決意を胸に
「聡、家は少しは片付いたか?」
病室のベッドで横たわりながら亮介が言う。
「人の心配している場合かよ」
言い返してやると、心配されるのにはもう飽きたからな、と笑った。車椅子ごと転倒した拍子に古傷が痛んだだけで、亮介の身体に異常はないようだった。念のための検査で数日入院することに。本人は、いたって悪くもないのに検査ばかりされるのは一番厄介だと笑っていたが、僕は一安心だ。
僕の家については、惨状もいいところだ。
「何も起きていないのは、ありがたいが薄気味悪いな」
同感だ。だが、これで化学工場から回収したアンドロイドたちの解析作業に集中できるのは好都合か。開発チームリーダーの
「ところで……社長を継ぐ意思は固まったか」
悶々と考え込んでいるところに利根川から鋭い一言が。
「え、いや、あの……。その……」
遺言状は受け取った。けれど覚悟がなかなかできず、中身はまだ目を通していない。返答に困っていたところで、ニーナがそれを全部バラしてしまった。
「相変わらず、肝心な時にヘタレるな」
昔から、発表会の前だとかは緊張してしまう。遺言状の中身を見るのも、これからの運命が決まってしまうような気がして。
「戦闘中も時々腰が引けていますしね」
「ニーナ、やっぱり戻って来てからキツくなってない?」
「いいや、もともとこんなものだろ」
なんて亮介は茶化すが絶対、気のせいじゃない。
「まあ、遺言状のことも早く向き合わなければいけないのは確かだが、お前が落ち着いて物事を受け止められるときに読むのが一番いいと思うよ」
そのフォローを心に留めて深呼吸をひとつ。僕のことを茶化すこともあるけれど、やはり利根川は僕の理解者だ。
病室を出たところで、種島社長と出くわす。利根川の見舞いに来たと聞いて正直、驚いた。見舞いついでに、種島重機工業の医療機器事業のことで利根川に話したいことがあったそう。なんでも身体障碍者の身体の動きをサポートする製品開発を手掛けていて、そのモニターとして利根川を人選しようという目論見らしい。成功すれば、健常者と変わらない生活を送ることができるようになる、と。
「これから機械犯罪も件数が増えてくる可能性がある。彼も動けるようになった方がいいと考えていてねえ。石黒君、君も利根川君が自分の足で歩くところを見てみたいだろう」
それは、そうだ。けれど、亮介は頑固な奴だからどうかな。
種島社長には、自分の意志として、亮介が自分の足で歩けるようになるなら、そんな嬉しいことはない、と伝えた。種島社長は僕の言葉を受け取ると、静かに笑った。いつもは胡散臭く見えた笑顔が、そのときはとても優しく見えた。
***
病院の近くまで来たので久しぶりに行きつけのあの店に寄って行こうと思う。まあ、久しぶりとはいっても、前にその店を訪ねたのは二週間前のことだが。
喫茶マロンは、病院から歩いて数分。会社からも近いので、帰りに寄ることもしばしば。今どきの洒落た喫茶店は、通りに向かって中身が見えるようにガラス張りになっていることが多いが、この店は窓が小さくて、外の空間から切り取られたようになっている。それがたまらなく落ち着くのだ。
――カランコロンカラン。
なんて小気味の良い音を立てるドアベル。
「おお、久しぶりじゃないか」
カウンターの向こう側で、マスターがサイフォンからコーヒーを注いでいた。年季の入ったリブエプロンが似合う彼が淹れた一杯は格別だ。
「ブレンドコーヒーとモンブランを」
それが僕のいつも頼むメニューだ。
「聡さん、コーヒー飲めるようになったんですか」
「ニーナ、いったいいつの話をしているんだ」
コーヒーを飲むようになったのは七年前。その頃にはニーナは行方をくらましていたから、彼女が知っているのは、コーヒーが苦くて飲めなかった子供の頃の僕だ。
「喋るスーツケースなんて、変わった物を持っているな」
マスターがブレンドコーヒーをテーブルに出すついでに話しかけてきた。
「ええ、まあ。いい話し相手です」
苦笑いを返す。昨今は家電や車が喋るなんて当たり前のことだが、喋るスーツケースというのは馴染みがない。内心、変な目で見られそうだからスーツケースの姿で話すのは控えて欲しいと思っている。でも、それを昨日本人に言ったらモーター駆動を切られて、引っ張っていこうにもびくともしなくなってしまったので諦めた。機械のくせに拗ねるのである。
やれやれと思い出しながら、マスターの淹れたコーヒーを一口。コクがあって、艶のある苦味は表情が豊かで味わい深い。鼻を抜ける香も鮮やか。そして後を引く酸味。単体でも実に美味しいが、これがまた甘いマロンタルトと合わせると至高。
うっとりとしながらもう一口……。
「あれ? 石黒先生じゃないですかっ! こんなところでお会いできるなんて!」
「ぶふうっ!!」
全く予想だにしていない再会で、ド派手に噴き出した。
「く、栗原……茉莉さん? なんでここに?」
テーブルの上をペーパータオルで拭きながら尋ねると途端に茉莉は不機嫌そうに頬を膨らませた。
「ここにいたらダメなんですか? 私のお父さんのお店ですよ」
「ええっ! 気さくでダンディなマスターの娘さんが――」
「娘さんが、何と言いたいんですか?」
ドスを利かせた低い声で問い詰めてくるから、滑りかけた口が止まった。いや、親とは違って騒がしい子だとか口が裂けても言えない!
