006 なっちゃん

「……はあ、疲れた……」


 かなりの重労働だった。腕の筋肉が切れてしまうんじゃないかと心配になるくらいの痛みが、細胞を攻撃して壊してくる。


「お疲れ」


 木の影で休んでいる僕に話しかけてくる海……よくこんな炎天下の下を巫女服を着ながら動ける。痩せようとしてるのか?


「……あ」

「ん?」


 海が感嘆の声をあげたかと思うと、動きを止めた。視線が僕の背後の茂みに固定されている。見てみると……小さな猫がいた。


「か、可愛い……!」


 猫を抱き抱え頬ずりをする海。お前の方が可愛いじゃん……とは、言わないでおいた。

 結構弱っているのか、猫はぐでんとしていた。この暑さには動物も堪えてしまうらしい。裸だし、素足で鉄板のようなアスファルトの上を歩いているんだし、尊敬するよ、僕には絶対にできない。


「ちょっと和也。持っていて」

 

 海は僕に猫を預けると、家に走って戻っていった。僕は猫の三日月のような猫の目を見る。そこからはなにも感じなかった。僕は手の形をチョキにして、目潰しをするように、指先を両眼の前に置いてみる。そこに殺意を忍ばせてみる。が、猫は恐がりもせずに、目を閉じるだけだった。甘えるみたいに、喉を鳴らしている。


「……可愛いじゃん」


 不覚にもそう思ってしまった。


「ご飯持ってきたてよー!」 

 

 海がこちらに走ってくる。持ってきた餌の匂いに惹かれたのか、猫は海の胸の中に入り、猫用の餌を食べ始めた。羨ましい。

 

「可愛いね」

「……そうだな」

「あ、なっちゃん、吐きそうになってる」

「一気に掻き込むから……って、なっちゃん?」

「うん、名前つけたの」

「ふーん」


 飼うつもりなのだろうか? 本人が決めたことをとやかく言う気はないが。


「どうして、なっちゃん?」

「前、学校で育てた豚の名前だよ。覚えてない?」

「……ああ」


 そんなこともあったような気がする。豚を育てて、食べるってやつ。小学生のときの記憶なんて、殆ど残っていないが、体は覚えているようで、頬に鋭い痛みが蘇った。あのときの僕は俗に言う、厨二病に身を蝕まれていたのだ。この島から出たいという思いが強すぎて、本土へ繋がるワームホールを生みだそうとしたりした。思い出しただけで吐き気がする。我が人生の汚点だ。


「食べるのか、この猫」

「食べないよ~飼うつもりもね。でも、一日か二日は飼おうかな。弱ってるから、元気になるまでね」


 そう言って優しく猫を撫でる海の姿は、猫の目には女神のように映っているのだろうか。猫に感謝という感情があるのかどうかはわからないが、海にとってそんなことはどうでもいいのだろう。ただ、弱い者を助けることができれば、それで。

 猫――なっちゃんが喉を鳴らす。それを見た海が笑う。母と子のようなその様子を、僕は黙って眺めていた。 


 *・*・*


「……疲れた」


水を飲み、水分が染み込んでいく感覚を味わいながら、感傷に浸っていると、


「頑張ったね、和也」


 海が僕の頭を撫でる。褒め方も、撫で方も、子供をあやすような感じなのに、不思議と嫌悪感は湧いてこない。むしろ、ずっと撫でて欲しいくらいだった。


「じゃあ、反省文は免除して――」

「しないよ」

「だよねえ……」


 海は小悪魔的な笑みを台所から見せた。空腹の胃袋がいびきのような音を出した。


「ご飯作ろうか? お腹すいてるじゃない?」


 労働が終わった後、海はそんなことを言ってきた。空いてないよと否定する前に、お腹が音を鳴らして肯定した。それを聞いて、海は優しく微笑んだ。

 律儀にもエプロン(小学生の家庭科で作った)を装備し、鼻唄を交えながら台所に立っている。異物が料理に混入しないようにと、髪を後ろで束ねている辺り、相変わらず気配りがよくできる人だ。将来はいい奥さんになれそうだ。神社の跡継ぎという肩書きがなければ、だが。


「……あれ、ご飯炊いてなかったっけ?」 


 海はとても可愛い。男供はその容姿に惹かれ。友人や恋人になることを望んだ。実際、話しかけてくる輩も多かったみたいだし、手紙を貰っている場面も何回か見たことがある。あまり自分を高く評価しない海も、その事実に戸惑いながらも、嬉しく思っていたみたいだ。友人もたくさん作ったし、恋人ができたこともある。


 けれど……その関係が長く続くことはなかった。


 親しくなった以上、相手のことをもっとよく知りたいと思うのは、至極当然なことだ。自分と波長の合う特性を見つけることだってあるし、知りたくなかった事実を知ることだってある。前者は、趣味とか、昔やっていた部活とか。後者は、親が離婚しているとか、昔は不良だったとか。誰にだって、秘密にしていたいことだってある。   

 けれど、相手にもっと自分のことを知ってもらいたいとも思う。これが人間関係の難しい所で、両立できずにどちらかに傾いてしまうと、関係は破滅を迎えることになる。

 海はどちらかと言えば、自分の境遇を隠してきたのだ。けれど、この守島神社はこの島ではシンボルのようなもので、当然、年老いた人との関わりが多い。この島の人間はいい人もいるが、小難しい人がいるのも確かだった。必然的にそれらのことは子供にも伝わって……親しい真柄は、簡単に一転し、静かに破滅した。


 友人は避けるようになり、告白した人物は自ら一方的に解消を告げてきた。

 皆、島という狭い世界しか知らなかったのだ。だから、もっと広い世界を見るために、島を出ていく。この島では人付き合いが難しすぎる。

 加えて、彼女と付き合うということはこの神社を継ぐことになるかもしれないということで、それは島の小難しい人や旅行者の相手をしないといけないということを意味して、誰も率先してその役割を負いたいとは思わなかったのだ。

 高校生になった今、海のことを知らない同年代の人間はいなくなった。別に海が神だというわけでもないのに、みんな勝手に、海の周りに壁を創造していた。


 でも、海は悲しそうな顔は一切見せなかった。自分を生んでしまった親と世界を呪うことはなかった。報われて欲しいと思う。家事だってうまいんだし――


「はい、できたよ――チャーハン」

「ご・飯・な・い・っ・て・言・っ・て・な・か・っ・た・っ・け?」


 錬金術の類いか⁉️ しかし、目の前には黄金色の米粒の集合体があり、芳ばしい匂いが鼻孔を通り抜けていく。


「どうやって作ったんだよ⁉️ 料理が上手いって次元の話じゃないぞ、おい⁉️」

「ほら、準備をしているときに田崎さんとか村岡さんが色々とくれたから、材料には困らなかったの」

「いや、だとしても……」

「そんなことは気にしないの。早く食べないと冷めちゃうよ」

「う……意味がわからん」


 これが巫女の力か……違うだろうけど。

 わからないことは深く考え込まない方がいい。人は忘れていくことで強くなっていくのだ。チャーハンの謎を頭の外に弾き出して、舌に精神を集中させた。唾液がまとわりついた口内に、黄金色の米粒を運ぶ。


「……!」

「ど、どう?」

「……旨い」


 空腹で飢えていたのもあったが、口へと運ぶ手が止まることはなかった。噛めば噛むほど味が濃く広がっていき、飲み込むのも惜しいくらいだった。口の中に一気に詰め込むのではなく、飲み込んでから次へと、よく味わいながら食べていても、食べ終わるまでに五分もかからなかった。


「ご馳走さま」

「お粗末様でした」


 まっさらになった皿を海に渡す。すぐさま海は食器を洗い出した。

 カチャカチャと心地よい音が鼓膜を震わせた。その音を聞いているだけで、真夏の湖畔に肩まで浸かっているような、澄みきった気持ちになれた。僕はそのまま思考に身を浸して、自分の未来を夢想していた。


 未来の僕はこの島の外に住んでいる。そこそこの会社に入社して、そこそこの暮らしをする。そして、いつかは恋人ができて、結婚して、子供が生まれる。家族が一人増えたから、もっと大きな家に暮らさないとって、一戸建てを購入する。そして、三人で家の前で記念撮影をするのだ。現像した写真には、大人になった僕が笑っている。隣には、まだ顔を黒く塗りつぶされた子供と結婚相手の姿がある。誰の顔がそこにあるのか確かめるには、今を精一杯生きていかないと――


「和也?」


 海の声で現実に引き戻される。食器洗いを済ませた海は、僕の前の席に座っていた。


「ねえ、まだ続きを聞く気はある?」

「続きって、この島の歴史を?」

「うん。聞いてみない?」


 海は懇願するように僕を見てくる。そんな目をされたら断れるはずがない。昼ご飯も食べさせてくれたし。


「……ああ、聞かせてくれ」

「ありがとう」


 最終回と言われていたのに、第二期が始まったような気分だった。僕は日記帳を開く。今度は怒られないように、しっかりと書こうと、決意して。


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