005 廃れた話

「――物凄く仲のいい夫婦がいたらしいよ。ずっと、手を繋いで、目があったら笑いあうような。凄く順調に暮らしてたんだけど、ある日、夫が夕方に外に出たっきり、夜まで帰ってこなかったらしいの。奥さんは心配だったみたいだけど、帰ってくるだろうと、その日はすぐに寝た。それで、朝起きてみたら……隣には夫が寝ていたの。奥さんはとても安心したらしいよ。

 でもね、その日から夫さんの様子がおかしくなったの。夕方まではいつも通りなんだけどね、夕方になると何処かへ行くようになったの。それで、夜まで帰ってこない。でも、起きた頃には隣で寝てるの。なにかおかしいって思った奥さんは、夫を尾行することにしたみたい。きっと、浮気をしてるんじゃないかって、思ったんだと私は思うよ。それで、そのまま尾行していくと、山奥にたどり着いたの」


 なんだか、展開が読めた気がした。


「そしたら……夫は崖から足元を滑らせて落っこちちゃったの。奥さんは目の前の光景が信じられなくって、家まで逃げ帰っちゃったみたい。でも、あんな光景を見た後じゃあ、寝れるはずもなくて、その日の夜はずっと起きていたらしいの。……そして――」

「死んだはずの夫が帰ってきたわけか」

「うん、そういうこと」


 オカルトの類いや都市伝説を信じているわけではないが、娯楽として話を楽しむのは好きだ。好奇心が抑えきれず溢れそうになったが、なんとか表情の下に隠す。


「ここで一旦話を切るよ。和也……ここまでの話を聞いた感想は?」

「興味深かったよ。面白い。続きが気になる」

「楽しんでくれたならよかったよ。それでね、一つ聞いてみたいんだけど……この後、奥さんはどうすると思う?」

「……どうするって?」

「えーとね、奥さんが夫さんはどうするかってこと。島の人に知らせるのか。それとも……」

「死んだことに気づかない夫さんと従来通り暮らし続けるか。僕は後者だと思うな」

「そう、正解。奥さんは黙っていることにしたの。でも……その生活は長くは続かなくて、島民が偶然死体を見つけてしまったの。もちろん、その噂は一気に島全体に広がって、私の家まで届いた。だから、すぐに幽霊は除霊されたの」

「……奥さんは納得したのか?」


 海は首を横に振る。大体、考えていた通りの展開になった。


「奥さん、凄い恨んだみたい。三代目の家は燃やされるし、毎日恨み節の文書とか、ビリビリに破られた写真が送られてきた。でも、結局自殺しちゃったんだけどね。首吊りで……」


 ありきたりな終焉しゅうえんだった。これまでの話の通りならば、死んだ奥さんも霊になってしまったのだろうか。だとしたら残酷すぎる話だろう。彼女は夫を亡くした悲しみを永遠に繰り返すはめになったのだから。それは首を吊る瞬間の痛みよりも、強い痛みなのかもしれない。最も、自殺するのが悪いと言われれば同情しようのない話でもあるのだが、どちらにせよ、生きている人間が、死んだ人間や霊のことを知ることなんて不可能なのだ。


「でも、その話がどうして霊盆祭に繋がるんだ?」

「実はね、この神社の建てられている場所が、その夫さんが自殺した場所なの。もっと掘り下げていくならば、自殺者が多かった場所なんだけどね」

「……じゃあ、ここは霊力が強かったのか?」

「うん。いつか封印しようと目論んではいたみたいだよ。夫さんの死体が見つけた人も、ここで自殺しようとしてたみたいだし。だから、これを期に、家も兼ねた神社を建てようってことになったみたい。なんか、一昔前に再燃して観光客が増えたみたいだけどね」

「だな」

「この島の盆って、お盆の最終日に儀式をするってだけで、根本的にはなにも変わらないんだよ。お盆の時期になると先祖様がやってきて、終わると帰っていく。帰還も同じで死んだ人が十三日にやって来て、最終日には祭で先祖様が帰りの手伝いと、来年また来てもらえるようにって、祝福の意を込めて行われる。つまり……死んだ夫さんを迎えて、四日間だけ一緒に過ごして、最後は悲しいままじゃなくて、また会えるまで生きていこう……って、意味が霊盆祭には込めれてる。まあ、霊盆祭が始まる前に、奥さんは死んじゃったんだけどね」

