 後ろ向きなことを考えても仕方ない。今にも海は二度と外に出れず、人が怖くなるほどの恐怖心を植えつけられるかもしれないのだ。戸惑いはなかった。僕は勢いよく扉を開いてやった――


「――え?」


 目の前を埋めたのは――眩しい白だった。

 古いといっても、内装はそれなりに綺麗だ。床には花火と、浴衣が置いてある。でも、僕の目がなによりも鮮明に捉えていたのは、全裸と相違ない姿の海だけだった。局部を隠すはずの純白の下着が、余計に海の妖艶さを演出しているように見えた。柔らかそうな素肌と、普段はスラリと見えても、思春期故のほんのちょっとだけだらしないお腹、そしてへそ。全てがこの世のものとは思えず、僕はただ間抜けにも口を開けっぱなしにして、美術館に飾られている像のような海を、凝視していた。

 このときほど人間に生まれてきたことを恨んだときはなかった。この倉庫の扉に、床に落ちている花火に、どうして生まれてこなかったのだろう。秋山和也という愚鈍な存在が消えたことで、着替えが中断されることもなく、ただ海のあられもない姿を眺められたのに――


「なに見てるの?」

「…………」


 海の反応は、自責で潰れそうなくらい淡白で、消えたくなるくらいの軽蔑がこもっていた。叫んで、追い出してくれた方が救いもあったのに。


「……ごめんなさい」

「反省文もう一枚ね」

「……はい」


 全面的に僕が悪かった。でも、反省はしてなかった。

 僕は後ろを向く。そこで、自分が海の確認もとらずに、倉庫の中に入った理由を思い出した。


「海、お前ここで誰かと話してなかったか?」

「ん? ……話してないよ。ここにいたのは私だけだよ」

「そうか。……ごめんな、勝手に入って」

「いいよ。不可抗力だから」


 外に出て、扉を閉める。夜空を見上げるわけでもなく、僕は瞑目めいもくしていた。このことはずっと、心に焼きつけておこう、と。


 *・*・*


 何分か経って、倉庫から海が出てきた。

 海は浴衣を着ていた。心に焼き付けた半裸が剥がれてしまいそうになった。服を着ていない海にはない魅力が、また違う形で僕を魅了していた。星を眺めるよりも、きっと長い間見つめていられるだろう。


「……どう、似合う?」


 いつも巫女服を着ている海にとって、浴衣の暑さは苦にならないようだった。自然体の自分を僕に見せつけてくる。僕は洒落た言葉を思い付けなくて、無難に、


「……似合ってる」

「うーん……四十点くらいかな」

「手厳しいな」


 でも、海は嬉しそうに笑って、袖を揺らしていた。


 階段をのぼって、神社や鳥居に火が移らないよう、中間辺りに水の入ったバケツを置いた。その横で、倉庫から持ち出した花火に点火していった。

 先端から勢いよく吹き出す火の粉に、海は感嘆とも驚きともとれる、小さな声をあげた。薄暗闇の中を様々な色で彩り、役目を果たして光を失っていくその姿は、桜に似た儚さと美しさを兼ね備えていたように見えた。夏の風物詩。人間は失っていくものを美化する。花火だって蝉だって、死んだ人間だって。

 輝いては消えていく、その度に海の表情もコロコロ変わっていった。火花の光で映える横顔は、僕の目を離せなくした。度々視線があっては逸らされる。完全に、夏の独特の雰囲気に呑まれていた。


 あっという間に、線香花火だけを残して、花火を使いきってしまった。


「どっちが長く持つか勝負しよ!」

「ああ、いいぞ」


 明かりの強い階段に背を向けて、同時にライターで火を点けると、じっと待った。ジリジリと真っ赤に光る玉。大分長い間灯っていたが、ついには力尽きて、海よりも先に地面に落ちて消えてしまった。


「やったー! 私の勝――あっ!」


 立ち上がった衝撃で、海の花火がポトリと地面に落ちた。時間を競ってるわけではないのだが、海は悔しそうだった。

 次々と線香花火に火を点けていった。勝敗は五勝五敗で五分だった。線香花火は残り三本だけ。次で勝負が決まる。


「負けないよ!」

「僕もだ。手加減はしない」


 しようがないのだが。僕と海は花火の先端をくっつけて、同時に点火しようとする。すると、いきなり背後から強い風が吹きつけ、ライターの火が消えてしまう。


「――――て」


 その風は声を連れてきた。僕は反射的に背後を振り返って――そこにいた人物に驚愕した。


「――あたしにもやらせてよ。線香花火」


 ……優香里だった。本土にいるはずの優香里が、光源の後光を受けて、僕の前に立っていた。あの頃と変わらない姿で、僕に笑いかけていた。


「な、なんでここにいるんだよ」

「なんでって、ここに来たからだけど。なに、あたしが帰ってきたら駄目って言うの?」

「い、いや、そういうことじゃなくてだな……帰ってきたなら、連絡くらい寄越せや」

「嫌。連絡したら和也の間抜け顔が拝めなくなるし?」

「……お前って奴は……」


 昔からこういう奴だった。他にやることがないのかと思うほど、僕を驚かすことに全力を注いでいた人間だ。ちょっとしたサプライズのつもりだったのだろう。本人の狙い通り、僕は呆けた顔を見せてしまったわけだが。


「海、もう一本余ってるんでしょ? あたしにもやらせて」

「うん、いいよ」


 海から花火を受けとると、僕と海と同じように先端をくっつけた。風が吹いてこないことを確認すると、ライターの火で点火する。

 ジリジリと音をたてながら火花を散らし始める。海は「頑張れ~」と、応援していた。優香里は懐かしむように、


「……こうやって三人で遊ぶのも久し振りだね」

「そうだな」

「和也はいつも泣いてた気がする」

「お前が泣かせてたんだろうが」

「痛いっ、ちょっと引っ張らないでよ~ずるだぞそれ。こっちも!」

「おいっ、お前も卑怯だぞ!」


 服を引っ張り合う僕と優香里。足を引っ張りあって、あえなく玉がほぼ同時に、地面に墜落する。


「なにするの!」

「こっちの台詞だ!」

「私の勝ちだよー」


 海の線香花火は、今日の中で一番長く輝いていた。

 花火も使いきり、することもなかったので、バケツを片付けようと階段をおりていく。三人の会話は弾みっぱなしで、止めどなく話題が出てきた。郷愁きょうしゅうにも似た懐かしさが胸を込み上げてきて、熱いものが溢れそうになった。


 片付けてる最中に、優香里が、


「あ、ごめん。もう、時間がない」

「用事でもあるのか」

「うん、ちょっとね。ごめんね、片付け頼んでもいい?」

「いいが……そんな時間がないのに神社に寄ったのか」

「そうだね。なんとなくだね。あたしは自分に正直に生きてるから。朝、和也の家に行こうと思ったけど、面倒になって行かなかったし」

「相変わらずだな」

「ああ――あたしは変わらないからね」

「成長しなかったもんな――ぐはっ⁉️」


 無言で鳩尾みぞおちを殴られた。膝が折れる僕を鼻で笑った後、


「じゃあね、また、明日」

「ああ……会えたらな……」

「バイバイ……優香里」


 優香里は暗い夜道に姿をくらませた。僕はその後ろ姿を眺めるだけだった。送ってやろうとも思ったが、多分、あいつは断るだろうから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます