003 駄菓子屋しばこうぜ

 それからは誰ともすれ違わずに、駄菓子屋の前に到着した。


 ここの駄菓子屋は百年以上も続く、由緒深き店らしい。店主は今年で百歳を迎えるお婆ちゃん一人で、この島で生まれて、遺骨はこの島に埋めようという人物だ。だから、この島のことは誰よりも知っていると、子供の頃の僕と遊び仲間に、自慢げに話していた記憶がある。そう、僕たちが子供の頃はこの駄菓子屋は繁盛していたのだ。学校の帰りとか、おやつの時間とか、子供故の少ない小遣いで安い駄菓子を買って食べていた。そのついでに、お婆ちゃんが島の歴史を自分が体験したかのように、収斂しゅうれんされた言葉で訥々とつとつと語ってくれた。あの頃は純粋な気持ちで楽しみながら聞いていたっけ。


 けれど、今は誰も訪れない。一週間に十人でも来ればいい方だ。世間では育児の過程で、親が子供にスマホを渡すことが問題になっているけれど、この島も例外ではない。遊びも野外から室内に代わり、お菓子は何年か前にできたスーパーに行って買えばいい。インターネットを通して世界を飛び回り、この島にはない、この島以上の魅力を知ってしまった子供たちが、ここの歴史に興味を持つはずがないのだ。

 だが、


「……人がいるな」

「そうだね。和也、声かけてきてよ」

「いや、お前が行けよ。僕が声をかけたら事案になるだろうが」


 駄菓子屋の前には、小さな少女の姿があった。この島の住民の顔は、名前を聞けば思い出せる程度には、記憶に留めてある。特に、同級生や下級生は記憶に強く焼きついていて、顔を見れば名字くらいは思い出せた。

 だが、眼前にいる少女には、全く覚えがなかった。


「優香里、誰だかわかるか、あの娘」

「……知らない……ここに引っ越ししてきたか、観光にでも来たんじゃない?」

「珍しいな」


 本土から島に来る人間は、里帰りか、何処からか流れ着くか、気の迷いで観光に来るか、その三種類しかいない。一時期は爆発的に観光客が増えたが、今は有名な観光名所もなく、島の中にいくつかあった宿も、潰れてしまっている。それくらい、ここに来る人間は少なくなった。だから、島以外の人間が訪れたときは、歓迎会を行うのが常なのだが、生憎、今は盆で忙しくて時間がない。


「優香里、一緒に声かけにいくぞ」

「そうだね。でも、声をかけるのは和也がやってよ」

「……わかったよ」


 僕らはゆっくりと少女に近づいていく。


「どうしたの?」


 甘さを濃くした声で呼び掛けた。自分でもゾッとする声だった。優香里は顔をひきつらせている。

 声をかけられると思っていなかったのか、少女はビクッと体を震わせた。見たところ、十二歳くらいだろうか。小麦色に焼けた素肌が、Tシャツからはみ出ている。横で結んだ、小さなツインテールが可愛らしかった。

 少女は僕を見ると、あからさまに驚いた顔をした。信じられないといった表情だった。僕の姿の何処に驚く要素があったのだろうか。


「え、えーと……駄菓子屋に入りたいんですけど、扉がかたくて……」

「ああ、そういえば、ここの扉かたいんだったね。あたしも苦労したよ。というか、まだ、修理してないの?」

「お婆ちゃんも歳だし、修理費用もないんだよ。どれ……ちょっと待ってろよ」


 僕は僅かな隙間に両手を滑り込ませると、全体重を乗せて、片方の扉を引っ張った。開ききっていない扉を限界まで横にスライドさせると、地震が起きたみたいに店全体が揺れ、今にも崩れそうに見えた。

 閑古鳥が鳴くような、とても閑散とした店内の奥ばった場所に、お婆ちゃんが鎮座していた。今日は調子がよかったのか、店番をしてるみたいだった。少女は、その場で行こうか行かないか迷っている。 