「なるほどな」


 手はまるで自分以外の誰かが操っているかのように、勝手に動いていた。今、海が長々と話した昔話は、人間にとっては永遠にも匹敵するほど長い歴史の極々一部のものでしかない。それも、知っている人物は百といないだろう。世界を変えたわけでもない、いつかは忘れ去られていく歴史。けれど、そこには僕の心を掴んで離さないほどの強い魅力が備わっているように感じた、


 僕は鉛筆を机に転がす。濃密な時間だった。


「これで話は終わり……しっかりとメモをとった? 見せてよ」

「ああ、いいぞ」


 僕は日記帳を反対に向けて、海に渡した。海が驚いて、椅子ごと地面に倒れる姿が、考えなくても浮かんできた。そして、こう言うだろう。

 ――さすが和也だね! 私が見込んだ通りだよ――と。


「……なに、これ……」


 しかし、違う反応が返ってくる。想像とは違い、海の表情は怒りで真っ赤だった。


「ん? なにか、おかしいところでもあったか?」

「…………」

 無言で日記帳を突き返される。紙の上には、

『二○二〇年 八月十三日






                                     』

「なにも書いてないじゃん!」


 海が日記帳を机に叩きつけた。


「なんでなの⁉ ちゃんと手動かしてたじゃん⁉」

「あれ、なんでだろうな……しっかり書いたつもりなのに……」

「書いてないじゃん」

「し、しっかり海の話を聞いてたからだよ。脳に刻み込んでたせいで、手が動かなかったんだよ」

「ふーん……じゃあ、夫さんの名前を言ってみて」

「え、えーと……守島神社さん?」

「それはこの神社の名前でしょ! 私、夫さんの名前なんか知らないよ! ちゃんと聞いてないじゃん!」

「あは、あはは……」


 目尻に涙を溜め、叫ぶ海。周囲の物を僕に向けて投げつけそうな勢いで捲し立ててくる。いつもは大人しいのだが、なにかの拍子にスイッチが入ると、手に負えなくなる。スイッチが入る条件が曖昧なのも手伝って、どうすれば落ち着くのか、方法もわからないので、落ち着くまで待つしかない。


「書いて! 反省文書いて! 条件として、「すいません」「二度としません」「忠誠を尽くします」の語句を使うこと!」

「国語のテスト問題か!」 

「いいから書いて! 書いたら、続き話すから!」

「ひ、ひとまず落ち着いてくれ……って、まだ話があるのかよ!」


 喉がちぎれる位の声を吐き出し続ける。ああ、どうしようもない。諦めかけていたそのとき、海の暴走は、


「いい! 霊盆しゃいはね――」


 本人の手によって終わりを迎えた。まるで時間が止まったように感じた。喧騒の代わりに、声を出した方が負けと言わんばかりの濃い静寂が空間を支配する。


「……噛んだ?」 


 指摘せざるをえなかった。こんな沼に浸かっているような静けさに耐えきれなかったからだ。海の顔が窒息するんじゃないかと思うほど、朱色に染まっていき、


「い、今のは忘れて! あの、あの――」

「取り敢えず話は一旦切ろう! 今日は準備が本来の目的だろう? 外に出よう! 新鮮な空気を肺に取り込め!」


 ぼくは海の手を掴んで、外に走った。今の僕は、爆弾を人のいない場所へ運ぶスパイだ。傷つけないように力を加減して、初めての恋人をエスコートするように外へ連れ出す。


「はあはあ……海、僕が最初になにを手伝えばいい?」


 息も絶え絶えに質問をぶつける。勢いに押されるがまま海は、


「え、えーと……倉庫に柵があるから、ここに持ってきて。組み立ては明日するから」

「了解!」


 海に背を向けて、渇いてひび割れた土の上を走り出す。

 反省文から逃げたわけじゃないぞ? 勢いで押しきって、忘れて貰おうなんて、これっぽっちも考えてなかったぞ?


「――あ、反省文はちゃんと書いてね。何日か後に提出して貰うからね」

「……はい」


 どうして覚えているんだ……

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