003 海を見た

「到着!」


 つれてこられた場所は、人気のない砂浜だった。真っ白な船が水平線に飲み込まれていく。太陽の熱で砂の粒が火傷しそうなほど熱くなっていて、夏見はフライパンの上で弾ける豆のように、「あちっ! あちっ!」と裸足になってはしゃいでる。


「……と、こんなことしてる場合じゃない。先輩! あっちに行きましょう!」


 そう言って指さしたのは、点々と砂浜に突き刺さっている赤・青・白のビーチパラソルだった。

 子供の頃の唯一の遊び場がこの浜辺だった。山や川、他にも遊び場はあったが、一番遊んだのはこの場所だったように思う。

 昔……と言っても、僕がまだ子供の頃、この島はスピリチュアルスポットとして、老若男女の間で有名になり、島が沈むんじゃないかというくらいの観光客が訪れた時期があった。守島神社の歴史とか、他にはない風習とか、つまらない要因が何故か時代の流行に乗ってしまったのだ。勿論、島民は嬉々として島の外からの来訪者を受け入れた。このままでは旅行者が飽和してしまうと、ホテルを建設しようともした。本土の人間に言われるがままに、山を削ったりもした。


 だが、やはり時の流れとは残酷なもので、一年もしないうちに流行は廃れ、旅行客はピタッと止んだ。あんなに人で溢れ返った砂浜も、今は寂しげに傘が佇んでいるだけ。ホテル建設も取り止めになり、中途半端に削れた山やホテルが、今も残っている。

 老人たちは知らないだろうが、この島は島民以外の人からは「幽霊島」と呼ばれているらしい。スピリチュアルスポットとして名を馳せたのもそうだが、廃墟のような建造物、歪な形、そして不気味なほどの静けさと、少ない光源も原因だろう。その事実になにか反論できるかと問われれば、「ない」としかこたえられないし、怒りを覚えるわけでもない。自分がこの島の一部として思われているのが、不愉快で仕方ない。

 ああ、早くこの島を出ていきたい。優香里にも会いたいし……それよりも前に向こうがこっちに帰ってくるかもしれないが。


「先輩!」


 声をかけられて我に帰る。見てみると、夏見が傘の下にレジャーシートを広げ、その上にアミの箱を広げていた。


「私、ご飯を作ってきたんですよ! だから、その……一緒に食べませんか?」


 シートの上で正座をしている夏見が上目遣いで僕を見つめてくる。ため息が出そうになったが、なんとか飲み込んだ。そういうことは僕を連れ出す前に言うべきだろうが。だが、僕のためにご飯を作ってくれた優しさは確かであって、決して無駄にしてはいけないものだ。


「ああ、食べる。ありがとう」

「ふふっ、どういたしましてです」


 僕は夏見の横に腰を下ろした。夏見は姿勢を崩し、網の箱を開ける。

 中にはサンドイッチが丁寧に隙間なく並べてあった。具材は……なんと全部ツナ。


「……なんだ、君はツナが大好きなのか?」

「いえ、別にそういうわけじゃないですよ。他にいい具材がなかっただけですよ。……嫌でしたか? 嫌だったら無理して食べなくていいですよ?」

「いや、そういうわけじゃないよ。むしろ、ツナは大好きだ」 


 野菜や玉子は嫌いとまではいかないが好きではない。夏見が一つ食べる間に、僕は四個胃袋に葬った。

 すると――パシャリ――シャッター音が耳元で弾ける。


「……また、写真を撮ったのか」

「ふふっ、とてもかっこいいですよ。この島の海や空を背景にすると、より一層際立ちます!」

「そうか? 別に、僕はこの島は好きじゃないんだがな」

「そうなんですか? ――私はこの島が大好きですよ」


 あまり、耳にしたことがない言葉だった。この島が好きだという人は、中々いなかったから。何処に好きになる要素があるのやら。


「それでっ……ど、どうです? 口にあえばいいんですが……」

「美味しいよ。君は料理が上手いんだな」


 五個目のサンドイッチを咀嚼そしゃくしながら言う。


「……先輩、一つお願いがあるんですけど、いいですか?」

「ん? ちょっと待ってろ…………なんだ?」


 いきなり神妙な顔をする夏見。僕は五個目のサンドイッチをしっかりと飲み込んで、夏見の言葉を待つ。雰囲気から、なにかとても重大なことをお願いされるような気がしたのだ。もしかしたら、このために僕をこの場所につれてきたのかもしれない。朝ごはんを作ってくれるような優しい子の願いなら、自分のできる範囲でこたえてやりたい。それなりの決意を持って、夏見の声に耳を傾けた。


