004 繋いだ手から溢れ出していく

 十分ほどで駄菓子屋にたどりついた。


「おーい、お婆ちゃん!」


 声を張り上げるが、反応はない。お婆ちゃんも結構な歳だ。時々、体調を崩して休むことがある。そういうとき、駄菓子屋には誰もおらず、代わりに募金箱のような箱が置いてあるだけだ。田舎だし、お金を払わずに持ち帰ろうとする愚かな輩はいない。

 お婆ちゃんには息子が五人ほどいたらしいが、全員島の外に出ていったらしい。きっと、この店はいずれ廃れて忘れ去られていくだろう。


「先輩! 氷を発見しました!」

「おお、そうか。かき氷機はあるか?」

「はい!」


 レジの下の棚にあった大きなかき氷機に、氷をセットし、受け皿を置く。横についている車輪を回すと、氷が削られて受け皿に盛られていく……はずだった。


「……あれ、回りませんよ、これ」


 夏見が車輪を回そうとするのだが、ピクリと動かない。今日は気分が悪いらしい。


「これじゃあ、かき氷が食べられませんよ」

「そうだな……仕方ない」


 使えた、と言っても氷を削る刃がガタガタで役割を果たせていなかったり、車輪を回すと部品が吹き飛んだりしていたが。もう寿命なのかもしれない。


「……仕方ないな。お婆ちゃんに会ったら買い換えようと伝えておくか」

「そうですね……」


 残念そうな顔になる夏見。かき氷が食べられなかったことがそんなに残念だったのだろうか? いや、きっと、違う。

 まだ、僕は夏見のことをよく知らないが、優しい子だってことだけはよくわかる。自分の我儘わがままで僕をここに連れてきたのに、その結果が不甲斐ないものだったから残念に思っているのだろう。でも、僕はかき氷が食べられなかったことを残念に思っていない。やっぱり、人間関係とは難儀なんぎなもので、言葉なしに相手を深く理解することなんて不可能だ。


 だから、


「なあ、夏見」

「……はい」

「なにかしたいことはあるか?」

「……え?」

「だから、なにか今日中にしたいことがあるんだったら言ってくれ。なんでも付き合うからさ」

「…………」


 まるでつぼみから花になるように、夏見の顔に笑顔が咲いていく。


「本当ですか?」

「ああ」

「何個でも?」

「ああ、でも、僕は神様じゃないからな。できる範囲で、だ。車を買ってくれとか、一緒に死んでくれとかはできないからな」

「ふーん……へへ……」


 はにかむ夏見。身体中から喜びが溢れ出しているように見えた。


「じゃあ、先輩は今日だけ私の奴隷だってことですか?」

「奴隷って……似たようなもんか」

「先輩。私、後輩なので容赦しませんよ。思いっきり甘えるので、期待しててくださいね!」

「はいはい、期待してるよ」


 すると、夏見は店の中を縦横無尽に駆け回り出した。何回か駆け巡って僕の前に立ち止まると、その手にはたくさんの駄菓子があった。


「じゃあ、まず私に駄菓子を買ってください!」

「……何円くらいになる?」

「うーん、三百円ちょっと?」

「それくらいなら大丈夫だな」


 いちいち数えるのも手間なので、五百円玉を箱の中に突っ込んでおいた。これで、財布の中は空っぽになった。お釣りは別にいいだろう。そこまでがめつい人間だとは思っていない。


 チリーンチリーンと、湿った熱風に煽られた風鈴が夏の音色を奏でる。それだけで少しだけ涼しくなったように感じた。風鈴の音が暑さを和らげるはずがないが、こういうのは気分の問題なのだ。馬鹿が風邪をひかないのは、自身が風邪だと気づかないからであり、それなりに物事に対して深く探りを入れるような人間は、自分は風邪だから辛いと、肉体的にも精神的にも参ってしまうから辛いのである。それと同じ原理で、暑くないと思えば少しはこの辛さも安らぐはずだ。あの、ただ無心で遊んで、暑さをはね除けていた少年の頃の自分のように。


