白樫剣道場1 お礼

◇◇◇◇


「すごい音だな」

 車のドアをばたんと閉め、お父さんは瞬きを数回繰り返して目の前の建物を見る。


白樫しらかし剣道場』と書かれたその道場は、平屋の、公民館のような建物だった。


 道場の上のほうと下のほうに取られた窓からかなり光が漏れていて、駐車場は外灯が要らない程度に明るい。


「剣道って、大きな音を立てるのねぇ」

 菓子折りの入った紙袋を持ったお母さんも感心したように道場を見る。


 確かに。

 子どもたちが上げる甲高い気合の声や、竹刀が打ち鳴らす乾いた音。それに床を踏む重低音が外にまで響いてきていた。


「行こうか」

 お父さんに促され、私とお母さんはその後ろをついて歩く。


 お父さんは首もとのネクタイを改めて締めなおし、お母さんもタイトスカートの裾を少し引っ張って延ばす。


 二人とも、仕事から帰って来たままの格好だ。

 私自身も制服姿なのだけど、これはお母さんに言われ、私服から着替えなおした。


『それ、ちゃんとお礼に行かないとダメだろう』

 帰宅したお父さんに、『文化祭どうだった?』と尋ねられ、お化け屋敷での一件を伝えた時の事だ。


 冷蔵庫から缶ビールを取り出していたお父さんは手を止めて、洗濯機の側にいたお母さんを呼びに行き、私が伝えた事をかいつまんで説明していた。


『お礼に伺う? その先輩が怪我してるんなら、保護者の方に謝らないといけないし……』

 お母さんは洗濯籠を床に降ろし、首を伸ばしてリビングの壁時計を見た。


『まだ、失礼な時間帯じゃないでしょう。住所録あるの? お家のほうに行ってみる?』


『それが良いな』

 お父さんも同意し、菓子折りを買って、蘇芳先輩のお家を訪問したのだけど。


 不在だった。

 お母さんのスマホを借りて、蘇芳すおう先輩のスマホを鳴らしてみても留守電に繋がるばかりだ。


 その時、今日が金曜日だと思い出した。

 蘇芳先輩の通う道場の稽古日なのだ。


 ひょっとしたら、そっちに行っているかも知れない。お母さんも剣道をされている、と聞いたことがある。

 そう思って、今度は桜宮さくみや先輩のスマホを鳴らして、道場の住所を教えてもらったのだ。


「すいません」

 お父さんは横開きの扉を開く。からり、と戸車が鳴り、目の前にはずらりと靴の並んだたたきが見えた。


 扉を開くと、一気に音の洪水が押し寄せてきた。


 床が鳴る音や、咆哮の様な大人の発声が体にそのままぶつかってくる。

 どうやら、道場と玄関の間仕切りをしていないらしい。


 高校の武道館よりも大分大きな道場では、小学生から高齢者と呼びたくなる成人までが稽古をしている様子が一望できた。

 お父さんとお母さんは、その音の大きさや迫力に、しばらく立ち尽くしている。


「あ。お姉ちゃん」

 駈け寄ってきてくれたのは、初めての団体戦で出会った小学生の男の子二人だ。確か、修士しゅうじくんと来音らいおんくん。


蘇芳すおうに会いに来た?」

「やっぱりカノジョじゃん」

 はしゃいだ声を上げる二人に苦笑して、私は言う。


「蘇芳先輩と、そのお母さん、いらっしゃる?」


「いるよ」

「呼んでくる?」

 まるで双子のように似た仕草で二人は私に尋ねた。


「お願い」

 手を合わせると、呼吸を合わせて振り返り、稽古中の中に駆け込んでいった。


「剣道って初めて見た」

「なんか、危ない競技ね」 

 お父さんとお母さんがそんな会話を交わしていると、こちらに向かって走ってくる二人の姿が見える。


「どうも、蘇芳諒太すおうりょうたの母です」


 稽古中を抜けてきてくださったらしい。

 額に滲む汗を道着の肩口で拭いながら、お母さんより少し若く見える人が戸惑ったように会釈した。


 その後ろでは、びっくりしたことに、ガーゼを外して絆創膏を貼り、道着を着た蘇芳先輩が立っている。防具を今はつけていないが、多分、面と一緒に外してきたのだろう。れだけがついている。


 呆れたことに、稽古をしていたらしい。


 怪我をしたその日でもあるし、道場にいるとしても見取り稽古じゃないの、と桜宮先輩は言っていて、私もそうだろうと思っていたのに。


 私の視線を感じたのか、蘇芳先輩は気まずそうに顔を背け、なんだか無駄に傷ついた。


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