おかえり、ニーナ

 研究棟が受けた被害は甚大なものだった。製造に使っていた大型機械はどれもこれも回路部を破壊され、使い物にならない状態。資材は可燃性のものはほとんど燃やし尽くされ、そうでないものは瓦礫に塗れて紛失してしまった。AIC株式会社の開発力と生産力の全てを担う施設が消失したのだ。種島重機工業が資金援助と迅速なラボの改修作業を請け負うと言ってくれたことが唯一の救いか。


 回収されたニーナは、ひとまず被害の無かった事務棟の資材置き場に移された。とはいっても解剖台もなければ、解析用の高性能コンピュータもない。そもそも彼女の修理作業を行えるだけの電力の使用許可が、この部屋にはないのだ。

 

「ニーナ、ごめん。しばらく辛抱していてくれ」


 壁にぐったりともたれかかる、抜け殻のようになった彼女。パワードスーツ形態のまま機能を停止しており、バイザーは上に上がり、胴体は左右に真っ二つに開いている。当然、僕の呼びかけに返事はない。

 

「少しは自分の修理にも専念したらどうだ?」


 すぐ隣に邦山さんが座り込んで、横目で僕の胸のあたりをちらりと見やる。痛いところを突かれた。僕はあの戦いで肋骨を損傷しており、今もバストバンドを巻いている。

 もちろん平和なら療養に専念したいところだが、バグの襲撃を受けたばかりだ。それも奴が操った機体を相手したとはいえ、奴そのものの居所は依然としてつかめていない。それに――あのアンドロイドが持っていた、あのUSBメモリのことも気にかかる。こんな状況で、おちおち休んでなどいられるか。というのが正直なところ。

 だが、僕が何をしているかと言えば、こうして抜け殻になったニーナの様子を見に行くことしかしていない気がする。いや、流石にそれは言い過ぎではあるが、一刻も早く彼女を修理したいという気持ちでいっぱいなのは事実だ。

 悶々と考え込んでいる僕の肩に、ぽん、と邦山さんの手が置かれた。


「なあ、研究棟の改修が終わるまで、私が客員教授をやっている研究室のラボスペースを借りてみないか」

「え……?」


 思ってもみない話が出て、口がぽかんと開いた間抜けな表情を向けてしまった。――やがて、その提案が、今の僕にとってとんでもない吉報であることを理解する。

 開発チームリーダーの邦山崇くにやま たかしは、大学の人間工学部ヒューマノイド型機械工学科機械文化創造研究室の客員教授を務めている。それも、ほんの数年前まで僕が通っていた大学だ。


「大学の研究室だから、うちほど巨大な設備はないが、一体や二体のアンドロイドの修理や調整なら十分にできる環境だ。ついでに、暴走した機体の解析作業にも使えるよう教授に話をつけておいた」


 そう語り終えないうちに、僕は邦山さんと肩を抱え合っていた。

 早速、善は急げということで、二人がかりでニーナを車の後部座席に詰め込み、邦山さんの運転で大学の研究室へと向かった。


 正門をくぐると懐かしい建物たちが目に入る。入り浸っていたカフェテリアや図書館を見ると、学生時代の記憶が昨日のことのように蘇ってくる。


「懐かしいか? たまの休みにでも訪ねたりしなかったのか? 企業の研究とは違っていい刺激になるぞ」


 そうすればよかったのかもしれないが、家にいても会社にいても、仕事と親父との諍いで頭の中がいっぱいだった。どうやら、僕は息抜きというものが至極苦手らしい。


 そのせいか、邦山さんの研究室と自分が在籍していた研究室が同じ棟にあるというのに、その存在すら知らなかった。


「まあ、周りからは何をやっているか分からない、なんて言われてるからね。聡くんのいた研究室は毎年希望者が殺到しているけれど、うちに来るのは――」


 廊下を並んで歩きながら、邦山さんは苦笑まじりに語る。


「よっぽどの変わり者ぐらいだ」


 と漏らしたところで、研究室の入り口のロビースペースで寛いでいる女性と目が合う。よっぽどの変わり者、邦山さんが放った言葉に妙に納得した。


 なぜなら、そこにいたのが、栗原茉莉だったからだ。


「あー。たしかに、とんだ変わり者だな」

「ちょっと、どーいう意味ですかっ!? 石黒先生っ!」


 椅子から立ち上がり、少し攻撃的な上目遣いを向ける彼女。

 