「……私のこと、名前で呼んでくれませんか?」


 夏見は震えた声でそう言った。

 少し、拍子抜けした。なんだ、その程度のことか、と。名前を呼ぶくらい造作もないことだ。


「わかったよ。えーと、夏見さん?」

「うーん……呼び捨てでよろしくです。やっぱり、私は歳下なので」

「了解……夏見」

「……えへへ」


 照れ笑いを浮かべる夏見。幸せそうな顔を見ていると、伝染するように、こちらまで幸せな気持ちになれた。


 真っ青な海が、囁くように波打っている。僕はその音だけに支配された、僕と夏見だけの小さな世界を、何気ない会話や雰囲気を、じっくり堪能していた。まるで、ずっと傍にいてくれたような安心感があるのだ。眠るときに僕を抱き締めてくれているような、歩くときに手を繋いで車道側を歩いていてくれているような、誰もが欲する安息の場所。たった、一時間程度しか同じ時間を過ごしていないというのに、僕は彼女に心を開け放つことができている。


 どれくらい時間が過ぎただろうか。他愛のない会話に興じていると、なにかを思い出したのか、夏見はいきなり慌てた様子で、持ってきたケースの中を探り始めた。


「……よかった、溶けてない……」


 夏見は安堵した様子でこちらに向き直る。その手にはカップのアイスクリームがあった。なるほど、溶けちゃうとはこれのことだったのか。急いだかいがあったのか、アイスは全く溶けていなかった。よく見てみると、ケースの中には氷が溢れんばかりに敷き詰めてあった。これなら、別に急がなくてもよかったのではとも思ったが、彼女なりに最悪の可能性を考慮した結果の行動だったのだろう。この暑さに、冷たくて甘いものは欠かせない存在だ。ありがたく頂戴しよう。


 アイスは僕に潤いを与えた。手から、口から、胃袋から、熱を帯びた僕の体を冷却していく。こういう瞬間だけは、ああ、この島にいてよかったなと思える。その感情が続くことはなく、体が再び熱を取り戻す頃には消えてしまうのだが。


「うーん♪ 冷たいですね、先輩!」

「ああ、そうだな。やっぱり、夏休みっていいわ。今年はかき氷も食べたいなあ」  

「……そうですね」


 夏見はしみじみと頷く。カップの中は既に空になっている。


「……そうだ、き……夏見、明日、駄菓子屋にでも行かないか?」

「え?」

「ほら、あそこかき氷売ってただろう。だからさ、明日行かないか? まあ、用事があるのなら仕方ないけど」

「い、いえ……でも……ちょ、ちょっと考えさせてください」


 僕に背中を向ける夏見。僕に聞こえないくらいの小さな声でボソボソと呟いて情報を整理している。数分経って、スッキリとした表情でこちらに向き直った夏見は、


「はい! 行きたいです、私は!」

「そうか。なら、明日、何時に――」

「あのっ、明日じゃなくて、今日にしませんか!」

「ん……今日?」

「はい! 先輩、まだ時間はありますよね?」

「あ、ああ、別に暇なんだが……」

「なら、いいですよね! 今から食べにいきましょう!」

「ちょ、ちょっと待てっ⁉️ まだ食べきれてないから⁉️」

「歩きながら食べれば大丈夫ですよ! 暑くなったら食べて冷やす! 臨機応変りんきおうへんにですよ!」

「臨機応変はおかしいだろっ⁉️」


 クーラーボックスの中に弁当箱を無造作に突っ込み、肩掛けを右肩にかけて、左手で僕の手を掴んで走り出した。僅か五秒の支度だった。夏見はまるで宿敵に追いかけられているかのようだった。焦燥感しょうそうかんに駆られるがまま、なにか生き急いでいるような気がする。別に急がなくたっていいのに。


 僕はカップの底にこびりついた溶けかけのアイスの塊を、なんとか器用に片手で口に運ぶと、転ばないように夏見の速さにあわせた。

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