008 プールで泳ぐ

「――先輩! プールに行きましょうっ!」


 作り上げた空気を自らぶち壊した夏見と共に、ぼくたちはプールへ向かった。

 夏休み中、ここの学校のプールは常時開いており、島民なら誰でも使用することができる。だが、近くには海があるので、使う人は殆どいない。


 二十五メートルプールを囲うように立つ外灯は、風に揺れる水面を、幻想的に照らしていた。いつもなら目を奪われる光景。だが、僕の視線は別のものを捉えていた。


「……誰だ?」


 隅の方に、小さな影が見えた。遠くからなので顔は見えないが、大きさ的には狸や狐といった動物ではなく、人間のものだ。向こうはこちらの存在に気づいたのか、もう一つの扉の方へと姿を消していった。


「悪いことをしたか?」


 もしかしたら、ここで泳ぐ練習でもしていたのかもしれない。それを、僕たちが邪魔した。海に囲まれた場所に生まれたというのに、泳げないというのは恥ずかしい。それを誰かに知られるのも恥ずかしい。だから、夜に隠れて練習していた……そういうことだろうか?


「先輩!」 


 しかし、ここにいた人には悪いが、振り向いて夏見の姿を見た瞬間、自責の念は簡単に消し飛んでしまった。

 ――背後に下着姿の夏見がいた。


「……普通、水着じゃないのか?」

「し、仕方ないじゃないですか! 家に忘れてきちゃったんですから……」

「いや、別に水着も下着も猥褻なことを覗いて見てみればそう大差ないんだけどさ。濡れたらどうやって帰るつもりだ? ノーパンノーブラで帰るつもりか? まあ、それもいいけどさ。夜風が気持ちいと思うし」

「大丈夫です! 下着は持ってきています!」

「水着忘れて下着は持ってくるのか……」


 私もよくわからないんですけどね。多分、先輩に会えるのが嬉しすぎたからですよ。


 そう言った後、夏見はプールの中に飛び込んだ。純白のパンツが一瞬間だけ見えた。数秒、水中を潜水し、飛び出すと同時に、


「――せりゃあっ!」

「うわっ⁉️ 冷たっ⁉️」


 僕に向かって水をかけてきた。制止を促すのだが、夏見は聞く耳を一切持たず、あっという間にずぶ濡れになってしまった。


「はははっ! 先輩、服が透けてますよ!」

「くそっ、こっちは着替えがないんだぞ! 食らいやがれ!」

「あはははっ!」


 夜中のプールに笑い声が響く。僕らは水をかけあって、互いに濡れた。

 夏見の姿に、何故か優香里の面影が重なって見えた。


 *・*・*


「お帰り~和ちゃん」


 帰宅すると、パジャマ姿の母が出迎えてくれた。玄関に飾ってある振り子時計は、二十一時をさしていた。母は夜更かしが苦手で、いつも二十二時には眠りについている。


「夜ご飯は食べた?」

「食べてないよ」

「冷蔵庫に残りがあるからしっかり食べてね~」

「わかった、ありがとう。じゃあ、お休み」

「まだ寝ないよ~」


 と、言いながらも二階の寝室に向かう母。転んで落ちてこないだろうな。母は横着いところがある。失敗しながらも、挫けずに挑戦し続ける……そんな姿に俺は惚れたんだと、酩酊めいてい状態の父が、僕に酒を進めながら語っていた。友人に「ロリコン」、「犯罪者」などと言われながらも結婚に踏み切れるのだから、その言葉に嘘は微塵もないと思う。


 脳裏に夏見の姿が浮上した。まさか、これは遺伝か。

 食事をする前にお風呂に入ろうと思い、着替えを取りに行くため自分の部屋に向かう。階段を登り終えると、ちょうど早苗が自分の部屋から出てきた。


「ただいま」

「ん? ……和也か。今帰ってきたのか?」

「うん」

「……遅かったね。なにしてたの?」

「まあ……色々と遊んできた」

「ふーん、あの夏見って女の子と?」

「そんなところかな」

「……そう」


 興味なさげに話を切り上げると、大きく足音を鳴らしながら下階におりていった。

 僕は自分の部屋に戻る。そして、カメラを引き出しの中にしまった。


『――これ、先輩にプレゼントです』


 そう言って渡されたのだ。中には、二人の思い出が閉じ込められている。

 家に帰って気が抜けたのか、体が重たくて眠たかった。着替えを箪笥タンスから取り出す気力もなく、倒れるようにベッドに寝転がった。隙だらけの僕を狙って、睡魔が襲ってくる。脊髄に染み着いた睡魔を離せないまま、視界が狭くなっていく。


 ……なんだろうか。やり残したことがあるような気がしてならない。本当にこのまま一日が終わってもいいのだろうか。


 瞼の裏に夏見の笑顔が映った。恋人同士なら、LINEとか電話で愛を語らうべきなのだろうか。あ、そういえばスマホがないんだったな。探さないといけない、そう思っても、意思に反して体は動こうとしなかった。意識が遠退いていく……


 ――おやすみ。

 最後に……誰かの声を聞いた気がした。



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