「まあまあ、栗原君、君が変わり者なのはこの研究室を所望してきた時点で自明だから」

「邦山先生、それ見事に誰のフォローにもなっていませんから」

「で、就職活動はどうなんだ?」

「ぜーんぜんっ! ダメです。これでES落ちも含めて百二十九社全敗です! あーもう、邦山先生、研究室で雇ってくれませんか?」

「いやあ、もう予算が取れないから、君の人件費まで出せないって再三言ってるじゃないか」

「ぬあああああ、この世は残酷だああああ!」


 彼女は膝から崩れ落ちて、がっくしと頭を垂れた。とそこで、やっと台車にぐったりと寝かされていた抜け殻になったニーナに気づく。


「あれ、これ……。石黒先生が来ていたパワードスーツじゃないですか?」


 ――いや、ちょっと気づくの遅いだろ。と思ったのは内緒の話。


「ああ、実は、ちょっとダメージを受けすぎて、動かなくなってしまってね。外部からの電源供給で一時的に動いたから軽度の故障だとは思うけど」


 途端に彼女の顔がしゅん、と暗くなった。かと思えばきりりと引き締まり、勢いよく立ち上がる。


「分かりました! 石黒先生! 一緒に直しましょう!」


     ***


「ほえー、こんな風になってるんだ」


 彼女は爛々とした目でニーナの内部を覗き込む。うすうす勘付いてはいたけれど、修理作業の手伝いをすると言い出したのは、単にニーナの構造に興味があっただけなのではないだろうか。

 おそらく、故障の原因は電源回路にあると考えている。

 今は左右に割れている腹部装甲の腹筋を模した部品を取り外す。左側の損傷が著しく激しく、黒く焦げている。相手がここに集中攻撃を仕掛けてきたことを考えれば、ここに機能停止に関わる電源回路があるということになる。中を調べるとジュラルミンとアラミド繊維を組み合わせて出来た殻があり、さらにその内部に一辺が五センチほどの六角形の形をしたベークライトが連なってできたスケイル基板があった。


「このスケイル基板の中身が電源回路ならば、一般の製品とほとんど同じ構造だな」


 スケイル基板は外部からの衝撃から電子回路を守りつつ、柔軟性も保つように設計されたもの。アンドロイドの制御回路は全てこのスケイル基板で構成されていると言っても過言ではない。

 解剖を続ける。六角形のユニットの一つ一つに回路の部品が挟み込まれている。何枚かひび割れているものが見つかる。どれもこれもベークライトに印刷された記号から、電源回路にあたるものだと分かる。


「損傷を受けているスケイル基板を交換すれば、おそらくは息を吹き返すはず。だが――」


 やはりサポート期間が過ぎている機体だ。どれもこれも部品の規格が違う。


「これだと、今出回っているものでは修理できないぞ」


 と冷や汗をたらりと流したときに、「ああ、大丈夫ですよ。それなら」と茉莉が気の抜けた声で返事する。いったい何を根拠に言ってるんだ?


「だって、うちの研究室、お金ないですから」


 しかも、全然理由になっていない。ため息をついたそのとき、邦山さんがビニール袋に包まれたスケイル基板を作業台の上にいくつか置いた。どれもこれも、ニーナに使われていたものと同じ規格のもの。


「邦山さん、いったいどこでこれを?」

「うちの研究室、お金がないんで、一部ジャンク品を使ってるんだ。あまり褒められた行動ではないがね。でも、それがたまたま役に立つ、なんてこともあるんだな」


 思わず笑みがこぼれ出た。これで、ニーナが直る! 期待を胸に、わたされたスケイル回路を組み込み、元の腹部のパーツに戻す。

 バリアロッドを格納しているバックル型のユニットに起動スイッチがある。意を決して触れてみる。


 パワードスーツの装甲に走る青白いLEDに光が宿る。やがて、それは眩い真っ白な閃光を放ち、目を眩ませる。

 何も見えないけれど、何が起こっているかはよく分かる。僕は口角が上がるのを抑えきれなかった。


 視界が戻ったとき、そこには、いつも引きずって歩いていた白いスーツケースが。


「聡さん、ニーナ。ただいま戻りました」


 やっと、帰って来てくれた。安堵で視界が潤んだ。目をこすって、しゃがみこんで、スーツケースの持ち手の部分に、そっと手を置いた。


「おかえり、ニーナ」

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