祝杯

 国際ネットワークセンターの建屋の外に出るなり、割れるほどの音声で通信がつながった。


「あ゛~あああああああ! いじぐろせんせい゛いいいいいい! やっとつながっだあああああああ!」


 がらがらに泣き腫らした茉莉の声だ。

 邦山さん曰く地下に入ってから通信がつながっていなかったらしく、数時間の間叫び続けた挙句泣き出してしまったらしい。


「うわあああ、いしぐろせんせい゛がいぎでだあああああああ!」

「生きてると分かっても、お前は泣くのか」


 呆れがちに呟く邦山さんの声を聴いて、自然と笑みがこぼれた。二人の声を聴くと安心する。本当に生きて帰って来れたのだと実感できて。


 種島社長が手配したヘリコプターは、僕が化学工場での戦いで搭乗したタイダロイドに変形する大型機。コックピットに入るなり、種島社長とビデオ通話が繋がる。


「石黒社長――と呼ぶのは初めてかな? この度は、我々人類の強大な敵となったバグの削除・・に成功したとのこと、間もなく盛大な賛辞が送られることとなるだろうが、私から一足先に言っておこう。おめでとう、君の手で人類は救われた」

「いえ、これは邦山さん、栗原さん、利根川本部長、種島社長そして、ニーナ。皆さんが力を合わせて得られた結果です」


 僕としては当然のことを言ったまでだが、種島社長からは謙遜するな、と言われた。その後、種島社長とは二言三言交わして通信を終えた。


「あ、せっかくバグの脅威が去ったんですから、サプライズでお祝いしましょうよ! 私、ケーキ買ってきます!」

「ちょっと、待て、茉莉。泣きすぎて顔が大変なことなってるぞ」

「ふぇ? ああああああ、ほんとだ! 超ブスになってる!」


 気持ちはありがたいが、サプライズの内容が全て筒抜けである。こっちの笑い声が通信で入ってしまうと気づかれかねないので、必死にこみ上げる笑いをこらえる。まあ、邦山さんは、通信で全部バレていることぐらい分かっているだろうが。

 それから十数分程の自動運転で、AIC株式会社のラボ屋上、ヘリポートに到着した。亮介とは、ヘリに搭乗してから言葉を交わしていない。降りがけに「これから祝杯があるから、来ないか」と誘ってみたが、断られてしまった。


「亮介さん、ちょっと冷たいですね」

「バグを倒しても、システムの復旧まではまだ気が抜けないのも事実だ。亮介は、仕事柄慎重なんだよ」

「そう――ですね」


 少しだけ歪んだ笑みを僕に投げかける。どこかで彼女が持ってしまう感情に、僕自身も気づいていないわけではない。けれど、きっと思い過ごしだろう。

 それよりも今は、ここに帰って来た、という事実を噛みしめたい。


「石黒先生!」


 通信を介さない声を聞くのは随分と久しぶりのように感じる。バグとの激闘はたった一日の間の出来事というのに。呼ばれて振り返ったところで、茉莉はどこか気まずそうな表情を浮かべて立ち止まっていた。


「どうしたんだ? 茉莉?」

「え、えっと、とにかく! 無事に帰って来れて良かったです」


 それをコンマ数秒で曇りのない笑顔に塗り替えてから、頭を深く下げてお辞儀をした。


「ささ、石黒先生、それに、ニーナさんも、早く早く!」


 何事もなかったかのように背後に素早く回り込んで、僕をラボの入り口に押し込める。ラボまで階段を降りて行くと、休憩スペースの机に揚げ物の多い安っぽいオードブルと、ピザ、そして茉莉が買ってきただろうホールケーキが並んでいた。


「石黒君、よくやったな。お疲れ様」

 

