怪我とプリンの巧妙? ⑨

「それはいくらなんでも急すぎるよ……」

『どうして?一緒に住むならその方が何かと都合がいいでしょ?』

「そうかも知れないけど……それはやっぱり、うちのお父さんと、潤さんのご両親からもちゃんと承諾を得てからでないと……」

『そうねぇ……。たしかにあちらのご両親とはまだお会いしてないものね。じゃあ、潤さんの怪我が治ってからにしましょう』



 翌日の仕事のあと、伊藤くんと瀧内くんは取引先からの帰社が少し遅くなると言うことだったので、葉月と二人で潤さんの家に向かった。

 潤さんの家の前に着いたとき、今日からはここが私の帰る家になるのかと思うと、なんだか不思議な気分になった。

 一応チャイムを鳴らしてから家の中に入ると、潤さんはリビングでソファーに座っていた。

 テーブルの上には、入院中に届いていたと思われるたくさんの郵便物が広げられている。


「おかえり。お疲れ様」

「ただいま」


 潤さんの入院中にすっかり習慣になった私たちのやり取りに、葉月はニヤニヤしている。


「なんかもう夫婦みたいやなぁ……」


 葉月にそう言われて、潤さんはどことなく嬉しそうに照れ笑いを浮かべている。


「ほんじゃ、私は早速お好みの準備しとくし、志織はあのこと三島課長にちゃんと話しとき」

「うん、そうする。手伝えなくてごめんね」

「そんなんええよ、気にせんといて」


 葉月が上着を脱いでキッチンへ行くと、潤さんは私に左隣に座るよう促した。言われた通り隣に座ると、潤さんは指を絡めて私の右手を握る。キッチンにいる葉月からは見えないとは言え、なんとなく照れくさいけれど、私も潤さんの手を握り返した。

 こういうときの潤さんは、甘えたいとか、くっついていたいのを我慢しているのだと思う。


「それで、あのことって?」

「ああ、うん。じつはね……」


 昨日大家さんからマンションの火災の連絡を受けたことや、借りている部屋を解約してこの家に引っ越そうかと思っていることを話すと、潤さんは満面の笑みで私の右手を強く握った。


「潤さんに相談もせず勝手に決めるのもどうかと思ったんだけど……ゆうべ母に連絡して、今日の昼休みには大家さんにも連絡したの」

「そうか、じゃあ今日からは本当に志織と一緒に暮らせるんだ。嬉しいな」


 一緒に暮らすことになったと言うだけでこんなに喜んでくれるのだと思うと、私も嬉しい。

 潤さんは本当に私を愛しているのだと毎日実感させてくれる。そんな人と一緒になれる私は本当に幸せだとつくづく思う。


「それで、母がね……ついでに籍も入れたらって言ったんだけど……それはやっぱり、潤さんの怪我が治ってから、潤さんのご両親にきちんとご挨拶して結婚の承諾を得て、両家の顔合わせも済ませてからにしようってことになって……」

「そうだな。でもうちの親父もたぶん、志織のお母さんと同じことを言うと思うよ。俺としては今すぐにでもかまわないけど……一応その辺はちゃんとしとかないとって言う志織の気持ちもわかるし、志織のお父さんにももう一度会って、ちゃんと許可もらわないとな」


 じつはゆうべ、母に言われたことを伝えたとたんに、潤さんが『よし、今すぐ入籍しよう!』と言い出すのではないかとほんの少し心配していた。だけどそれは無駄な心配だったようだ。

 潤さんは私の気持ちを大事にしてくれて、しかも私と同じことを考えていた。それだけで潤さんとはこの先うまくやっていけそうな気がする。


「とりあえず、早く怪我治さないとな」

「うん」


 私がうなずくと、潤さんは私の肩を抱いて顔を近付ける。


「ところで志織、ただいまのキスがまだなんだけど」


 潤さんは私の耳元に口を近付けて小声でそう言った。


「えっ、だって葉月もいるし……」


 ダメ、と言おうとすると潤さんは私の唇を唇でふさいで言葉を遮る。

 ほんの一瞬とは言え、他の人がいるのにキスするなんて、もし見られたらと思うと恥ずかしくて全身が急激に熱くなった。


「志織、顔真っ赤」

「だって潤さんが……!」


 まじまじと見られると余計に恥ずかしくなって、熱くなった右の頬を右手で押さえた。左手が使えたら両手で顔を隠せるのに。

 潤さんは満足そうに私を抱き寄せて頭を撫でる。


「やっぱかわいいなぁ……」


 そう言いながら潤さんが私の真っ赤になった頬に口付けた瞬間、リビングの入り口から「あーっ!」と大きな声が聞こえた。


「潤くんと佐野がイチャついてるー!」


 伊藤くんの大声に驚き、私たちは慌てて離れた。


「志岐くん、邪魔するのは無粋ってもんですよ。仲がいいのはいいことじゃないですか」


 瀧内くんは冷静に伊藤くんをたしなめる。


「なんだおまえら……いたのか……」


 潤さんはしどろもどろになりながら平静を装っている。

 私は恥ずかしさで全身の血液がすごい早さで駆け巡り、さらに真っ赤になった顔を思いきり下を向いて隠した。


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