「聡さん、それより、私を拭いてください。コーヒーが盛大にかかりました」
慌ててスーツケースを拭くが、乾拭きだけではなかなか汚れが落ちない。
「これ使ってください」
茉莉がおしぼりを貸してくれたおかげで、汚れもすっきり取れた。
「ありがとうございます。栗原さん」
「いえいえ。それにしても私を助けた時にも、そのスーツケースと話していましたよね?」
あ、やべ……。背中越しに、「なかなか強烈なコですね」とか言ってたの、聞かれていたのか。きまり悪くなって、頭をぽりぽりと掻いていると、「仲が良いんですね」と笑いかけられた。
「え?」
「いや、お互いのこと、よく分かっているような雰囲気だったので」
てっきりあのとき、周りのことは見えていないんじゃないかとか思ってしまっていたが、意外に観察眼があるんだな。なんて失礼な感心をしてしまった。
「ええ。聡さんとは子供のころからの付き合いですからね。誰にだって優しいところも、肝心な時にヘタレる悪いところも」
突然、ニーナが不機嫌な様子でそんなことを話すものだから面食らった。え、コーヒーを拭いてあげたのにまだ機嫌が治らないのか。まあ、真っ白なボディが汚れたとあっちゃ、無理もないか。
「肝心な時にヘタレ……ですか」
「そ。私は聡さんのそういうところも全部受け入れています」
でもなんで、茉莉に向かって誇示するかのように話すんだろう? それが分からなくて首を傾げていたところに、マスターが焼きあがったマロンタルトを持ってきた。
「茉莉、お客さんと駄弁ってばかりいないで厨房を手伝ってくれ」
「ちょ、ちょちょちょ……お父さん! いいじゃん、小遣い稼ぎなんだし」
マスターに腕を引かれていく茉莉。
「あの! 石黒先生! 悩むこともあると思いますけど、私にとって先生はかっこいいヒーローですから! それは忘れないでいてください」
茉莉が厨房に消えるか消えないかのタイミングで、言った言葉。その瞬間、何故だろう。彼女がとても頼もしく見えて、ちょっと見惚れてしまった。
「ヒーローか」
僕がヒーロー。命を張って彼女を助けたんだから、そう取られてもおかしくはない。でも僕は、ニーナという存在があったからこそ、力があったこそ突っ走ることができただけで、僕自身にはそんな力は。でも……僕のことをそう思ってくれるなら。
誰かの期待に精一杯応えてみよう。――そう思えた。
マロンタルトにさっくりとフォークを入れて一口食べる。今日はまた一段と優しい味付けに感じられた。
ブレンドコーヒーもマロンタルトも、相変わらず身に沁みる優しく深い味わいだった。しかし、マスターの一人娘が茉莉だったとは予想外だ。これからも足繁く通うとなると、茉莉とも何度も顔を合わすことになるのか。
「ニーナ、決めたよ」
「何がですか?」
スーツケースをごろごろと引っ張って家路を急ぐ。
「もし僕が社長の座を継ぐことになったら、みんなが大切にしているアンドロイドと一緒にいつまでも暮らせる世界を作るんだ。今みたいに十年とか期限付きじゃなくってさ」
「素敵ですね」
「ああ、あのコに言われてさ。誰かに期待されるって良いものだなって、あれ……」
途端にスーツケースが重たくなって全く動かなくなった。
「えっと、ニーナ。僕、なんか悪いこと言ったかな?」
歯を食いしばって、両手で力いっぱい引っ張ろうにもびくともしない。
「ニーナ、あのー。もしかしてだけど、妬いてる?」
「聡さん、質問の意味が分かりません」
いや、これは絶対に妬いているだろ……。
「お願い、機嫌治して! 帰れないから!」
そのまま僕は小一時間ほど立往生を喰らわされた。
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