かけて引いたり、足して割ったり②

「あんなに私に夢中っぽいのになんで嬉しそうに彼女に会いに行くんだろうとか、彼女のどこが好きなんだろうとか、めちゃくちゃ考えるじゃないですか」

「うーん……でも奥田さんは、彼に彼女がいるってわかって付き合ってるんでしょ?それに彼女の立場で考えたら、彼氏が他の女の匂いをさせて会いに来るのもイヤだと思うよ」

「彼女に会う前に私を抱くってことは、私の方が彼に求められてるってことですよね?彼をちゃんと繋ぎ止めておけない彼女も悪くないですか?」


 ほう、護を夢中にさせるだけの色気も、護を繋ぎ止めておくだけの魅力もない私が悪いと言いたいわけね。

 ……そんなのは他人に言われなくても、自分が一番わかってるよ!!


「だったら奥田さんが彼にとって彼女以上の女になればいいんじゃない?」

「だから佐野主任に相談してるんですよ。私に足りないものってなんだと思います?」


 奥田さんは鏡に向かったまま、ファンデーションを塗り直しながら淡々とした口調で尋ねた。

 完全に私に喧嘩を売ってるわけね。さっきの言葉、私には『さっさと彼から手を引け』と言っているようにしか聞こえなかった。

 でもここで感情的になって声を荒らげるのは大人げない。ここは何がなんでも大人の女に徹してやろう。


「男の人って単純だから、彼が好きな料理を上手に作れるようになれば、奥さんにしたいって言われるかもね」


 奥田さんは料理が苦手だと知っていてそう言う私もかなり意地が悪いと思う。だけど私が護に好かれていると胸を張れるのは、それくらいしかないのだからしょうがない。


「料理ですか……。だけど作らなかったら意味ないですね」


 てっきり『私、料理は苦手なんですぅ』とか言うのだろうと思っていたのに、意外な返しに少し驚いた。奥田さんは『料理ができないからなんだって言うの?』って顔をしている。


「どうしてそう思うの?」

「夕べ遅くに、彼がまたうちに来たんです。久しぶりに彼女の作ったごはん食べさせてもらうの楽しみにしてたけど、ごはんも彼女自身も食べさせてもらえないうちに冷たく追い返されたって、へこんでましたよ」


 なんだと?護はあの後また奥田さんのところに戻ったのか!!

 いやもう、ホントにわけがわからないから!


「彼女はもう冷めちゃってるんですかね。いつになったら別れてくれるのかなぁ……」


 奥田さんは鏡越しにちらりと私の方を見ながらそう言って、パウダールームを出て行った。

 悔しい……!なんだかものすごい敗北感だ。

 結局護は色気とか可愛いげとか、とにかく女として私に足りないものを全部奥田さんに与えてもらってるんじゃないか。

『いつになったら別れてくれるのかなぁ』って、むしろどうして護が私にこだわるのか、こっちが知りたいくらいだ。

 こうなったら何がなんでも簡単には引き下がってやらないからな!と心の中で叫びながら足をジタバタさせていると、始業5分前のベルが鳴り、私は慌てて気持ちを切り替えてオフィスに戻った。



 定時で仕事を終わらせて帰り支度をしていると、有田課長に手招きで呼び寄せられた。


「佐野主任、さっき新人ちゃんから電話があったよ」


 昨日派手にミスをやらかしてしまった彼女は本当は山村さんという名前なのだけど、いつまで経っても簡単な仕事も覚えないことから、部署では密かに新人ちゃんと呼ばれている。

 今日は体調が優れないという理由で欠勤していたけれど、少し前に『会社を辞めます』と連絡があったそうだ。予想通りと言えば予想通りだけど、単純に昨日のミスを咎められたという理由ではないらしい。


「新人ちゃん、できちゃったんだってさ」

「……と、申しますと?」

「昨日も調子が悪くてぼんやりしてたらしいんだけど、今日はあまりにも気分が悪くて病院に行ったら妊娠してたんだってさ。いわゆるつわりってやつ」


 なるほど、それで昨日のミスに繋がったわけだ。

 妊娠初期は注意力が散漫になったり、情緒も不安定になりやすいと千絵ちゃんが言っていた。有田課長からミスを指摘されて号泣したのも、きっとそのせいなのだろう。


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