004 遊び惚ける

 最初に向かった場所はため池だった。


 優香里が落ちていた石を拾い上げる……拳くらいの大きさの石を。水切りをすると思ったのだが、それならば薄い石を使うはずだ。

 しかし、


「おりゃああああああ!」


 優香里は体を後ろに捻り、勢いのまま横手投げで石を放り投げた。虹のような放物線を描いて石は――ドボン――大きな飛沫をあげて、池に落ちて沈んでいった。僕の頭には疑問符が五つほど浮かんでいた。


 なにがしたいんだ、と。


 わかる、わかるよ。時々自分を捨てて、馬鹿になって騒ぎたいときだってある。理解できる。けれど、それは一人だけのときにするべきじゃなかろうか。知らない人が見れば、狂人にしか見えない。

 懲りずにもう一度石を拾い上げる優香里。次はちゃんと平らな石を選んでいた……足と同じくらいの大きさだったが。


「うりゃあああああああああ!」 

 

 一回目より大きな声で、さらにダイナミックなフォームでぶん投げた――あ、白パンツだ――パシャーン――破裂音にも似た音が響く。水面に波紋が幾重にも生まれ、陸まで行き着いて静かに反射した。その光景を見ていただけで、心が穏やかな気分に――


「なんで、跳ねないの!」

「下手糞かお前は⁉️」


 なれるはずがなかった。優香里が石を投げ込んだことによって発生した水飛沫のように、感情が爆発した。お前は海に囲まれたこの場所で生まれ育ったんだろうが! なんで水切りもできないんだよ!


「見てろよ! 手本を見せてやる!」 


 僕はしゃがんで、一つ一つ丁寧に、石の選別をはかった。水切りは石を選ぶことから始まるのだ。投げるのは誰だってできる。最適な石は薄く、中央が膨らんでいる丸みのある石だ。握り方ははっきり言ってどうでもいい。スナップを大切にすれば、数回は跳ねる。腰を低くして、足を開いて、余計な力を抜いて、手首を柔らかく使って横から投げれば、


「おりゃっ」


 手から離れた石は、ため池の上を生き物のように何度も跳ね、向こう側にたどり着いて静止した。これくらい、簡単なことだ。


「おー凄いね」

「凄くない。これくらい、誰だってできる。お前が不器用なだけだ」

「む……そんなことない。今、学んだから、あたしにだってできる」


 優香里は石の選別をし始める。言われた理想の石に近い石を手に取ると、浅い角度で投げた。石は沈むことなく、一回、二回――と連続で水面を跳ねた。


「やったー!」


 ガッツポーズをする。ため池の中腹辺りで石は力尽きたものの、著しく成長した。僕は拍手をする。が、本人は納得していない様子。こちらに向き直ると、真剣な表情で、


「距離の伸ばし方を教えて!」


 人にものを聞く態度じゃなかった。お前は子供かと、怒りなんかよりも、呆れが先行した。お前は負けず嫌いで頑固な人間だが、こんな遊び程度のことで、熱くなっててどうする。

 結局、教えろと喚く優香里に手ほどきをすることになった。石がなくなるんじゃないかと心配になる量を、ため池に投げ込んだ。なんとか、向こう側にたどりつくようになり、満足したのか、


「飽きた! 違う遊びをしよう!」 


 呆れるしかなかった。そう、急ぐこともないだろうに。夏休みという貴重な時間を無駄にしたくないのはわかる。僕だって同じだから。けれど、流石に限度というものがある。優香里は明らかに生き急いでいた。こいつの娯楽への執着心は何処から生まれてくるのか。考えても頭がおかしくなるだけなので、前向きに考えることにした。

 こいつは幼馴染みの僕とたくさん遊びたいのだが、思春期故、恥ずかしくて言えず、振り回すような真似をしているのだ、と。


「……そんなわけあるか」  

「早く! 走るよ!」


 引っ張られるがまま、僕は走った。手を包み込む温もりが、僕の胸に懐かしさを植えつけた。いつだって、僕らはあの頃に戻れる……例え、大人になっても。


 *・*・*


 次にやって来たのは森だった。あちこちから蝉や鳥――生物の鳴き声が聞こえてくる。まるで、音のドームの中にいるようだった。夕焼けが、暗い森と僕ら二人を食べて飲み込んでいく。

 涼しい……とまではいかないが、他の場所よりは気温が低く感じる。自然は偉大だ。人間なんかよりも強い。


 自然――善悪のない世界。アダムとイブは知恵の実を食べた罪で、楽園を追放されたと聞く。知恵を得たことのなにが罪だったのだろうか。理由は今の現代社会にあると思う。知恵を得る前の世界は、神が全ての善悪を決めていたはずだ。例えば、人を殺すことは悪、愛する人と結婚することは善。そうやって、規則として定められていたはずだ。けれど、知恵を得てしまった後の、今の社会はどうだろうか。考え方は千差万別。殺しを肯定する人間もいれば、結婚は人間強度を下げると豪語する人間もいる。


