Don't delay~準備はいいか~⑦

 浴室で体を洗いながら、もしかしたらこのあと潤さんと……と思うと、またドキドキしてきた。

 しかし『先にシャワー使っていいよ』という台詞は、ドラマや映画のように甘い雰囲気ではなく、なんだか家族にお風呂を勧めるような感じだった。

 ……やっぱり今夜は何もないのかな?

 それはそれでちょっと残念なような気もする。かと言って私の方からノリノリで誘うとか、潤さんを押し倒すなんてことは、私の性格上できそうもない。


「いや、絶対にしたいというわけでもないんだけど……」


 そんな自分の考えに赤面して、シャワーで石鹸をすすぎながら思わずひとりごとを呟く。

 お互いの気持ちが同じだったことがわかっただけでも、私にとっては幸せなことなんだから、一緒にいられたらそれでいいか。

 ……と、思うことにしておこう。



 私がお風呂から上がると、脱衣所のかごにはフカフカのバスタオルと、潤さんのものであろうTシャツとジャージが用意されていた。私の使っている柔軟剤とは違う香りがする。

 私はそんなに小柄な方ではなく、むしろ女性としてはわりと背が高い方なのだけど、潤さんの用意してくれた着替えはどれも大きくて、男性である潤さんの体が私よりずっと大きいのだということを実感した。

 潤さんの大きな体に全身をすっぽりと包まれてみたいと言う願望が、私の体の奥から湧き上がる。

 これは願望と言うよりは欲情なのでは?そう思うとまた自分の考えに赤面してしまい、冷たい水で顔を洗って頬の火照りを鎮めた。

 もう酔いは醒めたはずなのに、今夜の私はなんだか変だ。



 濡れた髪を拭きながらリビングに戻ると、潤さんはソファーに座ってぼんやりしていた。


「潤さん、お先でした」


 声をかけると、潤さんは微かに肩を跳ね上がらせる。


「ああ……うん。それじゃあ俺もシャワー浴びて来ようかな」


 どことなく潤さんの動きがぎこちなく感じるのは気のせいだろうか?

 私はソファーに座ってバッグの中から手鏡を取り出し、まじまじと自分の素顔を眺めた。

 うっすらとでも化粧をしておくべきなのか、それとも素顔でいるべきなのか悩んだけど、結局化粧はしなかった。遅かれ早かれ潤さんには素顔を見せることになるのだろうから、無駄な抵抗はやめたと言う感じだ。

 がっかりされなければいいのだけど。



 しばらくすると潤さんがお風呂から戻ってきて、冷たいお水の入ったグラスを私に差し出した。

 二人でソファーに座り、一緒にお水を飲む。潤さんはその間、ずっと黙りこんでいた。

 お水を飲み終わると、潤さんは壁掛け時計をチラッと見上げ、ゆっくりとソファーから立ち上がる。時計の針は2時半を少し過ぎた辺りをさしていた。


「もうこんな時間だ……。そろそろ寝ようか」

「あ……そうですね……」


 潤さんは私の手を引いて階段を上がり、2階の奥の部屋の前で立ち止まる。前に私と葉月が泊めてもらった部屋だ。


「布団、用意しておいたから」

「……え?」


 何もないかもとは思ったけど、まさかの別室?!


「潤さんは?」

「俺の寝室はそっちだから」

「はぁ……それは知ってますけど……」


 ここは大人しく「おやすみなさい」と言って、この部屋で用意してくれた布団を借りてひとりで寝るべきだろうか?

 ……いや、やっぱりそれおかしくない?

 ようやく晴れて恋人同士になった大人の男女が、何が悲しくて別々の部屋で寝なきゃならんのだ。


「じゃあ、おやすみ」


 潤さんはそう言って私の手を離そうとした。私はその手を強く握って引き留める。


「……なんで部屋まで別々なんですか?」


 私が下を向いて廊下を凝視しながら尋ねると、潤さんはモゴモゴと口ごもる。


「なんでって……疲れただろうからゆっくり休んでもらった方がいいかなぁと思って……」


 疲れただろうからゆっくり休めって、私はただのお客さんか?宿屋に来た覚えはないんだけど。


「私は潤さんと一緒がいいんですけど……もしかして他人がいるとよく眠れませんか?」


 そんなことはないとわかっていて、わざとそう尋ねた。

 瀧内くんや伊藤くんがしょっちゅう泊まりに来てはいつも一緒に寝ているのに、私は別の部屋なんて納得がいかない。


「そんなことはないんだけど……」


 私が顔を上げると、潤さんは視線をさまよわせながら困った顔をしている。そんなに困った顔をされると、私まで困ってしまう。

 潤さんがどうしてもダメと言うなら何もしなくてもいいから、せめて潤さんに抱きしめられて眠りたかったのに。


「わかりました、私と一緒に寝るのがそんなにいやなら、もういいです。おやすみなさい」


 握っていた手を離して少しぶっきらぼうにそう言うと、潤さんは慌てて私の腕をつかむ。


「違う、全然いやじゃない」

「……本当にいやじゃない?」


 私が念を押すように尋ねると、潤さんはコクンとうなずいた。


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