「あ、あの、かき――……」


 最後の方は、声が小さくて聞こえなかった。かなり、恥ずかしがりやで、人見知りをする娘らしい。僕は優しく問いかける。


「なにを食べたいんだ?」

「え、えーと、」


 少女は入り口に貼ってあるビリビリのポスターを指さした。


『かき氷 一個百円 イチゴ・レモン・ブルーハワイ』


「かき氷が食べたいのか?」

「う、うん。……イチゴ」


 少女は泣きそうな顔で俯いた。目線を合わせるためにしゃがんでいた優香里が、そのままの体勢で僕を数秒見上げた後、また少女の方を見た。その表情は慈愛に満ちているように見える。


「……わかった」


 おもむろに立ち上がると、優香里は少女の頭をポンと叩いた。そして、僕の前に立ち、


「――買ってきて」


 思わず、ずっこけてしまいそうになった。流れ的に、優香里が自分から率先して買いに行くのかと思っていたのだが……


「お前が買いに行くんじゃないのかよっ!」

「そんなこと一言も言ってないよ。代わりに和也に買ってきて貰おうと思ってた。それに、ここのかき氷機って、壊れてるじゃない? 脆弱ぜいじゃくなあたしじゃあ、車輪を回せない……だから、お願い!」

 こ、こいつ……お前の力でもかき氷くらい作れるだろう。まあ、いい。それくらいのことで怒るほど、僕の器は小さくない。


「……仕方ないな。わかったよ」

「ありがとう」


 項垂れる僕と、ニヤニヤと笑う優香里。その様子を少女は不思議そうに眺めていた。


 駄菓子屋に入り、お婆ちゃんに百円を渡すと、棚からかき氷機と皿、冷蔵庫からブロックの氷とシロップを、カウンター(虫に食われたような横長の机)の上に乗せた。用意はお婆ちゃんの役割だったのだが、作成は購入者がやることになっている。理由は昔、作るときにお婆ちゃんがぎっくり腰になったことがあったからだ。若者にとって別に作るくらいなら造作もないことなのに「お客さんの手をわずらわせるのは悪いから」と、かき氷の値段が半分近く値下がりしている。このかき氷は……いや、この駄菓子屋は、お婆ちゃんの優しさで成り立っているのだ。


 僕は氷をセットすると、横についた車輪に手をかけた。車輪を回すことにより、中の刃が回転して氷を削るという仕組みなのだがわこれが中々回らない。別名『気紛れかき氷機』は、快適に回るときはあるのだが、全く回らないときもある。何十年も酷使され続け、余命宣告を受けてもおかしくはないのだが、懸命な治療(修理)の結果、なんとか延命している。今日は調子が悪いのか、回転が悪かった。

 約五分を要して、やっと削りきった。苺シロップを全体に満遍なくかける。レモンシロップに一瞬手をかけたが、すぐに離した。僕はレモンが好きだ。これが優香里のものならば、躊躇せずにぶっかけてやるのだが、違う人のものなので止めておいた。


「わあああ……! 凄いよ! お姉さん!」

「あははっ、どう? 凄いでしょ」


 駄菓子屋を出ると、優香里がその辺に転がっていた木の棒を積み上げて、小さな家を組み立てていた。普通ならバランスが取れずに崩れてしまいそうだが、相変わらず彼女の手先は器用で、絶妙な均衡きんこうを保っている。少女の瞳が宝石をはめ込んだように輝いていた。