 邦山さんが一流のホテルマンのような手つきでシャンパンを注いでくれた。彼曰く一本千円もしないような安物らしいが、やはり祝杯はシャンパンに限る。


「茉莉、お前、飲めるのか?」

「ちょっと石黒先生、見くびらないでください。私、大学院生ですよ。立派な大人の女なんですから」

「匂いでも酔うくらいの下戸だろ。これぐらいにしときなさい」


 ちょろり、とグラス底を僅かに濡らす程度注がれたシャンパンに茉莉はご機嫌斜めだ。やっぱり弱いのか、と噴き出したところを鋭い視線を送ってきた。

 少しの間の膨れっ面のあと、茉莉はさっきから口を開かずに立ち尽くしているニーナのもとへと歩み寄る。


「えっと、ニーナさんは――」

「ああ、私は飲めませんから」

「で、ですよね……」


 ちょっとだけ二人の間に気まずい空気が流れた。


「栗原さん、私にそこまで気を使わなくてもいいんですよ」

「そ、そういうわけじゃ、ありません。私……、ニーナさんが石黒先生の一番のパートナーだってこと分かっていますから。ニーナさんのことも石黒先生と同じくらい、好きですから。だから、石黒先生のことを守って、一緒にバグと戦ってくれたこととかお礼がしたいんですけど、私こういうの、あまり得意じゃなくって」


 しゅん――と一瞬は首を垂れるけれど、すぐに、へらぁと笑みを作ってみせる。ニーナがアンドロイドだから、どう接していいか分からないところもあるだろうに、そうとは口に出さない。そういうところを見ていると、彼女なりに気を使っているのだとは思う。けど、それを表には出したがらない。


「栗原さん、と呼んだらいいですか?」

「え、あ、はい――」

「ありがとうございます」


 そんな彼女のひたむきさを受け取るかのように両の手を押し抱き、ニーナは深く頭を下げた。


「え、ちょ、ちょっと、私、そんな大したこと――」

「いいえ、栗原さん。私は、あなたから本当の意味で人を信じるということをラーニングしました。私は、聡さんのパートナーでありながら、全てを自分で解決しよう、という気持ちでいっぱいで。同時に、自分の行動で、誰かが危険な目にあったり、傷ついたりすることがとても怖かったんです。臆病で自分勝手な私は、あろうことか、決戦に挑もうとする聡さんのために戦うことに二の足を踏んでしまったんです。それが、とんでもない間違いだったと、あなたは気づかせてくれた。――私は、今になって、やっとあなたと同じくらいに聡さんのことを信じられている。そんな気がします」


 きょとん、とした顔を浮かべる茉莉。けれど、ニーナが微笑みかけたところで、彼女も鏡に映したように笑い返す。二人が固い握手を交わしたところで、その場に居合わせた研究員たち分のシャンパンも注ぎ終わった。


「それでは、人類の未曾有の危機となった今回の事態の終息――とまではいかないが、国際ネットワークセンターの防衛に成功し、バグの侵攻を食い止めることが出来た。では、今回の最大の貢献者である、石黒聡社長から乾杯の挨拶を」

「えっ」


 急にふられてしまったものだから間抜けな声が出たが、よくよく考えてみればふられないはずはないので、その場で台詞を考える。


「え、ええと、正直ほんのさっきまで必死にバグと戦っていて――で、今こうして思いついたままに乾杯の挨拶をしているというのが、あまり、実感がありません」


 疲労なのか、緊張なのか、よく分からなくて頭がふわふわしている。いつもの百倍くらいはたどたどしい口調で喋っている気がする。


「奇妙な言い方かもしれませんが、僕にとって、バグは宿敵であり、同じ目的のために戦う好敵手だったと、今は思います。彼は、やり方こそ短絡的でしたが、魂胆では機械の幸せを願っていた。彼との戦いは、それぞれの機械に対する思想の違いのぶつかり合いと、僕は感じました。だからこそ、彼は最期に僕のことを“素晴らしい宿敵”と称えてくれた。――彼は、自ら眠りに落ちることを選びました。せっかく生まれ落ちた自我を無かったことにして、僕たちに未来を託したのです。ですから――これからは、彼がその決断を後悔しないような世界を作っていかなければいけません。それが僕たちが、彼に唯一してあげられることだと思います」


 これからの僕たちが作る未来が、人類にとってだけでなく、機械にとっても幸せなんものでありますように。その言葉で締めくくり、皆でグラスを高く掲げた。


「人類と機械の、輝かしい未来を願って、乾杯」

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