白樫道場3 なんだ、やっぱり……

「何で私の方を見ないんですか」


 車の側まで引っ張って行き、蘇芳すおう先輩から手を離した。

 道場の方からは相変らず元気な小学生の気合と、早い竹刀の音が聞こえてくる。


「……怒ってるのかな、と」

 蘇芳先輩はしばらく黙っていたものの、ぼそりと言った。


「なんで私が怒るんですか」


 呆れて蘇芳先輩を見る。

 道着の袖口あたりで額の汗を拭い、ちらりと私を見る。何か言ったようだけど、道場からの音が煩くて聞こえない。


「なんですって?」

 イライラしてそう尋ねると、口をへの字に曲げて言われた。


「泣くから……」

 蘇芳先輩は私を見て、困ったように眉を下げる。


「桃山が無事で……。安心して思わず頭を撫でて悪かった。触ったら泣いたから、いやだったのかと思って」


「いやで泣いたんじゃないんです」

 食い気味に、私は喋りだしていた。


「蘇芳先輩の撫で方が問題と言うか」

 困惑したような蘇芳先輩に見つめられ、私は焦れた。


「だって、蘇芳先輩、小学生の子どもにだって、ああやって撫でるでしょう?」

「そんなこと、考えた事もない」

 目を瞬かせて蘇芳先輩は言う。


「撫で方に何かいろいろ種類や作法でもあるのか」

「そりゃ、ないでしょうけど、アレはない」

 私は蘇芳先輩に断言する。


「私、赤ちゃんじゃないんですから。あの撫で方は違う」

「どう違うんだ」

 途方にくれたように蘇芳先輩は言う。


葛葉くずはさんだって、桃山の頭、撫でてたろう」

「あんな感じというか……」

 そう言ってから、しまった、と思った。これではまるで、私が葛葉さんのほうが良い、と言っているようではないか。


 慌てて蘇芳先輩の顔を見上げると、今までの不安定な表情は姿を消し、負けん気の強そうな眉根がぎゅっと中央で寄っていた。


「葛葉さんは良いわけか」

 そう言われ、私は首を横に振る。


「そう言いたいんじゃないんです。ただ」 

 私は口ごもり、唇を噛み、俯いて、それからまた顔を起こして蘇芳先輩を見た。


「特別感が欲しかったんです」

 心の中のもやもやを言葉にして口から吐き出した。


「他の子にもするような事をされたから、傷ついたんです」


 そうだ。

 自分で言語化して納得した。そうだ。きっとそういうことだったんだ、と。


 私だけのためにされた行為じゃないと思ったから、傷ついたんだ、と。


 自分の中で妙に納得し、ということは、私は蘇芳先輩に特別扱いされたかったんだと気づき……。


 ああ、私はこの先輩のことが好きだったんだなぁ、と思い至った瞬間。


 再び、しまった、と思った。

 今、私が言ったあの台詞。


 どう考えても告白じゃない?


 そう気付くと同時に、顔と言わず耳も首も熱くなってきた。鏡を見なくても、真っ赤なのが分かる。


 もう、蘇芳先輩の顔が見られなかった。顔を背け、俯く。


「分かった」

 ぼそり、と低い声が頭の上で聞こえた。


「特別感が欲しいんだな?」

 蘇芳先輩の言葉に、私は「え?」と尋ね返して顔を上げる。


 同時に。

 力強く抱きしめられた。


 私の背が低くて。

 蘇芳先輩の背が高いから。

 私は先輩の胸の下辺りに顔を埋める形になった。


「もう、撫で方なんて知るか」

 蘇芳先輩は、ぶっきらぼうに言い、私の背中に回した腕に力を込める。


「これならどうだ?」


 低く尋ねられ、息が出来ない。顔を道着に押し付けられているから、という訳ではなく。


 胸がどきどきして息が止まりそうだ。

 ぎこちない指も、加減を知らない腕も。


 なにもかもに息が出来ない。


 私は身じろぎして、少し上にある蘇芳先輩の顔を見た。

 見て。

 思わずくすり、と笑う。

 私より、真っ赤な蘇芳先輩の横顔がそこにあった。


「なんだ、やっぱり蘇芳のカノジョじゃん」


 小学生の甲高い声に、私と蘇芳先輩は同時に反対方向に飛び退った。


 タイミングを合わせたわけではないのに、同時に声のほうを見る。

 道場の、足元に作られた風抜き用の小窓だ。


 そこから、あの小学生二人組みの男子がにやにや笑いながらこちらを見ていた。


「……まて。修士しゅうじ来音らいおん、ちょっと待て」

 蘇芳先輩が小学生に向かって、そろそろと歩み寄っていく。


 まるで、大事なものを咥えた猫に近寄るように、慎重に小学生たちに近づいた。


 だけど、小学生たちは勝ち誇ったような笑みを浮かべると、小動物のような素早さで立ち上がる。そうなると、もう小学生たちの足しか見えないが、その足が、ぱたぱたと道場中央に駆けていくのが見える。


「おばちゃーん。蘇芳のおばちゃーん」

「蘇芳が外でさぁ!」


「待て! やめろっ。俺を殺す気かっ!」


 蘇芳先輩はものすごい勢いで道場の玄関に向かって走っていく。たぁん、と音を立てて玄関が開き、いくつもの声が竹刀の音に混じって駐車場の方にまで聞こえてきた。


「おばちゃんを呼んだ? なに? どうしたの」

「蘇芳のおばちゃん。蘇芳がさぁ、外でさぁ」


「なんでもないっ。母さん、なんでもないから、稽古してきてくれっ」


「蘇芳がさぁ、さっきのお姉ちゃんをさぁ」

「お前ら、地稽古で、しばいてやるからなっ」


諒太りょうた、あんた、額の傷から血が出てるけど」

「蘇芳、コーフンしすぎだよ」

「うるせぇ! 誰のせいだと思ってんだっ」


 その声を聞いて。

 小さく噴出した。

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