不戦敗⑦

「先輩として尊敬はしてますけど……好きとか、そんなんじゃありませんよ」


 できるだけ平静を装ってそう答えると、下坂課長補佐は私の目をじっと見つめた。


「それならいいんだけど……ほら、三島くんって誰に対しても優しいし、すごく面倒見がいいでしょう?昔もそれで勘違いしちゃう女の子がたくさんいたから、気を付けなきゃダメよって、いつも言ってたの」

「はぁ……そうなんですね……」


 それは私に、三島課長の優しさに妙な勘違いを起こすなとでも言っているのか?

 だけどあいにく私は、三島課長には好きな人がいることくらい知っているし、勘違いなんかしていない。ただ私が一方的に好きになってしまっただけだ。


「佐野さんは三島くんの3つ下だっけ?ということは……」

「29歳です」

「まだ20代かー……いいなぁ。佐野さん美人だからモテるでしょ?」

「いえ、まったくそんなことは……」


 私は特に美人でもないし、スタイルがいいわけでもない。自分で言うのもなんだけど、特に目立つこともなく、見た目も中身もごくごく普通のOLだと思う。もちろん今までの人生において、モテ期らしきものは一度もなかった。

 自分の方が私よりずっと美人だとわかっているだろうに、一体何が言いたいのだろう?


「三島くんから聞いたかも知れないけれど……私と三島くん、昔付き合ってたの」


 まさか下坂課長補佐が自らその話をするとは思っていなかったから、不意を突かれて驚き、一瞬呼吸が止まるかと思った。

 下坂課長補佐は私のそんな様子を気にする様子もなく話を続ける。


「そのとき私はあなたと同じくらいの歳で、親から早く結婚しろって、毎日すごいプレッシャーかけられて焦っちゃってね……」


 私だって母から絶賛急かされ中だ。娘が三十路前になると、親が結婚を急かすというのはどこの家庭も同じらしい。


「私は三島くんより5つも歳上だし、まだ若い三島くんには結婚したいとは言えなくて、すごく悩んで……。そんなときに、結婚を前提に付き合って欲しいって歳上の上司に言われて、結局その人と結婚したんだけど、本当に好きだったのは三島くんだったから、やっぱりうまくいかなかった」


 本当に好きだった三島課長を捨てて、すぐにでも結婚できる上司を選んだのは下坂課長補佐本人のはずなのに、結婚生活が破綻した理由を正当化しているようにも聞こえた。

 なんにせよ、その結婚がうまくいかなかったのは三島課長のせいではないことだけは私にもわかる。


「本社に戻ることになってすぐに三島くんに会って、その話をして謝ったんだけどね……」


 それは先週の金曜日に、私が駅前のイタリアンレストランから出てくる二人を見たときのことだろうか。それとも三島課長の家で会ったときのこと?

 もしかして下坂課長補佐を家で待たせておいて、私のところにお土産を届けにきたの?


「玉砕覚悟で、三島くんともう一度やり直したいって言ったら、今も私のことが好きだって言ってくれて、また付き合うことになったの」

「えっ……?」

「いろいろ落ち着いたら結婚するつもり。私も大人だから、かわいい後輩の佐野さんと二人で食事するくらいは許すつもりだけど……それ以上の関係になるのはちょっと……ねぇ?」


 下坂課長補佐はすごい目力で私を見つめる。三島課長には手を出すなと言いたいんだろう。


「私はバツイチだしもういい歳だから、適当な相手と恋愛する余裕なんてないけど……佐野さんにはまだまだ恋のチャンスはいくらでもあるわよね?」


 胸に込み上げたなんとも言い難い不快感をあらわにしないように気をそらそうと、カップに残っていたコーヒーを一気に飲み干した。

 カラになったカップをギュッと握りしめたとき、ポケットの中でスマホの着信音が鳴り響いた。スマホを出して画面を見ると、発信者は母だった。


「すみません、母から大事な話があるから今晩電話すると言われていたのを忘れてましたので、私はこれで失礼します」


 イスから立ち上がって頭を下げると、下坂課長補佐は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。


「そう?三島くんのことは待たなくていいの?」

「急用を思い出したから帰ったと伝えてください」


 私はゴミ箱にカップを投げ捨てて、歯を食いしばり着信音を数えながら急いでエレベーターホールに向かった。

 とにかく今は、三島課長の顔は見たくない。それなのに、こんなときに限ってエレベーターはなかなか来ない。

 少しでも気を抜くと目に溢れた涙がこぼれ落ちそうで、エレベーターを待たずに階段を駆け下りた。

 しばらくして着信音が鳴りやむと、私はその場でうずくまる。

 本物の婚約者が現れたのなら、偽物の婚約者なんてもう必要ない。三島課長はそれを伝えるために、私に会いたかったのかも知れない。そう思うとまた涙が溢れて、三島課長の思わせ振りな態度を恨んだ。

 でも本当はわかっている。この恋に望みなんて最初からなかった。

 好きになってもどうしようもない人を勝手に好きになって、戦わずしてライバルに負けた。

 それだけだ。




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