Accidents will happen ③

 私のそばにしゃがんで外傷のある箇所や傷の程度などを調べていた女性の隊員に話し掛けると、その人は少し驚いた顔をしたあと、優しい笑みを浮かべた。


「お気持ちはわかりますけど、今はご自分の体を優先しましょうね。お勤め先にはこちらから連絡いたしますので、会社名を教えていただけますか」


 会社の名前を告げると、女性隊員はすぐに会社に連絡をしてくれた。

 動き出した救急車に揺られ、鳴り響くサイレンの音を聞きながら、まだぼんやりした頭で、有田課長や部署のみんなに心配や迷惑をかけてしまうのは申し訳ないとか、仕事をできるだけ休まずに済めばいいなと考える。

 少しずつ意識がハッキリしてくると、左ひじの辺りが異様に痛み出した。他にも頭や肩、膝などがズキズキと痛む。

 意識を失っていたというし、人形のように派手に階段を転げ落ちてぶつけまくったのだろう。それでもドラマみたいに大怪我を負うわけでもなく、会話ができる程度には無事なのだから、多少は運も関係あるにしても、人間の体は案外丈夫にできているのかも知れない。


 病院に着いてからは、脳や骨などに異常がないかを調べるために、レントゲンやCTスキャン、MRIなどのいくつかの検査を受けた。

 左ひじの辺りが大きく腫れ上がってやけに痛いと思っていたら、どうも骨折しているらしい。骨にヒビが入っている状態なのだそうだ。

 頭に数か所コブができて、顔や手足にいくつかの傷はあるものの、それ以外は特に目立った外傷はなく、一応脳にも異常はないと言うことだった。

 駅の階段を思い浮かべると、あれだけの長さの階段を転げ落ちてもその程度のけがで済むなんて、私は思った以上に頑丈で、ついでに運もいいようだ。これには医師も看護師も驚いていた。

 頭を打っているので、今夜は入院して安静に過ごし、念のため明日もさらに精密な脳の検査をすることになった。

 病室に運ばれて病院で借りた寝間着に着替え、ベッドに横になってようやく落ち着いた頃、誰かがドアをノックした。返事をすると、ドアを開けて病室に入ってきたのは有田課長と葉月だった。


「検査終わった?」

「はい」


 慌てて起き上がろうとすると、有田課長は「気を遣わないでいいから、そのままで」と私を制する。

 葉月はすぐそばに来て、私の顔を見るなり目を潤ませた。


「有田課長から『志織が駅の階段から落ちて救急車で運ばれた』って聞いたときは、ホンマにびっくりしたわぁ。大けがして包帯グルグル巻きで、チューブだらけになって意識なかったらどうしよか思ったけど、原型留めてて良かったぁ……」

「そんな大袈裟な……」

「大袈裟ちゃうで!ホンマにあったんやから!志織みたいにあの駅で階段から落ちて大けがして、頭強打して後遺症が残ったんやって。なんか忘れたけど裁判がどうやこうや言うて、ずっと前に新聞に載ってたで」


 それを聞いて一気に青ざめた。私と同じようにあの駅の階段から落ちて、そんな大事故になってしまった人もいるなんて!

 頑丈な体に産んでくれた両親に感謝しなければ。

 それに今まで生きてきてあまりついているとは言えなかったけれど、その分蓄積されていた運が今回ばかりはうまく働いてくれたのかも知れない。


 それから私は、左ひじの少し上辺りの骨にヒビが入っていることや、検査の結果、脳には異常がなかったこと、今夜は入院して明日もまた別の検査を受けることなどを説明した。

 そして出張中の会議や視察の資料がバッグに入っていることを話すと、葉月がそれを取り出して有田課長に渡してくれた。


「出張、かなりハードだったろ?まさかこんなことになるなんて、佐野主任には申し訳ないことしたなぁ……」


 有田課長が申し訳なさそうに呟いた。


「いえ、これは私の不注意から起きた事故ですので、むしろ私の方が心配をおかけして申し訳ないです」


 私がそう言うと、葉月は私の顔をじっと見た。


「志織、目の下めっちゃクマができてんな。えらい疲れた顔して、出張そんなにきつかったん?」


 ほんの少し顔を見ただけで私がいつもの状態ではないことに気付くなんて、やっぱり葉月の観察眼は鋭い。

 この数日の間に起こった潤さんとのできごとが、頭の中を駆け巡った。


「出張もそれなりに大変だったけど、これは仕事とは別のことでね……ここ何日かよく眠れなくて……」

「珍しいなぁ、健康優良児の志織が眠れんとか……。なんか悩みでもあるんやったらなんぼでも聞くで」

「うん……」


 私がうなずくと、有田課長が資料を手にイスから立ち上がった。


「それじゃあ俺は佐野主任の無事も確認できたことだし、仕事残してきたからそろそろ会社に戻るとするかな」


 これは有田課長なりの、部下のプライベートな問題に立ち入ってはいけないという気遣いなのだろう。

 忙しい中をわざわざ駆けつけてくれた有田課長にお礼を言って見送ったあと、葉月は私の方を向いて「それで、どないした?」と尋ねた。


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