「ほい、買ってきたぞ」

「あっ、あ、ありがとうございます!」


 少女はお年玉を貰うときのように、僕の手からかき氷を受け取った。ストローのスプーンでかきこむと、頭が痛んだのか額を押さえていた。


「ご苦労様」

「これくらいどうってことはないさ。そういえば、お前、駄菓子はいいのか?」

「いいよ。この子の笑顔見てたら、どうでもよくなっちゃった……ああ、可愛いなあ」


 少女の頭を撫でる優香里。その様子は娘と母親みたいだった。それだと、僕が父親になってしまうが、優香里と結婚する未来など、想像さえもできない。


「あ、あの! 一つ質問してもいいですか!」

「ん……いいけど。どんなこと? あたしの年齢? 住んでる場所?」 

「お二人さんは……恋人同士なのですか!」


 僕と優香里は顔を見合わせる。完璧な無表情だった。しかし、それも僅か数秒で崩れ、いきなり優香里が吹き出し、お腹を抱えて笑いだした。


「あはは……そんなわけないよ~あははははっ!」

「そうだよ……んなわけない」

「……ほ、本当ですか?」

「あはは、ねえ? 和也!」

「そうだな……こんな女とは付き合いたくない」

「なにっ!」


 優香里が僕の足を蹴った。足に痛みはなかったが、どうしてか胸の奥が痛んだ。やはり少女は不思議そうな顔で僕らを見ていた。


「じゃあ、あたしは駄菓子を買ってくるね」

「ああ、五分以内には帰ってこいよ」

「わかってる」

「――あっ! いた!」


 優香里が駄菓子屋に入ると同時に、切羽詰まった声が聞こえてきた。声がした方向を見てみると――巫女服を身に纏った女性が、こちらに走ってきていた。よくこんなくそ暑い中、巫女服なんて着ていられるな、脱げばいいのにと呆れていると、女性は目の前で急ブレーキをかけて止まった。息が荒く、汗が頬を伝って落ちていく。


「み……見つけた……」

「なにやってんだ?」

「あ、和也。……こんにちは」


 巫女服を着た童顔どうがんな女性は、息が整わないまま話した。

 吸い込まれてしまいそうなほど透き通った瞳は、自然と視線をそこに集めてしまう不思議な魅力があった。仄かに赤い頬が、よりその可愛さを際立てている。

 ――守島海もりしまうみ。十八歳。神社の巫女をやっている、僕の幼馴染みだ。


「そんなに急いでどうしたんだ? 僕に用事でもあったか?」

「いや……和也に用があったわけじゃなくて……このに用があったの」


 海が少女を指さす。それだけで事情を察した。


「やっぱり、この娘は島の外の子なのか」

「そうなの……だから、私が面倒を見てるの……」


 宿がないこの島に来た観光客は、島に知人がいる人以外は、守島の家に泊まることが殆どだ。なんでも、この島で一番守島家の権力が強いからだとか。ただ、面倒事を押しつけているだけのように思えるが、海は何一つ嫌がる顔をせず、丁寧におもてなしをして、この島を好きになって貰えるように努力をしている。


「大変だな。お盆の準備もあるのに」

「そんなに大変じゃないよ。私以外に手伝いをしてくれる人がいるから。早苗さんも手伝いに来てくれてる」

「早苗も行ってるのか」

「うん。「重たい! 運べない!」って怒りながら必死に手伝ってくれてるよ」

「毎年言ってないか、それ」

「うん。今年こそはって言ってたけど、やっぱり大変そう」


 早苗は毎年手伝いに参加させられている。一種の罰のようなものだ。


「僕も行った方がいいか?」

「いや、人数が足りてるから……って言いたいけど、本音は来て欲しいかな。人数が多くて困らないことなんてないし。でも、強制はしないよ」

「わかった。時間が空いたら手伝いにいくよ」

「ありがとう……って、もうこんな時間。ありがとね、面倒を見てくれて。さ、行こう」

「……うん」


 海が少女の手を掴む。別れる際、会話に入ってこなかった優香里を、海は凝視していた。でも、優香里は視線を合わせようとはしなかった。少女は……何故かまた僕をじっと見つめていた。四つの視線の糸が複雑に絡んでいる。それは距離が離れるほど絡まっていき、ついには固結びができてほどけなくなってしまったような、奇妙な違和感が残った。


 僕と優香里と海……小さい頃から一緒の時間を過ごした幼馴染みだ。最も、この島の同級生はみんな幼馴染みと呼べるのだが、僕にとってはこの二人が幼馴染みだ。ずっと三人でいて、喧嘩をするときもあったけど、それなりに仲良く過ごしてきた。けれど、今だけは二人の間に、越えれそうにない厚い壁があったように思えた。


 二人の姿が見えなくなると、優香里は立ち上がった。


「ね、和也……遊ばない!」


 弾けるような笑顔を見せる。


「何処かで遊ぼう! あの夏を取り戻そう!」


 僕にはその笑顔が、我慢をしているようにしか見えなかった。


「……そうだな。今日はとことん遊ぼう!」


 僕は立ち上がり、優香里の横に並んで歩きだした。

 嫌な予感が、ただの気のせいだと信じて。

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