005 隠蔽された真実

 水切り、虫取が終わる頃には、肝試しができるくらいの夜になっていた。光源が少ないこの島の夜道は、足元が覚束なくて危ない。肝試しをするにも仕掛けもないので、帰ろうかと思ったのだが、 


「神社に行こう」


 優香里の一言によって、僕らは神社に向かうことになった。海に「手伝えたら手伝う」と、言ってしまったので、ちょうどいいと思った。

 神社はこの島の象徴と言える存在だ。かなり贔屓ひいきされており、島にある光源の半数が、神社の周りに集まっている。一番集まっているのは、神社の前の石階段だ。

 山の頂上付近にある神社に行くためには二百段にも及ぶ石階段をのぼらなければならない。これが中々大変であり、参拝客の足が遠退く理由なのだが、中にはそれをトレーニングに活用するような輩もいる。これだけ高いと、転んだときにただではすまないと、多くの光源が設置されたのだが……偏りすぎだろう。もっと、明かりが必要な場所があると思うのだが。 


 盆の準備が行われると聞いて、多くの人がいるんじゃないかと思っていたが、のぼりきってみると、人の姿は見当たらなかった。流石に、夜遅くまで準備をするには、体力が足らなかったらしい。

「……これじゃあ、来た意味がないな」

「そうだね」

「どうする、優香里。一応、海に挨拶でもしていくか?」

「……止めとく。夜も遅いしね」


 踵を返し、帰ろうとする。


「………………」

「――…………」

「――…………!」


 三つの小さな声が何処からか聞こえた。神社の方からだ。だが、人影は見当たらない。

 神社の裏からだろうか? 海かそれとも幽霊か……どちらにしても、


「和也! 今の音はなに⁉️」


 優香里の好奇心は膨張したようで、瞳に輝きが宿っていた。興奮を抑えきれず、声も上ずっている。


「……行ってみるか?」

「うん、確かめてみよう」


 足音を奪い、神社の裏手に回ってみる。

 神社の脇を歩いていくと、なにやら裏が淡い光に包まれていることに気がついた。誰かが蝋燭か懐中電灯を囲って、話をしているみたいだった。断片的に聞き取れるだけで、話の内容までは聞き取れない。

 こっそりと見つからないように、顔を神社の壁から覗いてみる。そこには……見知った三つの顔があった。


「お母さんと早苗と海じゃん。どうしてここに?」

「…………」


 優香里は無言だった。耳のいい優香里には三人の声が聞こえているのだろうか? ただならぬ雰囲気を感じ、声をかけたくてもかけられなかった。


「………………………」

「…………………」

「…………………………………」


 三つの声は静寂に消されるほどに小さい。耳を澄まし、必死に声を耳に吸収しようとしたが、何一つ聞き取れなかった。二つの感情がせめぎあっていた。半分は何故だか……この話は絶対に聞いておかないといけないという義務感。でも……残り半分は聞いたってどうせ意味がないという諦め。

 結局、僕は最後まで、その二つの感情の意味を理解できないまま、


「……和也……ここから出よう」

「……え?」


 そして、三人がなにを語っていたこともわからないまま、


「行こう! 和也」


 なにかを知ってしまった優香里に手を掴まれ、その場を離れてしまった。

 後悔なんてなかった。 

 知ったって、理解したって、変わらないって、体がわかってるんだ。

 ……本当は聞こえてたんだ。知ってしまったんだ。わかってしまったんだ。


 転びそうな勢いで、階段をかけおりて、今にでも空をかけあがるように地面を蹴りあげて走っていく。地面がめくり上がってしまうんじゃないかと思うくらい、僕らは走っていく。肺が潰れそうになっても、走り続けた。走り方以外、忘れてしまったかのように。


 走って、浜辺に着いた。勢いが緩まないまま、後頭部から砂浜に突っ込んでしまう。全身、砂風呂に入ったみたいに、砂だらけだった。けど、握った手は離れなかった。

 目の前には、青紫色の画用紙にいくつも穴を開けたような夜空があった。子供の頃からなにも変わらない、つまらない夜空だった。それなのに、手を伸ばしてみても、なにも握ることはできない。僕は逃げられないのか。この島から出れば、この夜空は違って見えるのだろうか。

 ……ふと、優香里が立ち上がる。僕も立ち上がる。

 優香里の視線を追ってみる。星空を切り取ったような海を、一心不乱に眺めていた。


「……ねえ、和也」

「なんだ?」


 視線をあわせないまま、優香里は話し出した。

「……さっきの話、聞こえてた?」


「……聞こえてない」

「嘘つくないで」


 僕の手を握る手に力がこもる。


「……どう、思った?」

「どうって……どうとも思わなかったよ。自分でも、よくわからない」

「本当? 軽蔑してない?」

「するわけないだろ。お前はなにも悪くないんだ……それに、」


 優香里の手は、硝子細工のように繊細なように感じた。このまま握り返してしまえば、壊れて砕け散ってしまうような脆さがあった。でも……確かに優香里は僕の横にいて、僕の手を握っているのだ。

 この温もりは確かにここにある。


「だって、どうせ、僕は――」


 その後の言葉は、声になることはなかった。

 ――優香里が僕の唇を塞いでいた。


 僕と自分の隙間を埋めるように、体を接着させた。手だけではなく、体全体に優香里の通常よりも高い体温を感じていた。

 自分の中のなにかが決壊してしまった。 

 僕は感情が溢れ出すのを止められない。よく見れば、優香里も泣いていた。頬を伝った涙が、優香里の頬に落ち、彼女の涙と混じりあって砂浜に落ちた。情動のまま、僕と優香里は互いを求めあった。

この光景を、一瞬を、絵画に閉じ込めてしまいたかった。瞬間を閉じ込めて時間を止めれば、それは永遠となる。例え、僕が忘れてしまっても、いつだって眺めて思い出せる。


 どちらともなく唇を離して、合致しなかった視線が合った。それが……別れの挨拶だった。

 星光を背に浴びた優香里の表情は……笑顔だった。こんな暗さの中でも、見えてしまうほど、明るい笑顔だった。

 ……僕の大好きな笑顔だった。


「私はね――。和也を助けるためにね」

「…………」

「でも、なにもできなかった……ごめん」


 大好きだった笑顔から涙が溢れだす。僕はその涙を拭ってあげたかった。だけど、届かない。


「次はもっと上手くやりたい……上手くやってみせるよ」

「優香里……」

「――さようなら」


 その一言で……僕の夏休みが終わった。

 いつの間にか、優香里はいなくなっていた。歩いて帰っていったのに、走れば追いついたのに、僕は立ち尽くしたまま、動けなかった。

 僕はしゃがんで、砂を掴んで、海に向かって捨てた。砂粒は波に飲み込まれ、溶けて消えてしまった。こんなに溢れている砂粒も、簡単に消えてしまう。

 水平線が光を放っている。追いかけても、水平線には絶対に近づくことはできない。

 幸せなんて、そんなものだ。


「……嫌いだ」


 この島が嫌いだ。

 広大な海も、神社も……優香里と出会ったこの島が大嫌いだ。


「……違う」


 一番最後は完全な嘘だ。僕は優香里と出会えて、幸せだったのだ。悪いのは島じゃない……この僕自身にあるのだ。でも、今だけは自分のせいにはしてしまいたくなかった。


 それで、いいだろう?

 どうせ、この傷は明日には癒えているだろうから。今日のことも、なかったことにできるのだから。


 気がつけば、僕は岬の先端に立っていた。海が僕を求めているように、黒い巨体を揺らしている――


 遠くから船の汽笛の音が聞こえた。泣いている声が聞こえる……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます