使えるものは親でも使え①

「佐野主任、なんのためにここに来たか忘れてませんか?」


 食事の後、瀧内くんはドリンクバーで入れてきた温かいカプチーノを差し出しながらそう言った。

 たしかに、ここに来てから伊藤くんと葉月のこじれた仲を取り持つのに精一杯で、何か大事なことを忘れている気がする。


「そういえば……えーっと、なんだっけ?」


 本来の目的をすっかり忘れて思い出せない私に、瀧内くんは本気で呆れているようだ。


「僕は伊藤先輩と木村先輩の痴話喧嘩の仲裁のためにここに来たんじゃありませんよ。三島課長の話をするためです」

「そっか、そうだったね」


 昨日の晩からここに来るまでにいろいろありすぎて、正直言うと三島課長の偽婚約者の件は、私の中ではかなり薄れている。

 三島課長から『気にしなくてもいい』と言われたこともその一因なのだろうけど、その後に護に会ったことも、今日奥田さんに言われた言葉も衝撃的で、私の恋愛における許容量をオーバーしかけているからだろう。

 一方、瀧内くんに耳の痛いことをハッキリ言われた伊藤くんと葉月は、顔をひきつらせて必死で作り笑いを浮かべている。


「瀧内……おまえってかわいい顔して、猛毒を吐くんだな……」

「私は残業終わりに、瀧内くんからごはん行こうって誘われて来たんやけど……?」


 葉月が目元をピクピクさせながらそう言うと、瀧内くんはポケットから千円札を取り出してテーブルの上に置いた。


「帰り際に部長が、木村先輩と牛丼でも食べて帰れって、お小遣いくれたんです」


 なるほど、この千円札は部長からのお小遣いなのか。

 部長がお小遣いをくれるときと言えば、自分の都合で仕事が追い付かなかったり、すっかり忘れていた仕事に慌てて取り掛かって、部下に無理を言って手伝わせたときだ。金額からすると、今日はそんなに難しい仕事ではなかったらしい。

 私も営業部にいたときに何度か経験があるけれど、その辺は相変わらずなようだ。


「ちょうど今日は佐野主任と約束してたので、牛丼よりこちらで一緒にどうかと思って誘ったんですけど、まさか伊藤先輩がいるとは思いませんでした」

「本屋で時間潰してるときに伊藤くんと会って、その流れで。今日は護のことで散々奥田さんに絡まれたから、ちょっと伊藤くんとの仲を誤解しといてもらおうかと思ってね」


 ゆうべ三島課長に送ってもらった後のことと、今日の奥田さんとの会話の内容を話すと、葉月と伊藤くんはすっかり呆れた様子でため息をついたけれど、瀧内くんは上がった口角をカップで隠すようにコーヒーを飲んでいた。


「それはまた面白い展開になってたんですね」

「瀧内くんならそう言うと思ったよ」

「しかもその後、慰めてもらうために奥田さんの家に戻ったところがクズ過ぎて笑えます」


 たしかにそこは私も一番呆れたところだから、瀧内くんがそう言う気持ちはよくわかる。


「誰と一緒におったんやって……どの口が言うとんやろな」

「佐野、もうとっとと見切りつけて別れちゃえよ、あんなやつ」

「別れるつもりだけど……とりあえず『そろそろ結婚とか将来のことを考えたい』って言っておいたから、自分と結婚したいんだって勘違いしてると思う」

「それはいいですね」


 瀧内くんは私が護に言った言葉をお気に召したようで、楽しそうに冷たい笑みを浮かべている。この顔をするときの瀧内くんは敵にまわさない方がいい。


「社内恋愛を隠したせいで浮気され放題になったんですから、今度は佐野主任がそれを利用してやればいいんじゃないですか?」

「利用するって……」

「単調な毎日で刺激に餓えた人たちは、噂話が大好物なんですよ。佐野主任がエサをぽろぽろこぼしたら、おいしくいただいてくれるでしょうね」


 瀧内くんの言葉で、鳩の群れの真ん中でこれ見よがしにパンくずを撒き散らしながらパンを食べている私が、そのパンくずに群がるたくさんの鳩を高みの見物して笑っているシーンが頭に浮かんだ。想像すると、なんだか私が底意地の悪い人間みたいで、ちょっと怖い。


「瀧内の言い方がな……もうなんて言うか……」


 会社で仕事をしているときの寡黙で真面目な瀧内くんとはイメージがかけ離れているせいか、ドSな発言を繰り返す瀧内くんを目の当たりにして、伊藤くんは驚きを隠せないようだ。


「私も最近知ったけど、瀧内くんってわりといつもこんな感じ」

「マジか……!」


 仕事だけでなく同じサークルで活動している伊藤くんが驚くということは、バレーをしているときも瀧内くんは本性を隠しているということなんだろう。

 だけど三島課長の前では当たり前のように言いたい放題だったところを見ると、瀧内くんは伊藤くんより三島課長の方に懐いているのだと思う。


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