縁は異なもの味なもの ⑥
「そう、全部!」
「断捨離にもほどがあるだろ。もったいなくないか?」
「いいの。この際だから、古いものは全部捨ててリセットしたい」
私がそう言うと、瀧内くんはジャケットのポケットからスマホを取り出した。
「引っ越しとか不用品の引き取りの会社をやってる友人がいるので、連絡してみますね」
「うん、ありがとう」
思い立ったら話は早いもので、連絡をして30分後には瀧内くんの友人が来てくれた。なんでも彼は瀧内くんとは学生時代の同級生で、大手引っ越し業者の社長の息子なんだそうだ。
普段は従業員に指示を出す側なので、あまり現場に出ることはないそうだけど、瀧内くんの知り合いならと言って、御曹司自ら見積もりに来てくれたらしい。
部屋にあるものを全部処分したいと言うと、御曹司は少し驚いたようだったけど、部屋の中にある荷物の量を確認しながらタブレットに何やら入力して、直近のトラックの空きを調べ、月曜日の予約を取ってくれた。
荷物を運んだあとの掃除もプロに任せるプランで見積もりを出してもらい、大家さんにも連絡をして、マンションを引き払う日も決まった。
結局私たちがしたことと言えば、ブレーカーが落ちて電源の切れた冷蔵庫の中に残っていた傷んだ食品を出して袋にまとめたことくらいで、あとは月曜日に私が作業に立ち会うだけだ。
就職を機に、大学時代にバイトしてコツコツ貯めたお金でこの部屋を借り、必要最低限の生活必需品を買って一人暮らしを始めた。
自分で働いて稼いだ給料で細々と生活しながら、少しずつ家具や家電を買いそろえたことを思い出す。たいした思い出はないけれど、私にとっては自分で築いた小さなお城のような部屋だった。
まだ新入社員だった頃は仕事でミスをするたびに、自分の不甲斐なさが情けなくて悔しくて、この部屋で何度もひとりで泣いた。
護と付き合っていた頃は幾度となく一緒に朝を迎えたり、待ちくたびれて泣きながら眠ったこともあった。
もうこの部屋ともお別れなんだと思うと、忘れかけていた記憶が次々と蘇る。悔しくて流した涙も、終わった恋の思い出も、この部屋にあるものと一緒に捨ててしまおう。
そんなことを考えながら部屋の中を見ていると、納戸の中にバレーサークルに入るときに買ったものが入っていることを思い出した。
「そうだ……。これだけは持って行こう」
納戸の扉を開けてみると、ここは上の階の火元から遠かったのか、クローゼットなどに比べると湿気もあまりなく、ほんの少し煙の臭いが残っているだけだった。
無事で良かったと思いながらスポーツバッグを取り出す。
「それ、バレーの道具ですか?」
うしろで覗き込むようにして見ていた瀧内くんが尋ねた。
「うん、潤さんと一緒にシーサイドガーデンに行ったときに、中村さんのスポーツ用品店で買ったの。まだ買ったばっかりだし、ちょっと奮発していいもの買ったから、捨てるのは惜しいもんね」
ファスナーを開けようとすると瀧内くんが隣にしゃがみこんで開けてくれた。バッグの中には、潤さんと一緒に選んで買ったバレーシューズやジャージなどが入っている。
「ああ、潤さんとおそろいのシューズですもんね」
「うん、まぁね……」
潤さんとの初めてのデートの思い出がつまったバッグを肩にかけて立ち上がると、伊藤くんが黙って手を差し出し、バッグを持ってくれる。
伊藤くんの隣にいた葉月がバッグを見て微笑んだ。
「それだけは、捨てられへん大事な思い出がつまってるっちゅうこっちゃな」
「そう……。これだけはね、潤さんとの楽しい思い出しかないから」
あの頃はまだ恋人同士ではなかったけれど、そのときすでに私は、それまでに知っていた『三島課長』とは違う潤さんの甘さや優しさにドキドキしていた。ぎこちなく繋いだ手の大きさとあたたかさにときめいたことは、今でも鮮明に覚えている。
あのとき瀧内くんが強引に押しきって始まった『偽婚約者作戦』がなかったら、私と潤さんは今もただの上司と部下だったかも知れない。そう考えると、ゆうべ葉月が言ったように、人の縁と言うのは不思議なものだ。
私と潤さんは同僚としてずっと前からお互いを知っていたけれど、恋人として、そして婚約者として縁を結んでくれたのは瀧内くんだった。
瀧内くんだけでなく、伊藤くんや葉月の後押しがあって結ばれた潤さんとの縁、そして同僚から信頼できる友人となり、近い将来身内になる彼らとの縁を、これからの人生をかけて大切にしていきたいと私は思う。
「それじゃあ、そろそろ行こうか」
部屋の窓を閉め、スポーツバッグと冷蔵庫の中に残っていた食品をまとめた袋だけを持って、まだ煤と湿気の臭いのこもった部屋を出た。
「なんかあっけないね」
ドアの前で鍵を締めながら呟く。
「なんだって築き上げるのには時間がかかっても、捨てることなんて思いきってしまえば一瞬ですよ」
瀧内くんの言葉はやけに実感がこもっているように感じた。
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