 だから、人はわかりあえない。

 わかりあえないから、争いが絶えない。

 戦争だって、煽りあいだって同じだ。人が死ぬか死なないかの違い。元々、なにが善で悪なのかが定まっていたなら、考えの齟齬も起こらず、醜い争いも起こらないのに。

けれど、それは不可能なのだ。誰もが、人の醜さに触れることになる。


 そういう点において……この島は苦しすぎた。先代の人間たちが作り上げてきた風習や考え方は、明らかに現代との剥離が激しい。今の若者と老人たちでは、見えている景色は違う。お盆だってそうだ。先祖の霊が帰ってくると本気で思っているのは老人たちだけで、若者は霊の存在を否定している。


 だから、若者はみんなこの島が嫌いだ。それは僕も同じだ。


「……すう……はあ」


 僕は新鮮な空気を、胸一杯に吸い込んだ。

 島は大嫌いだが……自然は好きだ。ただ、自分のためだけに、本能のまま生きている彼らに触れると、万感の思いが僕の胸に宿った。食われるも、食うも、全ては己が生きるため。そこに善悪は必要ないのだ。


「……ねえ、和也」

「なんだ? ……って、おい」

「なに? 虫を取ってみようと思っただけだよ」


 優香里は何処から取り出したのか、虫取アミを手に持っていた。


「捕まえたところでどうするんだ? アミだけじゃ意味ないぞ」

「かごなんていらないよ。飼育するつもりはないし。こういうのはキャッチアンドリリースだよ。しっかりと自然に帰してあげなきゃ」

「そんなことなら捕まえない方がいいと思うが。捕まるだけでも、大分生命力を削られると思うぞ」

「和也行くよ!」

 あ、無視しやがった。まあ、自然を破壊するなとデモを起こすほど、自然のことを考えているわけじゃないからいいけれど。


 森の最深部までズカズカと進んでいく、優香里の背後につく。そういえば、子供の頃から、僕は優香里の小さな背中を追いかけてたんだよな。優香里の背丈は、あの頃とそんなに変わっていない。そう思うと、心だけじゃなくて、体まで子供の頃まで戻ったように感じられた。


「……なあ、優香里。虫取アミ、もう一つ持っていないか」

「? なんで?」

「僕もやりたいなって思って」


 いいじゃないか。たまには人間関係の疲れを忘れて、頭が足りないと言われるぐらいまではしゃいでやろうじゃないか。僕の夏休みは、優香里がいる今日から――


「持ってないよ。この一つしかない」

「…………」


 始まらなかった。

 優香里はこの後、三匹のクワガタを捕まえ、すぐに自然に帰した。


 *・*・*


 虫取が終わった後、「涼みたい」ということで、近くにあった川までやって来た。


 川で水遊びでもするのかと思ったが、肝心の水着がない。いくら、ここに人がやってこないとしても、真っ裸で遊ぶほど、優香里は常識を知らない人間ではない。

 だが、いきなり本人が服を脱ぎ出す。突飛すぎる行動に、手で視界を覆う。しかし、服の下から見えたのは、肌色ではなく、水玉模様だった。


「下に着てたのかよ……」

「こういう事態も想定してたんだよ。その点、和也はまだまだだね」

「いいんだよ。持ってきてたとしても、泳がないし」


 人間は陸の生き物だ。それなのに、どうして水の中に入らないといけないんだ。疲れるだけだし、泳ぐ必要性がない。

 しかし、川の中で遊び始めた優香里の姿は、何処か優雅だった。

 学校指定の水着を着ている所は目撃したことがあるが、それ以外の水着を着た所を見たことはなかった。できれば、露出の激しいビキニなんかを見てみたかったが、水玉模様のワンピースの水着でも、十分優香里の可憐さを引き出しているように見えた。


「……ジロジロ見てよ」

「見たくねえよ」


 何故だか、こいつに見惚れたら負けのような気がして、僕はずっと目を逸らしていた。

 しかし、暑い。例年以上の暑さじゃないだろうか? この夏に増殖するはずの虫の姿は、まるで絶滅したかのように、姿が見えなかった。喜ばしいことだが、溶けそうな暑さと虫を選ぶなら、虫を選びたい。もう少し、涼しくなってくれ。地球温暖化よ、止まれ。


「――あっ、魚くん発見!」


 その声に思わず振り向くと、ピチピチと跳ね回る魚を両手で握っている、楽しそうな優香里の姿があった。

 しかし、すぐにリリース。九死に一生を得た魚は、元気よく川の中を泳ぎ始める。

 ああ、涼しそうだな。僕も魚になりたいなあ……なんて思いながら、川を泳ぐ魚を見つめていると――熱かった体が、急激に冷たくなった。


「冷たっ⁉️ 優香里⁉️ いきなり水かけるな⁉️」

「えいっ! えいっ!」


 僕の制止を聞かず、優香里は水をかけ続けてくる。体が冷えても、頭が冷えることはなく、逆に熱を増していく。向こうは女だが、濡れても安心設計の水着を装着している。いくら濡らしても、間違いを犯すようなことはない。

 だから、


「――仕返しだああああ⁉️」


 僕もやり返すことにしたのだ。

暑さも忘れて、水を掛け合う。僕と優香里は笑顔で、お互いびしょ濡れになった。

 まるで、一回分の夏休みを、今日で使いきるような勢いで。 




 

 

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