白樫道場2 お話があります

桃山芽衣ももやまめいの父です」

 お父さんが、きっちり腰を折って頭を下げる。さすが営業だけあって、なんだかそんな仕草が板についている。


「今日は蘇芳すおう君に、うちの娘が助けて頂いたようで」


「……え?」

 蘇芳先輩のお母さんは振り返り、背後に立つ大きな息子の顔を見上げた。


「なにそれ」

 声を低くして蘇芳先輩に尋ねている。

 蘇芳先輩が答えないものだから、蘇芳先輩のお母さんはいきなり握った拳で、先輩の胴を殴った。


「いつも、報告・連絡・相談って言ってるでしょうがっ」


「ああっ。お母さん、ちょっと」

 お父さんが慌てて手を伸ばす。


「聞いて、おられませんか?」

 おずおずとお母さんが蘇芳先輩のお母さんに話しかける。


「その、額の傷のことなんです」

 お父さんが蘇芳先輩の額の絆創膏を指さした。


「転んで打ったんじゃないのっ?」

 蘇芳先輩のお母さんが先輩に凄むけれど、結局無言を通している。


「うちの娘がですね……」

 お父さんが、なんとなく蘇芳先輩のお母さんに怯えながら話しかける。その後ろでお母さんも及び腰だ。


「すいません。ちょっとここ、騒がしいですね」

 蘇芳先輩のお母さんは、蘇芳先輩の腕を掴んでにっこりと笑った。

 掴んだ、というより、捕縛した、という表現のほうが正しいかもしれない。


 うちの家に子どもは娘の私一人なものだから、蘇芳先輩のお母さんの手荒い仕草にお父さんもお母さんも目を白黒させている。


「外に出ましょうか」

 蘇芳先輩のお母さんにそう言われ、私たちは頷いて一旦、道場から出た。


「すいません。思春期がまだ抜けていない馬鹿息子のせいで、ちょっと事情が良くわからないんですけど……」


 クロックスを履いて出てきた蘇芳先輩のお母さんは、すまなそうにお父さんとお母さんの顔を見上げた。そのお母さんの後ろでは、ばつが悪そうな顔でそっぽをむいた蘇芳先輩が立っている。


 近くで見ると、蘇芳先輩のお母さんは、目の辺りが先輩に良く似ている。

 お父さんとお母さんは顔を見合わせ、説明を始めた。


「まぁ、そうでしたか」

 事情を聞き終わった蘇芳先輩のお母さんはそう声をあげ、私を見た。


「怪我がなくてよかったですね。こんな可愛らしいお嬢さんですもん。傷でもできたら大変でした」


「ですが、そちらの息子さんが……」

 お父さんが申し訳なさそうな顔をする。


「諒太なんて、肉食べて寝たら治ってますよ」

 けらけらと蘇芳先輩のお母さんは笑った。男の子のお母さんって、こんな感じなのかな……。


「わざわざご丁寧にありがとうございました」

 蘇芳先輩のお母さんはそう言って深々と頭を下げ、その後ろで先輩も頭を下げている。


 ……ものすごく気になるのは。

 蘇芳先輩が、全然私のほうを見ないことだ。


「そんな。とんでもない。あの、これご家族皆様でお召し上がりください」

 お母さんが持っていた紙袋を差し出すと、蘇芳先輩のお母さんが首を振る。


「いえいえ、そんなもう」

「どうぞどうぞ」

 そう言われ、蘇芳先輩と蘇芳先輩のお母さんは顔を見合わせて、「それでは」と紙袋を受け取った。


「良かったら、稽古をご覧になって行かれませんか?」

 蘇芳先輩のお母さんは目元に薄く笑い皺を寄せて微笑む。


「確か、娘さん、高校生から剣道を始められたんでしょう? お父様もお母様も剣道をご覧になったことはないのでは?」

 お父さんとお母さんは顔を見合わせて頷いた。


「明日は土曜日ですし……。少しだけでも剣道をご覧になって帰ってください」

 そう言われ、「じゃあ」と、案外すんなり頷いた。興味はあるらしい。


 蘇芳先輩のお母さんに案内され、お父さんとお母さんが道場の玄関に向かう。


 私に背を向け、蘇芳先輩もその後を着いていこうとした。


 その手を。

 私は後ろから掴んだ。


 蘇芳先輩は目を少し見開いて私を振り返る。


「お話があります」

 低い声でそう言うと、いつもの蘇芳先輩からは考えられないほど瞳に動揺の色を浮かべる。


 私たちが道場に入らなかったことには、親たちは気づいていないようだ。


 蘇芳先輩のお母さんと、うちのお母さんがにこやかに話している声は、だんだん遠くなる。


 私は手を握ったまま、ずんずんと駐車場の方に向かって蘇芳先輩を引っ張って行った。

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