第2話 この混沌とした世界に

 アランはその外套と体で、拾った赤子を戦火から庇いながら、本陣へと向かった。

 魔族の襲撃を受け、帝都から派遣された帝国軍が、暫定本陣として構えたのは、街の北側、数キロの地点である。

 そこには、緊急派遣として軍人を連れてきた飛行戦艦やら、医療班やらが待機している。いわば前哨基地だ。

 今回の急襲には、その規模も相まって大規模な出撃となった。そのため、信頼できる同僚も何人も来ている。

 そのうちの二人に、その命を救えると賭けたのだ。

 しかしそこは、いわば魔族殺したちの巣窟だ。真正面から行けば、即座に赤子の身元を確認され、そして魔族として殺されてしまうだろう。

 つまり、回り道をして直接彼女たちのいる場所まで辿り着かなければならない。

 駐屯地は近隣の街道。両側は森。であれば森の中、ある程度の位置に見張りを置いてあるのは必然だろう。

 それを回避しながら、一戦もせず、誰にも見つからずに本陣へと入り込む。中々難易度の高いルートだ。

 だが、やらなければならない。救うと決めた命なら、救って見せなければ。


 暫く走ること数分、ようやく本陣が見えてくる範囲に達した。

 素早く森の中に入ると、一切足音を立てずに走り抜ける。

 暗殺者アサシンとして体得した技術の粋を、遺憾無く発揮し本陣へと走り抜ける。

 木の葉の音の一つも立てず、疾風の如く駆け抜ける。見張りの兵士が散見されるが、視界に入ることなく速やかに離れていく。


 アランがここまで急ぐ理由は、この赤子の健康を守るためと、泣き出す前に本陣に辿り着くためである。

 赤子に「黙っていろ」などと伝えたところで、意味がわからないのであれば伝わらない。

 それにアランは、精霊術が得意ではない。一般の術士なら、静音の術を用いて移動できるが、アランにそれは不可能だった。

 だからこそ、今眠っているうちに、本陣へと辿り着かねばならないのだ。


 目的地まで、あと数十メータといったところに辿り着いた瞬間。

 ぞわりと鳥肌が立つような、嫌な気配を感じ取った。

 戦場では当たり前の気配。アランもまた、この気配を放つ者の一人。

 即ち、殺気。

 直感のままに左腕を構えれば、キイィィィンという金属音とともに、何かが弾かれた。

 足元に落ちたそれをチラリと見れば、黒く塗られたナイフだった。命を確実に仕留めるための暗器。

 ただの投擲でこの威力。直感で防げたことから読み取れる、その膂力と正確性。

 これほどの腕を持つ人間に、アランは心当たりがあった。


「何の真似だ、ゴースト」

『それは此方の台詞だ。何故魔族を抱えて本陣に向かう』


 ゆらり、と何もない場所から姿を表したのは、アランとは異なり軍服に頭部全体を覆う黒いヘルメットを被った人間だった。

 身軽な軽装甲ながら、引き締まった肢体。その身一つで命を手折る、姿なき死神。

 それが、ゴーストと呼ばれる者の正体だ。


「確かにこいつは魔族だ。だがまだ赤ん坊なんだ。危険はない」

『魔族を軽視するな。肉体構造すら変えてしまう魔族も存在する。赤子だからと浅はかな理由で、本陣に近づけることはできない』


 合成音声のような無機質な声音。素顔を見た者はいないと聞く仮面の奥から、冷徹で冷静な言葉が飛び出てくる。

 奴はアランと同じで、相当な実力を持つ。この子を抱えたまま戦って勝てるような相手ではない。

 それに、奴が手を出さないのは、出してもアランに止められるから。地面に置きでもすれば、即座に凶刃を振りかざすだろう。

 つまり、この場で戦うことは自動的に敗北を意味する。それだけは絶対に避けなければ。

 緊張が場を包む。その緊張を打破したのは、アランだった。


「こいつが危険なのかどうかを判断するのはお前じゃない。そもそもそれを確認するために、あいつのところに行こうとしていただけだ」

『……あの女医か』


 ほんの少しだけ、緊張が和らいだ。

 ゴーストは、何も狂人ではない。いや、ある意味では狂人だが、きちんと他者の話に聞く耳を持つ人間でもある。

 理知的で、理性的。故に冷静で、冷徹。

 それが、《ぼう》ゴーストの人柄である。


「それに、いざとなれば俺がいる。?」

『………………』


 逡巡するように、ゴーストは反応を返さなくなった。

 仮面で頭を覆っているせいで、その表情を読み取ることはできないが、何かを考えていることは間違いなかった。

 暫く無言でいると、ゴーストが不意に口を開いた。


『……私の知る限り、《てん》の名の真の意味を知る者に、貴様の腕を疑う者はいまい。確かに、こと魔族との戦闘において、貴様を疑うほど愚かなこともないか』


 そう言うと、ゴーストは踵を返す。

 建前上、奴もまた一度は噛まないとならないのか。苦労人だな。


『いいだろう。今回は不問にしてやる。だがもし、その時が来れば……貴様が殺せ。拾い主としての責任として、《威天》アラン・アンバースとして』

「……言われなくてもそのつもりだ」


 そう返すと、ゴーストは景色に溶け込むように消えていった。姿を消す術だろうが、アランには到底出来ぬ芸当だった。

 最後の関門を突破し、アランは目的地に向け、再び走り出した。

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