「先輩……早速なんですけど、一つ希望を言っていいですか?」

「なんだ?」


 夏見は両手を後ろで組んで、僕から視線を外して言う。


「手を……繋いでくれませんか?」

「……手を?」

「……はい」


 恐る恐ると、腫れ物を触るように手を伸ばしてくる。その掌は血が流れていないんじゃないかというくらいに真っ白だった。汗かきってほどではないが、今の僕の手は汗ばんでいるし、きっと臭いもキツいはずだ。自ら手を握るような行為はするべきではないと思う。けれど、夏見は物欲しそうに、チラチラと僕の手を見てくる。


 わかった、と言いかけて言い淀んだ。夏見との会話に集中して気づいていなかったが、周囲に人の姿がチラチラ見えるようになっていたのだ。家でだらけるためにパジャマ姿で歩く学生、井戸端会議に向かっているだろう老女たち。この島は狭く人口が少ないため、友好関係は広い。そのため、噂は一日も経たずに島全体に蔓延まんえんする。歳をとると、時間の流れが早く感じるというのは、好奇心が薄くなるからだと聞いている。楽しみが減った老人たちは、他人のよからぬ噂で、失ったはずの幼い頃の好奇心を取り戻してしまうのだ。だからといって、若者たちは噂を広げないかと言われれば、その保証はないとしかこたえられない。島全体ではなく、世界中に発信される可能性がある。


 例えば……少女と手を繋ぐ異常性愛者、とか。

 道端で困っている少女に声をかけるだけで事案になる生きにくい世の中だ。少し、被害妄想が過ぎているかもしれないが、有り得ないとまではいかない話だから困る。僕は考えて……


「……わかったよ。でも、手を繋ぐのは無理だな。腕を組むならいいぞ」


 手なら軽い気持ちで繋ぐことはできるだろうが、腕を組んで体を密着するのは軽い気持ちでできるだろうか? 余程の尻軽女でなければ、そう親しくもない、それも汗をかいてるような汚い男に、可愛い我が身を預けるなんてできないだろう。

そう……夏見が尻軽女でなければの話なのだが、


「本当ですか! ありがとうございます!」


 夏見は尻が軽い女だったらしい。夏見はN極とS極が引き合うように、僕の腕にしがみついてきた。薄く柔らかな感触が肘にあたり、足が地につかないような高揚感が、身体中を駆け巡る。今まで彼女ができなかった僕は、恥ずかしいことだが、女への免疫がないのだ。


「では、行きましょう!」


 夏見は強引に足を前に出す。二人三脚みたいに中々、平衡感覚が掴めず何度も転びそうになった。それでも、夏見は自分の小さな体をもろともせず、僕を引っ張っていく。


 この島には公園にあるような時計がない。まず、公園自体がない。ホテル建設を先に始めてしまって、そちらに手が回らなかったのだろう。でも、島の人は困らなかったのだろうかと思い、駄菓子屋のお婆ちゃんに聞いてみたが、特に困らなかったとか。


 曰く、


「太陽の場所を見れば大体はわかるさ」


 無論、若者にそんな芸当はできない。スマホもあるし、腕時計もあるから、いつでも簡単に時刻を把握できるから、そんな能力を身に着ける機会がなかった。でも、今の僕にはスマホも腕時計もない。だから、夏見に今、何時なのかを聞いたのだが、


「私も持ってないですよ?」

「嘘つくなや。さっき、ツイッ○ーしてただろうが」

「私の家は貧乏な方の家庭なんですよ。そんな文明の力を使えるほどの余裕はないんですよ。腕時計も高いですし、つけてるところだけ日焼けしなかったりするので」

「……時計がないのはわかる。だが、さっき、スマホを触ってた――」

「あはは、嘘ですよ。まだ家を出てから一時間くらいしか経ってないです。さ、行きましょう!」


 夏見は急ぐ。僕との時間を少しでも長くしようとしているみたいに。

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